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私の従僕   作者: トール
 第一章 従僕と学園へ行く
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従僕5



 俺は十歳に、お嬢様は五歳になられた。


 雨の日が好きだ。こんなに心休まることはない。しかも水が手に入る。雨の中でも奴隷の仕事内容に変化はないどころか増えるのだが、俺は雨が好きだ。お嬢様とかいう餓鬼は関係ない。


 朝の食堂では誰もが雨を嘆いているが、雨が降らなければ畑に水が回らないので止めとは言わない。


 そんな奴隷の中で一人嬉しそうに朝飯のスープを啜っていると、中に昨日の残りの肉の切れ端を発見。雨最高。


 今日の幸運に感謝しつつ、いつも通り隣に座った奴隷頭の指令を聞いていると、何かに気付いたように手を水平に翳された。


「背ぇ伸びたな、お前」


 そうだろうか?










 雨水が土面を叩く音を聞きながら奴隷小屋に戻った。どうせまた濡れるのだから手拭いは使わない。野菜の皮むきを手伝ったら屑野菜が貰えるかもしれないと厨房へ向かう。まあ可能性は低いが、なんせ今日は運がいい。


 しかしどうしたことか奴隷小屋の奥の方から悲鳴が聞こえてくる。俺の足が止まる。


 ……非常に嫌な予感がする。しかしそれは有り得ないほど低い可能性だ。考えるのも馬鹿らしい。


 奴隷小屋だ。奴隷の住まう場所だ。馬の価値を考えるに、この邸内で最も程度の低い建物だ。


 ……いや、そんな馬鹿な。……だって奴隷小屋だし。


 俺は元冒険者で戦闘奴隷タタルクの教訓を思い出していた。


『現実ってのは甘くねぇ上に予想ができねぇ。ゴブリンを狩りに出たのにホークベアと出くわすこともある』


 そんな教訓を裏付けるかのように、食堂に繋がる通路から予想通りの相手が飛び出してきた。


 本当だった。予想しないところから魔物は来る。


 ピンクのフリルをふんだんにあしらったドレスはびしょ濡れで、金色に輝く髪もしっとりと張り付いているが、その笑顔だけは色褪せる様子を見せない。


 大悪魔(アークデーモン)様だ。


「あはははははは! あっ、じゅーぼくだぁー!」


 お嬢様降臨。今日を最後に公爵邸には奴隷がいなくなるかもしれない。誰が責任を持つのか。


「はいお嬢様」


 悲しいかな奴隷階級。お嬢様が近づいてくる前に床に片膝をついて頭を垂れる。今まで一度も雨の日は外に出てこなかったというのに。まさかの奴隷小屋襲撃だ。届かないとはわかりつつも祈らずにはいられない。


 勘弁願いたい。


「んっふっふ〜」


 ニマニマといつもとは違う笑い方でお嬢様が近づいてくる。それは俺にやたらと悪戯を仕掛けてくる女奴隷のトマの表情と似ているように思える。なんだ?


「えい」


 俺の近くまで来たお嬢様が、ついっ、と手を伸ばしてきたので跪いたまま器用に後ろに下がる。


 空振った小さな手に戦慄を覚える。雨じゃない液体が頬を伝う。


 今まで一度も接触を持ったことないお嬢様が手を伸ばしてきたことに驚く。何故だ。枝や葉っぱを取り除く時はいつも大人しいのに……勘違いだろうか?


 しかしこの不穏な空気はなんだ……。


「んふふー、えいっ」


 再び突き出され手にまたしも器用に後ろに下がる。思わず顔を上げたところにお嬢様は笑顔だ。


 間違いなく触りに来ている。


 もはやなりふり構っている場合ではない。重心を後ろに傾ける。ジリっとお嬢様もにじり寄ってくる。


 …………ゴクリ……。


 張り詰めた空気に耐えられなくなったのはどちらが先か、俺が飛びすさると同時にお嬢様も両手を突き出して駆け出す。


「あはは! まてまてぇー! あはははははは!」


 悪魔だ。知ってた。


 あの手に触れられるだけで首と胴が生き別れることを考えると致命的。なんてこった笑ってやがる。


 このまま外に駆け出したかったが生憎と雨。流石に雨の中を追いかけてこられてお嬢様が風邪でも召されようものなら俺が天に召されてしまう。


 前も後ろも竜とはまさにこのこと。


 ならばとばかりに壁を蹴り上がり天井を足場に跳ね、お嬢様の後ろに回り込む。


「ふわあ! すごいぃ! あはは! まてまてぇー!」


 当然ながら振り切れない。というより振り切っても問題だ。まさか目を離す訳にもいかない。どうしよう。


 この先が行き止まりと知りつつも逃げずにはいられない。お嬢様が飛び出してきた食堂の方へと飛び込む。


「……なんてこった」


 食堂には今が自由時間の奴隷たちがいた。頭や肩を押さえている奴隷たちの中にはブクブクと泡を吹く者、ガタガタと震えながら卓の下で頭を抱えている者、様子を窺うように厨房からこちらを覗いている者と様々だ。頭や肩を押さえている者は……手遅れだろう。俺には救えない。お嬢様、味をしめちゃって。


 一撃で根こそぎ奴隷の意識を刈り取っていく貴族様は、やはり特別というだけある。奴らの血は青いらしい。貴族様こあい。


 そんなやや嵐が去った後の雰囲気を醸し出していた現場に入ってきた俺に注目が集まる。


「まてまてぇー!」


 連れてきちゃった。ごめん。


 普段から浮き名を流したと豪語するサドメが言うには、女性の「きちゃった」ほど嬉しいものはないという。ましてやお嬢様は貴族様。その喜びも殊の外大きいというもの。


 お前らのご主人様のご息女なのだから。へへ、涙ながらに喜んでやがる。


 然るに助けてくれという悲鳴は聞かなかったことに食堂を逃げ回る。普段から受ける罰とした鞭打ちは一回なのに、以前お嬢様に触った奴隷は鞭打ちを三回を受けた上に食事を抜かれたという。三日ほど仕事を受け持ってやったなぁ。それからその奴隷を特に見なくなったことを考えると……やはり触られるべきではない。まあ解放されただけなのだが。


「まてまてぇー」


 あどけない表情で突き出してくる手には黒く澱んだ空気が纏わりついているように見えますお嬢様。奴隷達の悲哀の声も聞こえてくるようです。きっと空耳だ。


 卓の下を潜り抜ける際に、隠れていた女奴隷が泡を吹いて倒れた。床に倒れていた奴隷がお嬢様に踏まれ絶叫を上げる。寝た振りで被害者側に回っていたが実際は触られていないジュレールを盾にしたら本当に気をやった。最近鞭に打たれるのは俺だけだったので、仲間が増えて嬉しいよ。


 鞭打ちは栄誉だもんな。


「あはは! じゅーぼく、まてぇー!」


 周りにいっぱいいますから。どうかそちらで。


 無邪気に追いかけて来ていたお嬢様も、このままじゃ追いつかないと悟ったのか奴隷を踏み台に卓の上へ。また一人犠牲者が生まれる。どうやら卓から卓へと飛び移る気らしい。


「えいっ」


「あっ」


 しかし飛距離が足りないために飛び出したはいいが虚空へと身を落としていく。


 それを目にした俺は直ぐさま身を翻し低く駆け出す。


 誰もが息詰まる瞬間に地面すれすれに飛び込み、お嬢様の脇を掴みそのまま床を滑る。顔がガッツリこすれたが、まさか転がって勢いを殺す訳にもいかなかったので痛みは我慢した。


 はあ……。


「えへー、じゅーぼく、つかまえたぁ」


 俺に抱え上げられながらも笑顔で髪を掴んでくるお嬢様。


 まあバレなきゃ構うまい。


「何事ですか」


 シンと静まり返る食堂に凛とした声が響く。


「あー、けーらぁー」


 ケーラというのはメイド長の名前だ。貴族様ながら奴隷に直接指示を与えるメイドの長は、長く旦那様にお仕えしてるだけあってご高齢で信頼厚く規則に厳しい。


 そう。厳しい。


 今回の沙汰は俺だけ鞭打ち十回に一日食事抜きという栄誉なものだった。


 なんでも奥様が旦那様をとりなしてくれたお陰で罰が軽くなったとか。ありがたくて涙が出るね。


 他の奴隷の必死な表情と被害を拡大してしまった責任から俺は口を噤んだ。


 なんせいい奴隷というのはあまり口を開かない者らしいからだ。ええいちくしょう。


 タタルクの教訓も普段の生活に活きることがわかった。どうせ街の外のことと流して聞いていたのだが、なにかの役に立つこともある。今後はもっと真面目に聞くとしよう。



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