従僕34
って、言うだけで聞き入れてくれるお嬢様ならどんなに良かったか。
「ここが、冒険者ギルドね」
お嬢様と従僕と可哀想な娘と逃亡奴隷は冒険者ギルドの前までやってきていた。
大変だった。
従僕が断るとお嬢様の頬が急激に膨らんだ。何かの病気だろうか?
いつもの病気だ。
不機嫌なお嬢様が取り出したのは黒くて細長いアレだ。
乗馬用の鞭だ。おい魔術師。
それで従僕に近付くとピシパシと躾を始めたじゃありませんか。いつもの光景だ。目尻に涙を浮かべながら「いくー、いくのー!」と鞭を振るうお嬢様。それをアワアワと止めていいのかどうか悩むエヴァに平然とスープを飲み続けるアレン。まあ、アレンは鞭打ち担当だったから驚くことはないな。
打ち疲れたのか従僕に大して効いていないと悟ったのか、途中で鞭を放り出して服を掴んで揺さぶってきた。「ぜーったい、いくのー!!」と、とうとうポロポロと涙を流し始めるに至ってエヴァのアワアワがオロオロになった。流石にアレンもこれにはギョッとして視線を向けてきた。
そんなのズルい。
いくら鞭で打たれようと無表情で在らぬ方を向いていた従僕も、チラリとお嬢様に視線を向けるくらいの強制力があった。
エヴァに背中を擦られながらポロポロと泣くお嬢様。うー、うー、と唸っている。
「……………………畏まりました」
従僕の頬も膨れそうですよ。
絶対に頷く場面じゃない。それでも弱いのだ。泣かれると。こんなのもう条件反射だ。子供の頃からそうだ。怒られるより辛い。不条理だ。
色々と飲み込んだ従僕を余所に、出掛ける準備を始めたお嬢様。メイドを呼んで着替えをされて、ついでにエヴァを引き込んで着せ替えをされて、こちらにも着替えを要求してきた。
アレンが着替えるのは分かる。逃亡奴隷なのだ。付いてくるとかバカを言い始めた時点でアレンだと気付かれないように変装する必要があるのだから。なのにフードを深く被ったローブ姿だ。
怪しさ満点だ。
「それ、いいわね」
とか言うのは元祖バカだ。
おかげで全員がローブを着用する怪しい集団の出来上がりだ。俺の認識では目立つのはダメなのだが、ここでは少数派らしい。そうか。おかしいのは俺か。ちなみにお嬢様とエヴァのローブの下はドレスだ。そのせいかエヴァは極力ドレスを汚さないようにと喋らず動かず青い顔だ。息はした方がいい。
アレンが言うには冒険者の中には魔術を使う奴もいて、そんなに変な格好じゃないという。アレンは髪の色も変えた。銀髪だ。フードで隠れるのに?
恐らく荒事があるだろうと予想されるので、お嬢様がアレンに剣を与えた。それはどこかの近衛用に鍛えられた物ではないだろうか。酷く感激していたアレンの手前言わないが。というか荒事にする気はないんですが?
「従僕はこれ」
突き出されたのは小石の山だ。
もしかしてお嬢様、怒ってます?
そんな訳で、動きがぎこちないエヴァと逃亡奴隷のアレンに小石が武器の従僕を引き連れてお嬢様は冒険者ギルドへやってきた。
まずは裏付けと情報収集だろうと従僕から提案させてもらった。これで討ち入りとか勘弁願いたい。全滅以外の終わりがあるだろうか?
回り回ってやってきた冒険者ギルド。
午前の内に行く予定だったのに、色んな物がくっついての到着だ。しかもお嬢様的には目的に沿っているのだと思えば、従僕的にはやるせない。本当にお嬢様の良いようにできてるなぁ世界。
貴族様は神様です。お嬢様は邪神です。
「お嬢様、お気をつけください。冒険者ギルドと言えば荒くれ者の溜まり場。どんな些細な事であろうと命をとられる大事に繋がりかねません」
「そうね! わかったわ!」
ダメだこれ。全然わかってない時の返事だ。
「ご覧くださいお嬢様。ギルドの前の地面には何らかの激しい衝突があったのか亀裂が入っております。このような場所に長居するのは得策ではありません」
「そうね! わかったわ!」
「確かにな。俺が現役の時はこんな荒れ方はしてなかった」
「え、これって…………」
わかってもらえたようだ。少なくともお嬢様以外には共通の認識が芽生えただろう。冒険者ギルド、危ない。
「それでは私が受付にて、このところの魔物の巣の討伐数などを訊いてまいります。お嬢様は依頼板の方で、出されている依頼の数を確認されるということで。テナシ、頼んだ」
「任せろ。だが言うほど危険ではないと思うがな」
腰の剣を確認するアレン。しっかり警戒はしているので問題はない。そもそもお嬢様は貴族様でアレンは逃亡奴隷。残るのはエヴァと俺になるのだが、その二択なら間違いなく俺だろう。エヴァはまだ成人じゃないので取り合ってくれない可能性がある。
依頼板を当時と見比べるならそちらにアレンは必須だ。ついでにエヴァと食べると言っていた糖蜜パイとやらを頂きながら待って貰おう。
ローブの集団が冒険者ギルドを潜る。一瞬だけ視線を向けてくる輩もいたが、ローブ姿の冒険者も確かに少数ながら存在したので、それほど目立ちはしなかった。
お嬢様に視線で許可を求めると頷かれたので、一人受付だというカウンターへ進む。数人が並んでいたが、然程待つことなく俺の番になる。チラリとお嬢様達の方を伺うと、貼られてある依頼書を指差して会話をしていた。問題なさそうだ。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。本日はどういったご用件でしょうか?」
「ここ最近の魔物の巣の討伐数を知りたいんですけど」
「魔物の種類に関係なく、巣の討伐数ですか? 今月の?」
「そうです。できれば同じ月の前年、二年前、三年前と遡って五年分ほど欲しいのですが」
オカッパ頭で眼鏡を掛けた職員さんの顔が難色を示している。
「うーん、結構な数になるので直ぐには難しいと思われます。また年をまたいだ情報の信頼度は低く、正確な物ではないかもしれません」
「……そうですか、すいません。あ、そうだ。貴女の勤続年数って何年ですかね?」
「六年になります」
「貴女の所感で宜しいのですが、王都の周囲にいる魔物の数、もしくは巣って近年増えているように感じましたか?」
「いいえ。そもそも魔物の討伐は毎日の事なので、増えたり減ったりなんて感じません」
ヤバい。
「そうでしたか、ありがとうございます」
受付の方を振り返らずにお嬢様の元へと踵を返した。後頭部にチリチリとした視線を感じる。
お嬢様達の確認は早々に終わったのか、今は丸テーブルについてパイをつついている。緑色の飲み物という、どうにもマズそうな飲み物を木のコップから飲み干していた。
「あ、従僕。どう……」
「直ぐに出ましょう」
予想以上にヤバい案件のようだ。
その言葉にお嬢様は残っていたパイを突き刺して差し出してきた。
仰せのままに。
一口で食べ切る。
「おいしいですね」
「よね? また来ましょう」
「おい、どうした?」
「え? え?」
大口でパイを頬張った従僕にアレンとエヴァが訝しむ。既にお嬢様は席から立ち上がっている。
「テナシ、お前が正しかった。出るぞ」
「……待て。ここは冒険者ギルドだぞ?」
どうやらアレンの考えでは冒険者ギルドは入っていなかったようだ。雰囲気を察したエヴァがパイを口に放り込み、緑色の飲み物を急いで飲み干す。
さりげなく視線を左右に飛ばせば、幾人かの意識がこちらに向けられていた。冒険者であったり職員であったり。よく訓練されている。扉は遮られてはいないが、追跡できる体制は整っているらしい。
「エヴァ様。少し宜しいでしょうか?」
「え、なんか怖い」
こあくなんてないよ?




