従僕4
俺、九歳。お嬢様、四歳の季節。
「ねえ、じゅーぼくー! ご本よんでー」
今日も今日とてお嬢様は茂みを割って現れる。迎えに来たメイドに手を引かれて帰る時には茂みの脇を通るのに、何故か登場する時は茂みの中を通ってくる。
勘弁願いたい。少しの擦り傷でも鞭の回数が増えるというのに……。
「これ、これよんでー」
もはや習慣となったお嬢様の服についた枝や葉っぱ取りを行っていると、お嬢様が持っていた本を突き出してくる。
えー、なになに……『騎士と竜』か。うわ……この本、絵に色もついてるぞ。ジュレールに聞いたことあるな。絵本ってやつだ。
お嬢様が読んで読んでと突き出してくる絵本に触らないようにする。これは奴隷が触れていい物の範疇にはないだろう。
お嬢様の眉根が寄る。癇癪一歩手前の表情だ。
「よ! んっ!」
「お嬢様。その素敵なご本はどうされたのですか?」
「でぇ……え? これ?」
キョトンと目を丸めるお嬢様に笑顔で頷く。こういうのは話をすり替えるに限る。そもそも物を持ってこられたのは初めてなので、気になるというのも本当だ。
対策を考えねばなるまい。
お嬢様は本を誉められたのが嬉しいのか、自慢気に本を抱きしめながら笑顔で教えてくれた。
「あのねあのね、たんじょーびーだったの! お父さまが、たんじょーびーだからくれたの!」
おい餓鬼。
鞭打ち案件どころか首刎ね案件でした。あ……装丁に傷が……。
四肢の力が抜けそう。タタルクがよく言う、ど頭ぶん殴られ状態というやつだ。これがそうか。足の親指の付け根に力を入れるんだ。
目元がピクピクしながらも、お嬢様が笑顔なので、気分を壊さないようにするために俺も笑顔。胸の内で泣くのが奴隷。涙がでちゃう、でも泣かない。だって奴隷だもん。くっ。
「それは、よう、ございましたねー」
「うん!」
俺の足がガクガクしているのにも気を止めないお嬢様は、まさに貴族様。抱き締めていた絵本を突き出してトドメを刺しにきた。
「よんでぇー」
騎士の才能がおありだ。
「かしこまりました」
元来、奴隷である俺が旦那様の娘に嫌など言えないのだ。ましてや奴隷。貴族様が死ねと仰せならば死ぬ運命にあろうというもの。
でも死にたくはない。
「お嬢様。ご本はお嬢様がお捲りください」
「……? なんで?」
「私めが捲りますと、お嬢様からは絵が逆さまになってお見えになるからです」
「ふんふん……わかった!」
「ありがとうございます」
これで俺は本に触らずに済む。なんとか命が紡げた。
ほぅっと息を吐き出したいところを我慢して、お嬢様の正面に座り本を開くの待っていると、
「おもいー」
と膝から土の上に絵本をガッと置かれた。土に汚れる絵本の装丁など気にせずペラペラと最初のページを開くお嬢様。
「……」
「あ、ここ、から? じゅーぼくー、よんでぇー」
旦那様もまさか贈り物にと娘に渡した本が早々に土塗れになるとは思ってないだろう。部屋でメイドに悠々と読ませるか、百歩譲っても屋外で、刈り込まれた芝の上に椅子を持ち出し、従僕に日傘を持たせてその影で、といったところか。
庭の隅の土面に寝転がってとか誰かが責任を取らねばならない事態だと思う。
鞭打ちで済みますように。
「じゅーぼくー?」
「はいお嬢様。それでは読みます」
俺から見ると、文字が逆さまになっているので本来なら読み辛いのだろうが、ジュレールと毎晩頭を突き合わせて文字の勉強をしているのだから慣れたもの。
言い詰まることなくスラスラと読み上げる。
この絵本の内容は騎士が王の命令を受けて竜を退治に行くという、ありふれた物だ。俺が普段お嬢様に聞かせる話は、どちらかというと子供に警告や反省を促す物や、笑いなどの娯楽色の強い物なので少し毛色が違う。
「――王様は困りました。そして王様は言います。『誰ぞ、あの山に住まう竜を退治せよ』王様の言葉を受けて、三人の騎士が立ち上がります」
「どらごんは、わるい? わるいの?」
「ええ、悪うございます」
「なんで?」
「きっと悪いことをしているからでございましょう」
「なあに? わるいこと、なあに?」
「お嬢様がされたら嫌な事とは、どんなものがございますか?」
「えと、……やさい、きらい! でもねー、母さま、たべなさいっていうの。父さまは、いいよー、っていうのに。やさいの、赤いのなの。赤いのこわいのに……」
「でしたら竜はきっと、王様に赤い野菜を食べさせようとしたのでしょう」
「わるい! わるいどらごんだ!」
「ええ、悪い竜です」
お嬢様が途中で差し挟む疑問に答えながら物語を進める。
「三人目の騎士は竜を倒しました。お城へと帰ってきた三人目の騎士に王様は言います。『よくやった。そなたに褒美を授けよう。なにがよい?』」
「ほうび?」
鞭かな。
「贈り物にございます」
「ふんふん」
お嬢様はわかっているのかいないのか、足をパタパタとさせながら俺の話す物語に聞き入る。
物語は最終章を迎え、騎士と、今まで影も形も出てこなかったお姫様が結婚したところで終わりとなった。
「――――とさ。以上でございます」
「おもしろかた! もっかい!」
「それでは最初のページにお戻りください」
「これじゃない」
ぺいっと投げ出される絵本。
「……」
「いつものお話してぇー。いつものも聞くのー」
「左様でございますか。それでは――」
きゃっきゃっと喜ばれるお嬢様を見ながら独特の修正を入れた話を適当にでっちあげる。絵本を読み上げるのとは違い、身振り手振りを入れての話だ。元吟遊詩人の奴隷に教わった技術を用いて歌い上げるように話すと、何が面白いのかはわからないがお嬢様は大喜びだ。
「――えっほ、えっほとウサギは走る。足には噛みつくオオカミが。しかしウサギは気付かず走る。『あれぇ? 体が重たいな?』」
「あはははははは! えっほ! えっほ!」
ただ興奮されたのか、立ち上がった時に絵本を踏みつけるのは勘弁願いたい……。晒される首に誰か祈りを唱えてくれたらいいな。
一段落ついたところで今日の担当のメイドがタイミングよく来た。今まで見たことない人で、長い金髪が緩くウェーブした美人だ。尖った瞳には侮蔑の色が見られる。貴族様っぽいな。
「なっ…………」
しかし今は言葉を無くして佇んでいる。その視線はお嬢様の服と土に汚れた本に向かっているので心情は察せるというもの。
もしかしなくても体よく押し付けられた口ではないだろうか。
「あ、見つかっちゃった。もどんなきゃ」
んしょっと本を重そうに抱え上げたお嬢様がメイドに手を引かれながらお戻りになられる。
いや、メイドを手で引きながらが正確だろうか。メイドは青い顔でされるがままだ。
「またねー」
手を振るお嬢様は笑顔。
できればまたが有ってほしいと初めて願ったかもしれない。
メイドと違い、俺は表情には出さずに笑顔で手を振った。