従僕30
一瞬にして、頭がスッと冷えた。
まだ体は焦りで熱くなっているものの、浮かんでは消えていった思考に一本の線が入る。
いつもの線だ。
俺の根幹にはいつもある。
奴隷達、タタルク、冒険者、ギルド、怪我。
――――回復薬。
そうだ。タタルクの話では冒険者ギルドには回復薬が売っているという。薬師ギルドとの提携で値段に違いはないが纏め買いするのなら薬師ギルドで買った方が安くなる、と得意気に豆知識を語っていた。
――――ある。助ける手段がある。
しかしそれには…………。
俺はアレンを抱えたまま、俺の主人に振り返った。
「……ケガをしてるわね?」
「はいお嬢様」
……どう許可を貰えばいいのか。今から急いで冒険者ギルドに行って回復薬を買う。その間はお嬢様を放っておくことになる。近衛失格だ。ならお嬢様と一緒に? ダメだ。お嬢様の行動を促すならともかく、お嬢様の行動を決めるなど従僕失格だ。違う。そうじゃない。頼み込んで。ダメだ。
ダメだ。違う。つまり。ダメだ。だから。ダメだ。俺が。ダメだ。ダメだダメだダメだダメだダメだダメだ――――。
冷えた思考が再び熱を上げる。
ぺしん、と小さな手の平が額を叩く。
煮詰まり掛けていた思考が溶き解れる。
呆然と見上げると、呆れた顔のお嬢様が、
「なにしてるのよ……早く助けてあげなさい」
そう、仰せだ。
いつものやり取り。いつもの間だ。
だからいつも通り答えた。
「畏まりました」
アレンをその場に横たえると、飛ぶように走った。実際にできている人垣を飛び越えて冒険者ギルドの扉を乱暴に蹴り開けた。喧騒がピタリと止まり一斉に注目される。それはそうだろう。
丁度いい。
目の前にいる赤い髪の冒険者へ問い掛ける。
「すいません。ここで回復薬を買えると聞いたのですが、購入場所はどちらに?」
「え、あ、あそこだ……あの売店で売って」
指を差された時点で走り出していた。言葉は後から追いかけてきた。人の間を縫うように走り、売店の前へ。幸いにして並ばれている客もなかった。売り子をやっている女性へ求める。
「一番効果の高い回復薬をください」
「……え? ええ?! 今の一瞬で、こ、ここまで?」
「すいませんが急いでいます。できるだけ早くお願いします」
「あ、は、はい。うちでは中級回復薬が一番上になりま」
出された回復薬を奪うように受け取り、硬貨の入った袋を放った。聞いていた通りの金額なら足りるだろうが、やり取りをする時間が勿体ない。そのまま再び人の間を走り抜け、蹴り開けられたままの扉を潜り、人垣を飛び越える。
良かった。お嬢様は無事だ。
アレンを杖でツンツンされている。お止めください。
人の波に逆らってポッカリと空いたスペースにアレンは横たわっている。近付きたくないのだろう。好都合だ。
封を破り蓋を開けて回復薬をアレンに飲ます。すると荒かった息が整い、切れていた唇が治り、顔色が幾分かマシになった。
なんとかギリギリ命を繋げたと思う。だが……。
「手が生えてこないわね」
むしりとったボロ布の下を見ていた俺に、お嬢様がそう呟く。
そうだ。中級と言っていたので、そこまで効果のある回復薬ではなかったのだろう。無くなった腕が生えてくるぐらい効果のある回復薬もあると聞いたのだが…………そういえば中々出ないとかオークションで売られるとかも言っていたような…………。
お嬢様。アレンの千切れた手首の所をつつくのは止めてあげてください。せっかく治療したのにアレンが油汗を掻いてきているので。
想いが通じたのか飽きたのか、お嬢様が立ち上がって従僕の服で杖を拭う。おま、嬢様……。
「それじゃあ、教会に行きましょう。教会ならシンホー術師がいる筈よ。そこなら手も生やしてくれると思うし。エヴァ」
「は、はひ?!」
「教会ってどっち?」
「あああっち! あっち!」
人垣とお嬢様の中間ぐらいの位置でオロオロとしていたエヴァが、お嬢様の言葉で背筋を伸ばし、道のない方角を指差す。
ああ、直通の道はないのだろう。迂回が必然だと。
「真っ直ぐ行ったら早いわよ」
ああ、ですよね。
ニンマリと微笑むお嬢様。イタズラを思いついた時のお顔でございますね。
お嬢様の考えにピンときた俺。それは長い付き合いだから成せる技なのだろうか。だとしたら、お嬢様もまた、従僕の考えが分かっていたりするのだろうか…………。
いや、あり得ない。
しかし今回は従僕めもその考えに乗ります。
ふと気付けばすっかりいつものペースだ。
アレンを左肩に担ぐ。昔は毎日のようにやっていた。手が無くなった右手が視界をチラつく。
「頑張れ。もう少しの辛抱だ」
そして…………。
この行為には色々と覚悟が必要だ。奴隷小屋に来た時、木登りに失敗された時、塀をよじ登ろうとして失敗された時、いつの時も碌な目に合ったことがない。主に俺が。
しかし連れて行かない選択肢はないのだ。
腕を組んで得意気な表情のお嬢様の隣に立つ。
「宜しいでしょうか?」
「許すわ!」
「失礼します」
お嬢様を荷物のように小脇に抱える。
……ああ、やってしまった。どうか鞭打ちと食事抜きで済みますように。
げんなりした表情で、今度は俺がエヴァを呼ぶ。
「エヴァ」
「ははははひ!」
「悪いが道案内を頼みたい。背中におぶさってくれ」
「えええええええ?! あたし、走りますよ?! あ、でもジューさんが走った方が速いのかな……? でも、三人も……」
「早く頼む」
「あ、はい!」
腰を降ろした俺の背中に、エヴァがおぶさる。左肩にアレンを背負っているので、エヴァが右肩から顔を出す。至近距離で目が合ったエヴァの頬が赤く染まる。
「……し、失礼しまっ!」
「しっかり掴まってろよ」
恐る恐るしがみついていたのでそう言うと、首に手を回してギュッと服を掴み直した。
「くふふふ」
お嬢様が嬉しそうに笑みを漏らす。思えば抱え上げた時はいつも笑っているな。
「いきます」
「いけいけー!」
「なにが――――――――ぁぁぁぁあああああああああああああ?!」
「あははははははは!」
エヴァとお嬢様の声を後に引きながら、跳び上がる。
踏みしめた地面が割れ、人垣が驚愕に声を上げる。一瞬にして小さくなっていく人垣を背に、直ぐ近くの、エヴァが指差した建物の上へと降り立つ。
「どっちだ?」
「ああああああああああ?!」
服も千切れろとばかりにエヴァが指に力を入れている。そのせいか目を瞑っていて足場を確保しているというのに悲鳴が止まらない。
「多分あれよ。あの、鐘があるところ。前に祝福されにいったのよ。多分。あんまり覚えてないけど。かも?」
「承知しました」
とりあえず方角的にあっているのでお嬢様の意見を採用だ。違ったらエヴァに鞭でも入れて教えて貰うことにしよう。
貴族様に鞭を貰えるなんて栄誉だ。多分、泣いて喜ぶことだろう。
「ああああ…………あ、れ? とと止まってる? よ、よかったああああああああ?!」
エヴァが目を開いたところで走り出す。なるべく速く。
屋根が陥没したりひび割れたりするが、謝ったり直したりは後回しだ。どんどんとスピードを上げる。
直ぐ前に大きな通りが見えた。降りると時間をロスしそうだ。王都の大きな通りは、人が途切れない。助走のために更に加速する。
「跳びます」
「許すわ!」
「待ってええええええええええええ?!」
もはや踏み込む音が連続して聞こえる程のスピードで大通りを飛び越えた。




