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私の従僕   作者: トール
 第一章 従僕と学園へ行く
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アレン6



 この行為に意味なんてないのかもしれない。冷静な部分がそう告げていた。


 そもそも奴隷というものに興味が無かったため、その契約やシステムがどうなされているのかなんて詳しく知らなかった。知るつもりもなかった。


 漠然と思っていたのは、最底辺の存在だ、ということぐらいだ。


 それは奴隷になって確信に変わった。


 仕事のキツさや扱われ方、食事と身に付ける物と、その尊厳に至るまで、平民以下の存在だ。


 だからといって平民が素晴らしいわけでもない。俺からすると皆が愚かで救う価値もない。考えがなく、思想がなく、誇りがなく、雑多に紛れるその他大勢に過ぎない。


 辺りは暗く、すし詰めにされた部屋で、月明かりに照らされる準備した道具を見つめる。起き出してくる奴なんていない。誰もが体力の限界まで働いて疲れていた。それは俺もそうだ。


 休みたいという欲求を無視して起きているのは、これからの計画のためだ。


 いいや、計画なんてものじゃない。下手するとただの妄想で、俺が損をするだけという結果も十分にありうる。


 怖い。


 ただ怖い。


 冷えた頭がいつもの勢いを削いでいた。奴隷になってから纏わりついていた苛立ちも鳴りを潜め、心の奥底から出る感情だけが渦巻いていた。


 それは本音だ。


 本当の本当。嘘偽りのない想いというのは、本人にもわからない物なのだと、ここに至り気付いた。


 見下して生きてきた。


 それが自分を保つための手段だったから。


 いつから見ないようにしたのか?


 成人に近付くにつれて同じ歳の奴に力や足の速さに差がなくなってきたと気付いた時からか? 冒険者を目指すような奴は例え新人でもゴブリンを倒せると知った時からか? 武器に差があるというのにオークを倒して見せたトーソに嫉妬した時からか?


 そう、虚勢だ。自分すら欺いて生きてきた。


 それしかなかった。じゃなきゃ自分には何も無いと気付いてしまいそうだったから。


 どうしようもない凡人だと、知ることになってしまうから。


 さあ、もうわかった筈だ。お前ではどうにもできない。寝てしまえ。集めた道具は適当に処分してしまえ。


 ボンヤリと闇に浮かぶ道具は、別に特別な道具(アイテム)ではない。


 骨に布、錆びた短剣。


 ゴミだ。実際にゴミ入れから拾ってきたものだ。


 右手の甲を見つめる。そこには奴隷である証が刻まれていた。


 奴隷紋と呼ばれるこれは、奴隷が契約に反した行動をとるか主人が命令を与える事によって薄っすらと光り、苦痛を与えやがては死に至らしめる事もできるというものだ。


 奴隷の象徴。鎖であり首輪だ。


 穴が空くほど見つめる。


 それで消えてくれるのなら、幾らでも見つめていられるのに……!


 しかしそんな時間は実際にはなく、まるで奴隷紋は問い掛けるように、その存在を主張している。


 自分がやらなければいけないのだろうか? 本当に? 誰かが、誰かがいるんじゃないのか? この事実を知る別の誰かが。


 もし、もし誰もいなくても…………俺でどうなるというのか。


 考えがなく、思想がなく、誇りがない、雑多にまぎれるその他大勢の俺に…………。


 これ自体が意味のない行動かもしれない。


 何か勘違いをしている可能性だってある。


 浮かんでは消えていく言い訳と、迫りくる時間が焦燥を募らせる。


 躊躇っている時間なんて本当はないのだ。


 ただ、手が進まない。


 怖くて。


 怖くて恐ろしくて体がふるえて歯の根が噛み合わなくて目を瞑って吐き気をこらえて、時間などないのに体が動かない。


「……………………かぁちゃん……」


 そんなつもりはなかったのに、口から勝手に言葉がついて出た。ひび割れたような声だった。


 帰りたかった。


 ただ無性に。


 鮮明に思い出す故郷へ。


 近くの森には赤い実が成る木が生えていて、子供はそれをおやつ代わりに食べる。子供の中では木登りができる奴が偉かった。田舎だったが領主がしっかりと魔物を間引いていて、森には小動物ぐらいしかいなかった。税は重くないが、たまにくる行商人ぐらいしか楽しみのない村で、自分の畑でとれた物や交換した食べ物を食べていた。年に一度、収穫祭がある日は村の中心で大火を焚き、その周りで皆が踊る。ヤックルにテムカは結婚しただろうか? アドラの泣き癖は直っただろうか? マムートにペンにアルキス……。


 ふと思い出す。


 子供の頃だ。


 子供同士で集まって遊んでいた。誰かが腹が減ったと言った。いつものように森に赤い実を取りに出掛けた。俺は木登りが上手かった。得意になっていた。俺が赤い実を取って落とすから下で受けとれと。尖った石を握って木に登った。実を取ろうとしたところで悲鳴が上がった。下を見ると、ゴブリンが森の奥から出てきたところだった。震えた。ここは森といっても村から近い場所だ。まさかこんな所に魔物がと誰しも考えていた。逃げろ! と誰が叫んだのか。もしくは叫ばなかったのか。ただテムカが転んだ。ゴブリンはジリジリとテムカに近付いていった。無我夢中で飛び付いた。手に持っていた石を叩きつけた。何度も、何度も。大人が来て止めてくれるまで続けた。何故か涙が止まらなかった。


 父ちゃんが褒めてくれた。どんな会話だったのか……朧気だ。ただその時、俺はなんて返したんだったか…………それだけが強く…………ああ、そうだ。


 将来はみんなを守れるような人になるよ、と言ったんだ。


 英雄になると言ったんだ。


 震えは止まっていた。ボロボロと涙が零れ続けたが拭かなかった。


 あれが何に使われるにしろ、碌なことではないだろう。もしかしたら故郷に魔物が来るようなことになるかもしれない。ゴブリン一匹で騒ぎ出すような田舎なのに。


 伝えなくては。


 魔物の骨を掴む。加工に適さないので捨てられていたが、これは十分に硬い。砕けることはないだろう。布をくるんで噛み締める。


 右手を床につけ、左手で短剣を握った。


 利き手は右だ。例えどうであれ、これまで通りの生活はできないだろう。いや、そもそも長く生きられないかもしれない。


 出ていった村が脳裏を過る。


 最後に交わした言葉はなんだったか。


 構わない。


 俺は、英雄だ。


 いつもそうやって進んできた。これしか知らない。だからこれにすがるしかない。ちっぽけなハリボテを踏ん張って支えるしかない。


 振り下ろす短剣に躊躇いは無かった。















 賭けに勝った。


 奴隷紋がなくなれば俺を縛ることはできないようだ。


 しかし絶え間なく襲い来る頭痛に痺れるような痛みを訴え続ける右腕が、まだ奴隷紋が残っていて俺に罰を与えているように錯覚してしまう。


 そんなわけはない。


 布から染み出して滴り落ちる血が、それを否定している。そうだ。もう紋はない。布でキツく締め上げた右手首から先には何もない。


 ふとした拍子に意識が飛びかける。あまり時間は残ってないのかもしれない。しかし血を流し過ぎたせいか、体の動きが遅い。早くしなければ。


 誰かに、…………誰か。


 誰に伝えればいいのか…………俺にはわからない。


 薄汚れたローブというか布を巻き付けている俺を、誰もが避けて通る。汚ならしい物乞いとでも思われているのか。


 誰かに、誰かに、早く。


 これだけの人がいるというのに、その黒髪は目立って見えた。考えがあったわけじゃなく、なんとなく、それを目指した。しかしそれは間違っていなかった。ああ、あいつを知っているぞ。黒髪黒瞳。異色の組み合わせだ。他に見たことがない。


 目が合った。


「……アレンか?」


 声には心配する響きが混じっていた。笑い出しそうになる。


 時間がない。


 伝えなければ。



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