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私の従僕   作者: トール
 第一章 従僕と学園へ行く
33/99

従僕29



 まずい、まずいぞ。


 円らな瞳で馬が、遊ぶ? 遊ぶの? と顔を擦りつけてくるのを適当にあしらっている。撫でてやると嬉しそうに一鳴きしてから、また鼻面を寄せてくる。


「お客さん、随分と馬に慣れてるね? もしかして元馬丁? なーんてね」


「従僕だもの!」


 お嬢様、従僕呼びはめちゃくちゃ貴族様っぽいです。今更ですが。


 馬を預かってくれる可もなく不可もなくなレベルの宿屋だ。荷物も預け、馬も厩舎に入れたので、さあ王都観光という時間になってしまったのだが。


 お嬢様が冒険者ギルドに行くという前言を翻してくれない。


 むしろ期待値が上がっているという始末。


 まずい。いや、ここまでに美味い状況があっただろうか。煮ても焼いても食えない魔物という言葉がある。今がまさにそれ。討伐するのにめちゃくちゃ労力が掛かるくせに、素材を望まれず金にもならない魔物という意味らしい。


 お嬢様かよ。


 それでもどうにかして行き先を変える必要がある。伝聞によると、冒険者ギルドというのは荒くれどもの溜まり場だと言うじゃないか。なんでそんな所に行きたいのか。あれだな、英雄譚の序章っていうのは、大抵が冒険者ギルドから始まったりするからだろうな。


 俺のせいかな。


 幼い頃の俺に、物語の始まりを貴族の屋敷とか高級な宿屋とかからにするように伝えたい。


 逃避しそうになる思考を繋ぎ留める。


 こうやって時間を稼ぐのにも限度があるのだ。早く対応策を練らねば。


 …………現実問題、俺は冒険者ギルドの場所を知らない。これをお嬢様に伝えて、散策ついでに探す提案をしてはどうだ? 実際に場所が分かれば、そこを避ける形での散策にして。


 何にでも興味を示すお嬢様だ。そうこうしている内に冒険者ギルドの存在を追いやれるのでは?


 …………いける。それでいこう。


 最後に一撫でして馬から手を離す。宿屋の娘だというエヴァに相手をして貰っているお嬢様へと振り返る。気が合うとの話だ。エヴァは黒髪をポニーテールにしている茶色い瞳の少女で、お嬢様とは同じ歳だという。お嬢様より少し背が高いくらいの違いしかない娘だ。


 お嬢様に同年代の友人ができるのは喜ばしいことだ。


 主に従僕の負担が減る方面で。


「お嬢……」


「そうそう! あそこ真っ直ぐ行ったら、突き当たりが冒険者ギルド。こわーい人いっぱいいるよ? シェリちゃん大丈夫?」


「へーきよ! わたし魔術が使えるようになったもの! 本気を出せばあっという間にポイよ! エヴァも一緒に行かない?」


「むむ、やっぱり怖いんじゃないの~?」


「そ、そんなんじゃないわ! だって従僕もいるもの!」


「そっかー、じゅーぼく? さんがいるもんねー。ならあたしも一緒しよっかな?」


「そーよ! エヴァなら一緒を許してもいいわ」


「あそこで出す糖蜜パイ……一回食べて見たかったしー」


「とーみつ? なあに、それ?」


 おう、腐れド平民風情が。なに軽々しくお嬢様と口を利いてんだ。弁えろ。ちくしょう。


 キャイキャイと嬉しそうに二言三言と交わしあったお嬢様が、従僕を振り向いて宣言した。


「従僕! 冒険者ギルドに、とーみつパイを食べに行くわ!」


 あ、はい。


 ややこしさが増した結果になった。














 年頃少女達は冒険者ギルドを目指した。


 真っ直ぐに進めば着くというのに、あっちにフラフラこっちにフラフラと寄り道をしながら。期せずして従僕めの考えた作戦通りになった。ただ、冒険者ギルドという根っこの部分が残ったまま。


 ダメだ。止められない負の連鎖に陥っている気がする。


 どこかでどうにかしないと。


「ね、ね? おいしーでしょ?」


「ほんとだわ! あっちのは?」


「あれもヤバいよ!」


 お嬢様とエヴァが手にしているのは、肉がゴロッと入ったスープだ。昼にはまだ少し早いが、出ている屋台を食べ歩きされている。普段お嬢様が食べられている物とは比べ物にもならないと思うのだが、友人と食べ歩くという状況が特別なスパイスになっているらしい。


 エヴァは流石に宿屋の娘だけあって顔が広く、屋台の店主と知り合いなのか軽快な掛け合いで商品を値切っている。それでいてハズレの店や怪しい店には近付かないという配慮も見られた。


 このまま冒険者ギルドへ行くのが流れてくれればな……。


 お嬢様に近付いて硬貨の入った袋をスリ盗った相手から、気付かれないようにスリ返してお嬢様に戻すという作業をしながらそう思う。


 物事には流れというものが存在する。


 これはミドやジュレールに教わっただけでなく、タタルクやサドメ、他の奴隷も頷いていたことから、大切な事だというのは分かっていたが。


 理解はしていなかった。


 そんな目に見えないのに、強制されるだなんだ、運命だなんだ、逆らえないだなんだ等と言われても、実感が湧かなかったのだ。


 当時、まだ十そこそこの俺に、食堂で奴隷の皆が熱く語っていた台詞が思い出される。


『一度その流れに乗っちまうとよ、中々抜け出せるもんじゃねぇからなぁ。しかも目に見えないが、確かにあるんだ。抜け出せたと思っても、本人の勘違いかもしれねぇ。ただ終わった後で、だいぶ経ってから思い返すと、ああ、あれはそうだったって分かるのよ』


 失敗したよなー、と遠い目をして語るサドメ。


『坊にゃまだ分かんめぇ……。おめはいつも余計な事まで付け加える。あんな、坊。そん時がくれば、誰にでも分かん。ただ、そりゃをてめで選べんって話ぃだ。そしてそん時に心が構えてられっかが大事だ』


 そう優しく諭すように言うミド。


『僕としては、そんな運命なんて信じたくないのですがね。ただ……ここでこうして君に出逢えた事を考えると、否定しづらいですねぇ……』


 困ったような笑顔を浮かべるジュレールを、みんなが笑った。


『そうだな。大人になりゃあ分かるって言ったら、元も子もないんだが……。たまーにあるんだ。運命に選ばれちまう時ってのが』


 寂しく笑う奴隷頭が、妙に印象に残った。


 そこまで大それたものでもないが、今が悪い流れというのは分かる。


 普段あの時間に起きない筈のリアディスさんに始まって、魔物に追われ、街中で目立ち、ギルドへ行くという。どうせギルドでも一揉めあるんだろう。


 ここで、それをなんとかして阻止できないものか。


 幸いにしてお嬢様は楽しそうだ。わざわざ危ない所に近付かなくとも、この休日を満喫できると思う。


 エヴァと隣合って見世物を見ているお嬢様。冒険者ギルドはもう目と鼻の先だ。これを上手いこと誘導して他の事にかまけて貰う必要がある。


 そうそう、この合流した道の右か左に行ってくれれば…………。


「……アレンか?」


 何かお嬢様の興味を引く物が道の先にないかと視線を巡らしていると、右の道からボロ切れを纏ったアレンが近付いてくるのが見えた。


 前に再会した時も、様相が変わったと思ったが、今回はその時の比でない。


 落ち窪んだ目は充血していて痛々しく、茶色い髪もこの前会った時より大分薄汚れている。唇を噛み切ったのか顎から伝った血が胸元に落ちていくが、本人はそれを気にする余裕がないのか、今にも倒れそうな顔色をしている。


 何より目立つのが、汚れた布をグルグル巻きにした右手だろう。どす黒く染まったそこから、歩いた後を示すように血が垂れている。


 足りない。


 手の長さを考えるに、あまりにも短い。


 もしや、手がない、のか?


 フラフラと掴み掛かってきた左手に、力を殆ど感じなかった。……なんだ。どうしたというんだ。


「……聞け……聞け……ハイル商…………倉庫……魔物だ…………俺じゃ…………頼む……聞け………………箱の……早く……………………つた、え……」


 ゼヒゼヒと渇き切った喉から出る言葉は、途切れ途切れで何を言いたいのか正確に伝わらなかった。


 ただ、段々と力が抜けていくのが分かった。


 死力を尽くしているのが分かった。


「いい、分かった! 落ち着けアレン! まずは怪我を治そう!」


 自分でも何故か、どうしようもないくらいに動揺していた。まるで叫べばどうにかなると思っているかのようだった。


 落ち着け! まずは……ああ! 畜生! まずはどうすんだ?! 怪我だ! 手が無い! 血を止めるには……。


「どーしたの?」


 お嬢様の柔らかい声が耳に響いた。



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