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私の従僕   作者: トール
 第一章 従僕と学園へ行く
31/99

従僕27



 そして当然、朝はやってくる。


 朝というか夜だ。まだ月が煌々と照っている。早朝というのもまだ早い時刻だが、メイド方を出し抜くにはこれぐらいの必要があるだろう。日の出に起きてくるメイド方だったが、日の出直前に行動しようとしても既に起きている場合だってある筈だ。


 俺は正確にメイド方が目覚める時刻なんてわからない。


 なので、奴隷の朝食当番が起きる時刻より早目をチョイスした。この時刻なら流石に起きてはいないだろう。食事の用意は寮側が行うので、メイド方が調理をすることはないのだし。


 ソッと自室の扉を開きリビングを見渡す。かなりの広さなので隠れようと思えば隠れられるのだが、誰かの気配はなく、メイド方の自室に静かな呼吸音が一つずつある。


 問題は無さそうだ。


 従僕の行動以外。


 念のため足音を立てずにお嬢様の寝室の扉へと素早く移動する。


 あれ、なんだか心音が高いな。やっぱり物理的に首がかかっているからだろうか。


 お嬢様の寝室の扉をソッと開き、体を滑り込ませて閉める。直ぐに出ていくのだが、万が一露見しないためにも丁寧な動作が必要だろう。更に心音が高くなる。


 なんかダメだ。これ、早くしないと死んじゃう気がしてきた。いや早くしないと死んでしまうのだが。


 月明かりに照らされるベッドに、シーツにくるまった膨らみが一つ。本当にあのまま寝てしまったのか。


 まさか大声を上げるわけにもいかないので、ベッド脇に近付いて小声で話し掛けることに。


 ササッと近付いて体を低くする。寮の警備に見つかれば言い逃れはもはやできないだろう。首を伸ばして膨らんでいるシーツを確かめると、軽く揺する。


「お嬢様、おじょう……」


 寝返りを打たれて顔がこちらを向いた。


 そこに眠っているのは天使だった。


 あどけない無垢な寝顔に月の光を浴びて輝く金の髪。白いシーツに包まれた穢れを知らぬ白い肌。長い睫毛は燐光を弾いているようにも見える。


 ……ああ、なんと言うか。


 黙っていれば、なんだよなと思う。思えば幼少の頃よりその容姿は飛び抜けていたお嬢様。学園に入った今でも並ぶ者はいないと言える程。まだ年若く男女の仲に発展しそうな貴族様はいないが、旦那様が反対されたのも分かる。


 未だにお嬢様にお声を掛けてこられたというのが、お茶会に誘った美姫と名高い伯爵家令嬢に、金髪の嘘つき姫と隣国王子、学園で一番になると宣言した度胸三男だもんな。何かしら突き抜けた方でないとお嬢様に声を掛けるのは躊躇われるというもの。


 緊張があるから。


 年頃男子など尚のことダメだろう。レファイアス様が凄いってだけで。


 もし寝顔でも目にしようものなら、動けなくなるどころか、息の仕方すら忘れるかもしれない。


 なら俺は? そう、お嬢様の寝顔を拝見するのは初めて…………などではなく。


「お嬢様、お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様」


 揺する揺する揺する揺する。


 このくそ餓鬼は、庭の隅で寝こけることがあったのだ。起こしても起こさなくとも鞭が増えるという恐怖体験。だから条件反射的にお嬢様の寝顔を見て身が竦んでも仕方がないと思う。子供の頃はまだ鞭の脅威度が高かったから。慣れるまで凄い痛かったから。


 俺は知っている。この餓鬼には捻れた角と蝙蝠の羽があるのだ。手には鞭を持っているのだ。


 騙される男子生徒を哀れに思ってしまうのだ。


「……う、うう。…………なーに…………あえ? じゅーぼくぅ…………クゥ……」


「おはようございます、お嬢様」


「……う? …………おは……?」


 お嬢様の未だ開き切っていない目が窓に飛んだので、従僕はカーテンを引いた。


 煌々とした月がお出迎えだ。


「…………うにゃ……」


 クタっと力が抜けて持ち上げ掛けていた頭を再び枕に突っ込ませるお嬢様。


 計算通りだ。


 朝とは言えない夜のこの時刻。眠気に負けたお嬢様が計画を放棄すれば、従僕の首も安泰です。しかも紛れもなく起こしには来たのだから、しっかりと目を覚ました後だとしても叱責はない! ……………………筈。


 いやあるね。そんなに甘いお嬢様じゃない。


 しかし打ち首や去勢よりはいい。


「いかがされますか? 中止になされますか?」


 小声なのは状況を考えてだ。


 決して聞こえないといいなぁと言うものじゃない。


「…………や……………………いく、もん……」


 ち、聞こえたか。


 眠気と戦っているのか、ゆっくりと身を起こすお嬢様。頭がフラフラとされている。座ったままの姿勢で、暫しカックンカックンと頭が落ちたり上がったりしている。頑張れ睡魔。


 目をコスコスと擦り、なんとか立ち上がろうとするお嬢様だったが、手がベッドにつくとそのままクシャリと潰れてしまう。


 放っといたら中止だな。


 安堵の息を飲み込んだ従僕に、奈落の底から手が伸びてきた。綺麗な手だ。人をたぶらかす悪魔の手とはきっとこうなんだろう。


「…………おぶってぇ…………」


 マジ勘弁してください。


 しかしお嬢様はそのまま膝立ちでベッドの縁まで来てしまう。頭も手もフラフラしていて、放っておいたらベッドから落ちてしまうだろう。


 素早くお嬢様の進行方向に屈み込み、その背中でお嬢様を受け止める。


 シーツを被っていたせいか元々なのかは分からないが、お嬢様の体温は高い。従僕の背についたと判断したお嬢様の腕が首に巻き付いてきたが、力が入っていないのかユルユルだ。頭は肩に預けられて、どう見ても寝ている。


 ……仕方ない。


 主人の命令に従い、そのままお嬢様をおぶる。体が落ちないように、なるべく地面に対して平行にして脚をしっかりと掴む。お嬢様が街娘グッズを購入して入れておいたカバンの紐を、首から引っ掻ける。中にローブやら服やらを入れてある筈だ。


 そのまま足音を殺して寝室を出ようとしたところで、リビングに繋がるメイド方の部屋の扉が開いた。油断した。頭の中でお嬢様に文句を言うのに忙しくて。


 ――――待機だ。まだバレたとは決まっていない。


 出てきたのは、リアディスさんだ。


 少しばかり開いてしまった扉は今更閉められず、そこから様子を伺う。この暗さで見えないとは思うが、あちらは蝋燭を持っている。近付かれたらヤバい。


 こんな朝方に一体何を?


 そういえば、お付きのメイドなんかは他勢力の貴族から間諜として送り込まれる場合があるとか聞いたことがある……もしや?


 角度があって見えないが、ガサゴソやらカチャカチャやら何か不穏な音がしている。


 どうするべきか? これは重大な裏切りの現場に立ち会っているんじゃないのか? 踏み込むべきか?


 逡巡している間に、リアディスさんが扉の隙間から見える位置に戻ってきた。部屋に戻るようだ。


 手には盆が握られ、その上には湯気の立つ紅茶とクッキーが載っていた。


「朝ですもん、夜じゃないから太らないー。…………大丈夫ー大丈夫ー」


 …………。


 何がしかの呪文のように太らないを連呼しながら自室へと消えていくリアディスさん。


 なんてことだ。これは横領で間違いないだろう。罪を犯す現場に立ち会ってしまった……!


 じゃ、いこか。


 こっそりとリビングを通って部屋を出る。ちゃんと鍵も掛けた。警備を掻い潜って寮を出る。別に見つかっても問題ではないのだが、途中で高笑いが聞こえてくる部屋や異臭を放つ部屋があったので、バレれば色々と面倒な事になりかねないからだ。女子寮だし。


 眠たそうな馬番だったが、こちらの姿に驚いて目を見開いていた。


 まあね。自覚はあるよ。


 それでもお嬢様が、起きてるのか寝てるのか、フニャフニャと言い繕ってくれたので馬車を受け取れた。起きてください。ぶっちゃけめちゃくちゃ怪しんでました。


 外は朝方まだ寒く、お嬢様に馬車の中での着替えを促したら、テッと両手を突き出して着替えを要求され返されたのでローブでグルグル巻きにした。


 本気で勘弁してください。


 しかしこれで門を抜ければ王都までは静かになる、と思っていたのに、何を考えているのか御者台に上がるお嬢様を慌てて支える。ああ、馬車の運転がしたいのですね。なんでそんな目が開いたり閉じたりな状態なのに欲望には忠実なんですか。死にますよ。


 妥協案として手綱の端を握らせるだけに留めた。


 それでも構わないのか従僕にもたれ掛かりカックンカックンと船を漕ぐお嬢様。馬を操りたいんじゃなかったのか。


 門番には、外出許可証を掴むお嬢様の腕を掴んで提示した。


 何故起きないのか。


 本気で理解できない。どんな奴隷でもここまで至れば目を覚ます筈なのに。それどころか門を出ると本格的に寝息が聞こえてくるじゃないか。誰の計画だったのか。


 まあ、でもこれで計画の難所はクリアだ。むしろもうずっと寝ていて欲しい。


 ――――なんて考えたのがダメだったのか、三時間程経った頃。


 日が昇り始めた森の中を、馬車に平行するように追いかけてくる黒い毛並みの赤い目をした狼が。


 一匹、二匹、十匹、沢山。


 あれは魔物…………かもしれない。



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