従僕26
週末がやってきた。
一週間の終わりにお嬢様の寝室でお話をさせて貰う事になっている。これにお嬢様はメイドを挟まないという条件をつけた。
メイド込みでのお話なら毎日のようにされているのだが、お嬢様は従僕と二人だけがいいと主張した。つまりあの庭の隅のような環境がいいのだろう。まあ、メイドの目があると中々ワガママが言えませんしね。
しかしお嬢様もお年頃。
故にメイド方はいい顔をせず、許可が出ない。
これにお嬢様は抵抗。
「一回だけ、一回だけよ! 少しだけ、少しだけだから!」
もはや望みはないだろう。
リアディスさんだけじゃなく、ベレッタさんも分かったのか、顔を赤くされていた。その後、俺を睨み付けられても困るんだが。
だがお嬢様は諦めなかった。
なのでベレッタさんは妥協案を出された。
「去勢するなら考えます」
「キョセー? それをすればいいの?」
「お待ちください」
鞭でも打ち首でもいいから。情けなく泣きながら額を床に擦りつけて頭を下げた。全力でガタガタと震えてみせた。これにリアディスさんが折れてベレッタさんを止めてくれた。天使かな。
「じゃあ、キョセーするわ! それならいーでしょ?」
しかし話は纏まっていなかった。
なんとか思い留まらせて、一時間だけならという許可を取れた。全力で転職を考えている。悪魔と契約したのなら死ぬまで不幸でなくてはならないのか。そんなことはない筈だ。
今度教会で洗礼を受けて入信しようと思う。ロザリオも買おう。寄進もしよう。きっと神はどこかに居る筈だから。
お嬢様が、というより俺が勝ち取った一時間がやってきた。
既に学園も終わり食事も湯浴みも済ませたお嬢様がベッドでゴロゴロとされている。ゆっくりと寝室の扉が閉まっていく。いつでも駆け付けれるように、メイド方は隣室で待機されているとのこと。信用がない。
今日は珍しく本を片手にしている。俺の考える話はベレッタさん的にはあまり良くないとのことで、子供に伝え聞かせる童話集のようなものを渡されている。
従僕が近付くと、お嬢様はキョロキョロと周りを気にし出した。誰もいないと分かっていても此処彼処に視線が飛ぶ。
ある程度の確認を終えたお嬢様が、ガバッとシーツを背負って広げ上げた。潜りこむ態勢だ。
「はやく、はやくきなさい!」
…………。
「失礼します」
下げた従僕の頭をも巻き込んで、お嬢様がシーツに潜り込む。傍目に見れば、シーツに従僕の頭が食べられているように見えるだろう。中では楽しくて仕方がないと笑いを噛み殺すお嬢様のお顔が近い。
「ふふふ、なんだかドキドキするわね?」
「全くですね」
バレたなら去勢かと思うと、ドキドキどころかドドドドドドと激流のように脈打ってるよ。
勘弁してほしい。
何も好き好んで顔を付き合わせているわけじゃない。話し声が外に漏れないようにするための配慮だ。顔の近さも、正直なところ、お嬢様も従僕も慣れている。よく葉っぱを取って取られた仲なので。
そう、別に色恋めいた話じゃない。
ただ、主従共々こそこそとしている理由というのは……。
「シュビは上手くいった?」
「万事抜かりなく」
普通に悪巧みをしているだけで。
シーツの外にある体を動かす。手にした童話集をパラパラと捲り、栞のように挟んであった紙片のページで止める。紙片を抜き取りシーツの下から顔の横へとニュッと突き出すと、お嬢様が破顔される。
「外出許可証にございます」
「やったあ! ……あ。静かに、静かによ従僕」
本当に静かにしてください。今見つかれば色んな所が落とされます。
なんというか、お嬢様は単純にお出掛けを計画されているだけなのだ。
メイド抜き実家連絡無し護衛お断りの。
許される筈がない。
ならこっそり行こうとお嬢様は仰った。バーカ。
その為の計画を学園で立てた。メイドの起床時間に馬番の手続きから学園を出るための許可に実家以外で馬を預ける所と宿屋の確認。授業の空き時間にお嬢様は事細かに調べ、実行を従僕が担った。
外出許可証においては御印を従僕に預けるという暴挙だ。貴族様であるからこそ、メイド方は夢にも思わなかったことだろう。バーカバーカ!
既に、翌朝に馬車を手配してある。許可証も講師の印を貰っているので、例えお嬢様が御者台に座られていたとしても門を通れるだろう。学具を買うのに必要だからとメイドから金貨もせしめている。
従僕の主人はお嬢様で、公爵家ではないとはいえ、これ…………やっていいことなの?
許可証の申請に必要だっただけなので、既に御印は返却しているが、元奴隷が触ったとあっては首何千個が必要だろうか。一生胸の内に秘めて生きていくしかない。
外出許可証を受け取ったお嬢様が尚も話を続ける。
「じゃあ、明日のおさらいね」
「畏まりました」
「まず、うんと早く起きる」
「ベレッタ様より早くにございます」
「ムリ」
じゃあ諦めよう。
「従僕が起こして。こっそり入ってきてこっそり出ていくの」
マジか。
「畏まりました」
「それでー…………馬ね! 馬車の手配はしてあるんでしょ?」
「滞りなく」
「トドってなに? こおりは氷よね?」
「左様でございます。トドとは魔物のことでございましょう」
「魔物も、こおりも、なく? ……あ、いないってことね!」
「そうでございます」
「馬車びよりだわ。わたし、運転ってしてみたかったの」
嘘だろ。
「畏まりました」
「それで、王都に行くわ! 一泊ね。楽しみだわ」
「公爵邸の方に?」
「え、そんなわけないでしょ? バレちゃうじゃない。どこか宿屋よ。そして色んなお店に行くの!」
これ以上罪を重ねないで。
いや重ねさせないで。
「ではそのように」
その後も続くお嬢様の王都探索予報に従僕の心はズタズタです。新しい鞭の打ち方なのではと疑い出したところで、寝室の扉が開いた。
「とさ、めでたしめでたし」
何もめでたい事なんかないですが。
これ以上ない程の速度でシーツから頭を引っこ抜き、ベッド横の椅子に腰掛けて童話集の適当なページを開いて話の締めだけ語った。お嬢様は、どうしたらそうなるのかというぐらいシーツを体にグルグルと巻き付けてこれ見よがしな寝息を立てている。もっと自然にできませんでしたか?
「ぐ、ぐーぐー」
ダメだこれ。バレるよ。
「お休みになられましたかー?」
しかし様子を見に来たのがリアディスさんの方だったので、誤魔化しが何とか効いた……。
「ね、ねてるわ」
従僕を殺したいのかな?
これにリアディスさんはクスクスと笑うだけで従僕を咎めなかった。どうやらこういう発言は常習であるらしく、リアディスさんは気にしなくていいと小声で話し掛けてきた。
「じゃあ、メイドと近衛は退室しますねー? 何かあればお呼びくださーい」
「わかったわ」
枕に顔を埋めてコクコクと頷く我が主。交換は可能だろうか。
メイドに促されて退室しようとする従僕に、ベッドの上のお嬢様は小さくVサインを出されていた。もちろん、メイドも目撃している。
明日の計画はダメかもしれない。もしくはお嬢様がダメなのかもしれない。




