従僕25
火だったらどうなっていたのか。
顔が焼けていたのだ。知ってる。
お嬢様は杖を振るうのも初めてだとかで、宿題の件も忘れて水を製造されている。
どうやらお嬢様は魔術の才能があるらしく、周りでブンブンと杖を振るっている生徒よりも生み出す水の量が多い。ちっちゃな火の粉や水飛沫程度が標準規格となるようだ。従僕をずぶ濡れにした水の量を考えるに、頭一つどころか三つは飛び抜けている。
「――アル・セドニクル!」
誰もがワイワイと杖を振るう中から少し離れて、ブツブツと呟いていたレファイアス様が草原に向けて火球を放った。着弾点にあった地面から顔を出していた岩の上部が砕けるという威力。炎が燃え上がったのは一瞬で、周りに飛び火はしなかったようだ。
得意気なレファイアス様に歓声が上がり、講師が頭に拳を落とした。
「いっ! な、何をする?!」
「それはこっちの台詞だ。何故いきなり魔術を使った?」
実技の講師は縁無しの眼鏡を掛けた痩せた男で、生徒と分けるためになのか緑色のローブを身に纏っている。髪も瞳の色も灰色の、やや神経質そうな顔立ちをしている。
「みんな使っているじゃないか! なんで俺だけ!」
「今は得意属性を知るために杖を振っているだけだ。詠唱して魔術を発動までさせたのは貴様だけだぞ。わかっているのか?」
講師のその言葉に、何故かレファイアス様は得意気な顔をされている。
わかっていないみたいだ。
「罰則だ。反省文一巻きに雑用を一日」
「はあ?! だからなんで!」
「なんでも何も、不当な魔術の行使は厳罰だぞ? まだ授業内の事だから罰則で済むが、本当なら退学もあり得る話だ。そっちの方がいいか?」
そう。この学園において魔術というのは軽々しく使用してはいけない規則になっている。
原則としては、・講師の許可を得し者、・決闘行為または自衛行為における場合、とこの二つ。
別にガチガチに縛っているわけではなく、意外とお目こぼしもある緩い規則なのだが、あの伝説の二人の例もあるため学園内での使用は一応禁止となっている。他国の貴族も集まる学園なので、そこのところは仕方のないことだろう。
学園の外よりも遥かに魔術が使い辛い環境になるのだが、講師は意外とスルーしてくれる。何度も言うが緩い規則なのだ。
攻撃魔術以外は。
こればっかりは厳しく対処しないといけない。今しがたご自分で魔術の威力を証明されていたレファイアス様だが、あのレベルの魔術がポンポンと飛び交えば規則もへったくれもない事態に陥る。故に講師もこれだけは見逃せない。
放った方向に授業中であることを考慮した軽い罰だと思うのだが、レファイアス様は不満顔だ。
しかし講師は慣れているのかこれに構わず他の生徒を指導して回る。まだ上手く杖の先から水やら火が出ない生徒が多いのだ。
ちなみに各護衛は座学の授業と違って主人の傍で控えている。やはりレファイアス様のような暴走が起きやすい事を理解しているのだろう。いざという時、主人を守るために。
従僕はいざという時、主人が暴れないように控えているが。
「ねーねー、ジーク」
どうしました水瓶さん。
クイクイと服の裾を引っ張るお嬢様。反対の手に握られた杖からは水が止まることなく流れている。この瓶、穴が空いてるよー。取り替えてー。
片膝をついて頭を垂れる。拝聴の姿勢を取る。
「どうされましたお嬢様」
「見てみてー、ほら、水が出るのよ?」
「左様でございますか」
だからなんだよ。
「すごいでしょ! 今、川を作ってるの。でね? あの石がジャマになってるんだけど、取れないの。ジークが取ってー」
お嬢様? 少し童心に返られていませんか?
だだ漏れになっている水は、文字通り川のように丘を下っていっている。お嬢様はその先の、水がぶつかって分岐が出来ている石を、あそこあそこ! と指差している。
仕方ない。主が石を排除せよと仰せだ。
水を避けて近付き、石を掴んで引っこ抜く。ボゴォという音と共に、地面が捲れ上がる。どうやら石だと思っていた部分は根が岩の上部だったようで、地面に大穴が空いてしまった。
当然ながら水は穴の中へと吸い込まれていく。
「……従僕」
お嬢様お嬢様、ジーク呼びジーク呼び。
怖い顔をされるお嬢様に俺は奥の手を使った。
「…………小さな池ができてしまいますね。『愚者の池』のように」
やり過ぎてしまった従僕の言葉に、お嬢様はハッとされると駆け寄ってきて穴の中への放水を続けた。俺が言うのもあれですが、お嬢様って本当にチョロいです。
池も作ってみたかったんですね。でも何か投げ込んでも女神が現れたりはしないと思いますよ。言いませんが。
固めたわけではないので、底の方で水を吸っているのか中々溜まっていかない。
しかしお嬢様は気にすることなく嬉しそうだ。
「魚とか入れてみようかしら? また従僕が捕まえたのを食べれるわ」
ああ、川で魚を捕りましたね。塩を振って焼いただけの物でしたが、お気に召したんですか?
穴の中には小さな虫なんかがいるが、幼い頃から藪を抜け続けたお嬢様には見慣れたもの。泥水が溜まりつつある穴の中を泳ぐ虫を杖でつついたりなんかする。
「……何をやってるんだ、貴様らは」
いつの間にか近付いて来ていた講師に、しゃがみこんでいた主従が振り返って答える。
「虫を溺れさせてるわ」
「池を製作中にございます」
「……何をやってるんだ、貴様らは」
あれ、今言ったと思うんだけど?
微妙な表情を浮かべる講師。授業の内容からそれほど逸脱していないので注意がしにくいのだろう。未だに杖を振るって自分の得意属性が何かを調べている面々も居るので、杖を振るなとは言い難い。
そこで講師がお嬢様の杖に注目した。
未だに垂れ流しの杖だ。
「あー、貴様。マリスティアン」
「はいディネザン先生」
「気分は悪くないか? 吐き気がする、頭が痛い、力が抜ける、何でもいい。体調に変化はないか?」
その言い方はマズいだろう。なんかあったと言っているようなもの。
これに俺がお嬢様に顔を向けると、お嬢様も従僕へ顔を向けられる。パッと見た感じは大丈夫そうに見えるが……。
なんなのだろうか。
疑問を抱いたのはお嬢様もだったようで、説明を求めて講師を見る。
「先程も言ったがな、それは得意属性の判別を行ってるだけで正確には魔術ではない。しかも魔力に対する効率も悪すぎる。個人の魔力総量には限界があり、そこに達すると魔術は使えなくなる上に、疲れて動けなくなるような状態になるんだが……」
難しい顔をしている講師の前で、未だに杖から水を垂れ流しているお嬢様。その後ろに空いた穴の中は、水かさが上がり一杯になろうとしていた。




