従僕23
従僕の朝は早い。
というか今までの習慣を変えられず朝日が昇る前に目が覚めてしまうだけなのだが。
手早く着替えを済ますと身嗜みを整えてお嬢様の寝室の扉の前に立つ。髪を梳かす、顔を洗う、服の皺を伸ばす等といった行為は平民になってから覚えた。見映えが大切だと言われても、元奴隷には理解し難い考え方だ。
しかし主人の格にも繋がる行為だと言われれば断るわけにはいかない。元々拒否などできないのだが。
学園では週末の休日は二日続きだというので今日も休日だ。流石は貴族階級。週に二日も休日がある。
ただお嬢様に仕える者に休日が与えられているわけではない。学園の生徒の休日なので、従僕とメイドは普段と変わらず仕事につく。
従僕が起きて暫く、朝日が完全に顔を出すぐらいの時間にメイド方が与えられた自室からメイド服を着て出てくる。水を汲む、朝食を受け取りに行く等の、お嬢様が朝を快適に過ごせるよう準備に入る。
従僕はその都度の指示に従うのだが、基本的には邪魔しないように立っていること、お嬢様に危険が及ばないようにすること、この二つを旨としている。
なので会話など当然ある筈もないのだが、今日は休日とあってお嬢様を起こしに行くという仕事が省かれてお嬢様待ちの状態の為、朝の準備を終えたメイドの方々が従僕に話し掛けてきた。
ベレッタさんもだ。大変珍しい。
内容はお茶会での出来事。どうも迂遠で婉曲な言い回しだったが、チクりチクりとした嫌味をお嬢様は聞かされ続けたらしい。なんでも今後の派閥内での力関係や発言力を維持するための挑発だったとか。
「ヒヤッとしましたー。お嬢様も口数が少なくなりますしー。お腹痛くなっちゃいましたよー」
「リサーチ不足でした。よもや公爵家の子女にサロンで挑発めいたことをされるとは……」
同じサロンにあって違う派閥に属している者同士のお茶会というのもあるそうだ。今回は同派閥のお茶会だったが、お嬢様を呼び込みたい側とマウントを取りたい側とあって、あまり楽しいものではなかったという。
もし争う事になって家同士の関係が悪くなったらどうするのかと思ったが、そこは相手も考えていたのか領地を接さず取引なども行っていない家柄だったとか。
しかも争うのは両者共に代理になるであろうことから、そこに勝算を見いだしていたそうで。普段から剣も軽鎧もつけない近衛に負ける筈がないと。
従僕のせいでしたか。そうですか。
「あくまで代理を立てると予測した決闘なら、になります」
「お嬢様がご自分で決闘するんじゃないかとハラハラしましたー」
お嬢様のイライラは凄まじいものだったのか、笑顔が怖かったとメイド方は証言している。
「高位の貴族にとって戦も政でしょうから、学園内における決闘でご自分の足場を固められるのなら安いものと考えていたのでは?」
「なーんか、あたしの考えてた高位貴族の子女の在り方と違いますー。もっとお行儀いいものだと思ってましたー」
口々に見解や愚痴のようなものを並べたてるメイドに対して、従僕は尤もらしく頷きを返すに留めた。
正直、よくわからなかったからだ。
ただ、お嬢様にとってもメイドにとっても、あまりいいお茶会ではなかったというのは伝わってきた。
お疲れ様です。
溢れ出る文句を聞き流しながら聞いていると、お嬢様が起き上がる気配を感じたので、手を上げて会話を止めに掛かる。
「お嬢様がお目覚めです」
「わかりました」
「……いつも思うんですけど、よくわかりますねぇー?」
これにベレッタさんがお嬢様の寝室へ入っていき、リアディスさんと従僕は所定の位置である壁際につく。
この日は他に取り立てて変わったことはなかった。初の、というか二日目になる休日を、お嬢様はのんびりと過ごされた。
馬の受け取り方や王都のお店などに興味を持っていたので、何を考えているかは、よくわかったが。
翌日。
学園に入学して二週間目。
既に幾つかのグループが出来てきた教室で、お嬢様は定位置になる机についていた。
グループというか、派閥というか。
平民同士で寄り添い合うグループ、低位貴族で繋がりを持つグループ、女性のみで構成されたグループ、どこにも属さない個人。
お嬢様が入るのは最後だろう。どうやらお嬢様は早くも派閥というものに見切りをつけているご様子。
このクラスで出来つつある大きな派閥は三つ。
一つは白髪癖毛の王子が作った隣国派閥。ここは同国の貴族で構成されており、他国の貴族が入ることを認めておらず、閉鎖的な派閥で主張もしないといったものだ。
特に問題ない。まあ、交流しないのなら自国の学園に通えばいいのにという思いはあるが。お嬢様に関わってこないなら従僕に文句はない。
二つ目は、当然ながら王国の金髪嘘つき姫による派閥。ここは貴族という仕切りもなく、平民、商人の縁者、他国の者と分け隔てなく取り込んでいる派閥だ。このクラスだけじゃなく他のクラスにも食指を伸ばしているので、学園の最大派閥に数えられることも遠くないのではないだろうか。実利的な派閥らしく、縦というより横の繋がりに重点を置いているとか。
要注意だろう。どうもお嬢様にちょっかいを掛けたいという思惑が、あの金髪嘘つきにはあるように思える。これにお嬢様も気付いている為、今は静観しているような状態だ。
そして最後になる三つ目。本来ならここに公爵家であるお嬢様が作る派閥が入るのだろうが、お嬢様は派閥を作るご様子がない。
だからというわけではないのだが、台頭してきた派閥があった。
なんと男爵家三男、レファイアス様による実力重視派の派閥だ。
てめえ生意気なんだよと決闘を立て続けに受けることになったレファイアス様。これに連戦連勝。いつ席が空くのかと見守っていたのだが、予想を裏切って毎日出席をこなした。
可笑しな事になっていたのはいつからなのか……決闘に負けた相手を従えるようになっていったレファイアス様。戦う内に仲良くなってしまったのだろうか。
そんな馬鹿な。
それでも先週までは四人程のグループで、負けた相手も必ずしも素直にその傘下に入っていたわけではない。しかし今日登校してきてところ、その規模が二十人を越える規模となっているように見える。
休日って休む日だと考えていたのだが、貴族様にとっては違うのかもしれない。
何があったんだろうか。
これに注目したのは、何も従僕だけに留まらない。レファイアス様を馬鹿にしていた貴族様に、興味無さげだった他の生徒も、その動向を注視し出していた。
まあ、ちょっとこいやと呼び出しを常に受け続けていたレファイアス様が、呼び出した側と機嫌良さそうに学園制覇について話していたらそうなるわな。
これに最上位の席であるお三方は三者三様の反応を示していた。
白髪はこれにややムッツリとした反応で、少し刺々しい。もしかしたら自国の貴族が決闘を仕掛けて負けたのかもしれない。金髪は笑顔を浮かべて楽しそうな様子で、何か企んでいるように思える。
そして俺のご主人様はというと、これに興味が全くといっていいほどない。
あんなに決闘を見たがっていたのに、お茶会での挑発なんかで、ご自分の想像していたものと違うように感じられたのか、興味が消え失せてしまっている。
従僕的にはオッケーです。
講師が登壇する時間には、他クラスから来ていた生徒も帰っていき、ざわめきも収まりを見せた。
この日の授業も従僕的には平和に、お嬢様的には退屈に過ぎていった。
帰る時間になる頃には、お嬢様もお疲れのご様子で今日は何処かに寄るとは仰られなかった。椅子から立ち上がりフラフラと帰路を歩き出した。
「うー……宿題が出たわ」
原因は疲れではないかもしれないが。
「ねぇ従僕。宿題ってやらなきゃダメだと思う? 人生に必要かしら?」
これに返す答えを持たないのでニッコリと笑顔だけ浮かべておいた。
ねぇ、ねぇ、と繰り返すお嬢様の進路を誰かが塞いだ。
レファイアス様だ。
あ、ダメだ。嫌な予感。
本来なら自分より高位の貴族の進路を声を掛ける前に塞ぐというのはマナー違反にあたる。しかも男性が女性のとなると、これは別の意味でもいい顔をされない。
なのに自信に満ち溢れた顔で立ち塞がるレファイアス様。
「……なーに? というかあなた誰?」
これにお嬢様はいい顔をされないのは当然。まあ機嫌が悪いというのもある。宿題を出した講師が悪い。
お嬢様の不機嫌面もなんのその、レファイアス様は気にした様子もなく声を上げた。
「俺の名はジョリドー・レファイアス。レファイアス家の系譜に連なる者だ。俺は自分の力がどれだけの物なのか知りたいと考えている。先代のマリスティアン公爵は〈残虐公〉と呼ばれていたらしいな。物は試しだ、マリスティアン公爵家の血を引く貴殿と杖を交えたい。如何か?」
ほんと貴族様ってアレだよな。




