従僕18
翌日、お嬢様は無事に入学式を終えられた。
後はクラスでの顔見せを残すところとなり、分けられたクラスまで廊下を歩いている。従僕もその後ろに控えているのだが……。
「……」
「……」
会話はない。
どうやら余程腹に据えかねたらしく、昨日からこのご様子だ。従僕は罰として食事を抜かれ、打たれ、それでもまだ許せないらしい。しかし物語はしっかりと語らせられた。直答はないものの、メイドの方々経由で命令はされている。
なんと言えばいいのか……………………いや、自分に嘘はつけない。
静かなお嬢様は――――――――いいな。
元々見てくれだけは天使を凌ぐ悪魔的なお嬢様だ。静かにしてさえ頂ければ目に優しい。会話をしないと決めているのか、学園の中では伝達役のメイドもいないので無茶を言われることもない。「斬れないじゃない!」と乗馬用の鞭を持ち出されることもない。時折こちらを見てこれ見よがしに頬を膨らませるのがせいぜいだ。
こんな平和を求めていた。
凄いや魔術学園。
グッと拳を握り込んで歯を喰いしばって感動に震えていたが、お嬢様がクルリと振り向けば表情を沈痛な物に変え痛ましく視線を床に向けたりと従僕は忙しい。
前を見て歩いてください。
チラチラと振り返りながら歩いていたお嬢様が、自分のクラスだという教室に着いたので従僕は素早く扉を開ける。
階段状の教室には前の教壇に既に講師が立っていて、他にも生徒がバラバラと席に座っている。
初日なのでどの生徒も正装である黒ローブを羽織っている。まだ寒いというのも理由なのかもしれない。
教室に入ってきたお嬢様に視線が集まり、そのまま固定される。少しの話し声もない。扉を開ける前には聞こえていたのだが。
お嬢様は階段状の席の上へと向かう。その手と足が同時に出ている。注目を浴びて緊張してしまったのか。
階段の上から順に王族、公爵家と続いて一番下が平民出となる配置と言われているのでお嬢様は一番上の席へ。最上位の席には既に二人の貴族様が座っていた。黒い長髪で緑色の瞳をした少女と白い癖毛の青い瞳の男子だ。
そしてその後ろに立つ近衛の方々は両方帯剣はしているが、鎧は着ていない。それぞれ主人と同じ性別の男女で、長い金髪を背中で纏めている青い瞳の女性と、紫髪を短く刈り込んだ灰色の瞳の男性だ。
こちらに目を向けているのは女性のみだ。男性の貴族様の方はまるで興味が無さそうに視線を前に固定している。笑顔で出迎えてくれたのは金髪青瞳の近衛の女性のみ。
もう一方の女性はこちらを品定めするように視線で射ぬいてきている。
これにお嬢様が固まってしまった。口を開くべきかどうか悩んでいるようだ。
これはマズイ。
お嬢様は自己紹介をしようかどうしようかと悩んでいるのだろう。先の社交界での出来事により挨拶は早めがいいとお嬢様は思われている。しかしベレッタさんが言うには、貴族間の挨拶は低位の貴族から名乗りを上げるらしく、もしこの場で先んじて挨拶を交わせば、わたしはあなたより下です、と言うようなものだとか。めんどくさいな貴族。
例え王族と言えど、机が横並びなら上下関係にないというのが暗黙のルール。そのためにこの後の自己紹介が控えている。学園側も身分の貴賤なくというお題目を一応は掲げているので、下の段の教壇から向かって右から順に自己紹介だ。お嬢様は最後になる。
お嬢様が早めの自己紹介を始める前に、従僕が動くとしよう。
本来なら席の前に立つタイミングで引く椅子を、従僕が前に出て先に引く。
「どうぞ、お嬢様」
「え…………ええ」
ついでにお声まで掛けるという無作法だ。後で鞭だな。
腰を降ろしたお嬢様はタイミングを逃し、従僕は素知らぬ顔で後ろに控えた。
「やあ、うちの姫様が悪いね」
うちのお嬢様はもっと悪いので平気です。
声を掛けてきたのは、やっぱりというかなんというか、ニコニコと笑顔を絶やさない金髪の近衛女だ。しかし主人の前で許可もなくペラペラと話し出せる筈がなく、これを黙礼に留める。
「あーあ、君もダンマリかぁ。なんだね。男性の近衛騎士というのは無口なのが標準なのかな? あちらの方なんてこちらに一切反応すらしてくれなかったからね。なーに、軽い挨拶みたいなもんさ。主人も許してくれるよ。少しお話ししないかい? 君の事を語ってくれよ」
留めろよ。
これに最上位の席についているお三方はダンマリだ。紫髪の『あちらの方』なんか瞼すら閉じている。寝てない?
他の貴族様の考えはともかくお嬢様は未だに緊張しているだけだろう。
仕方ない。
「お話でございますか?」
「お? やあ、話せるねぇ」
ええ、鍛えられてるので。
「じゃあ……」
「ある嘘つきの男が嘘を言いだしました。『串焼き一本銅貨五枚』これに正直者が五枚の銅貨を渡し、ひねくれ者が串焼きを買ってきたのなら銅貨を出そうと言い、泥棒の男が買ってきた串焼きを奪おうと考えました」
大きな声ではないが、俺の語る話は教室に響いた。
「……ん、えっと」
戸惑う金髪に構わず話す。なんせお嬢様の肩から力が抜けてきている。
いい傾向だ。鞭が減るかもしれない。フニャフニャにしてやろう。
突然語り出した近衛にクラスの注目が集まるが、これを講師すら注意しないのは最上位の席の方々が何も言わないからだろう。加えて自己紹介がまだ始まってなく、他に話す生徒もいたというのもある。
この話は具体的な描写がなく、嘘つきと呼ばれる詐欺師が恐らくは嘘をついている筈だ、という話だ。ヤキモキさせるのが目的なので、結局はどうなんだと訊きたくなってくる。お嬢様も訊かれた。従僕は打たれた。損な話だ。
「ふーん、面白い話だね。残念ながらこの国の詩や童話に詳しくないんだよねぇ。でも得するのは、勝つのは結局正直者なんだろ?」
先程までの沈黙とは違った静まり方をする教室で、恐らくは注目を集めているだろう話の結末を金髪が訊いてくる。他の生徒も直接的な視線をこちらに向けてはいないが、意識はこちらに向けられている。
お嬢様はこれに得意気だ。ご自分だけオチを知ってますからね。
じゃあ種明かしをしよう。
「違います」
「なんと。ひねくれ者かい?」
「違います」
「……泥棒?」
「違います」
「じゃあ詐欺師が? おいおいあんまり良い話とは……」
「違います」
「…………まさか話に出てきてない串焼きを焼いてる人とか言わないだろうね?」
頭いいな。
「違います」
「うーん…………わからない。降参だな。まさか結末を教えてくれないってことはないよね? 続きがありそうな話だったし。得をしたのは誰なんだい?」
「私です」
「はい?」
疑問に思ったのは金髪だけでなく教室にいる他の生徒もだったようで、ざわつきがそこここで生まれている。
「どういうことかなぁ。君が何を得したというのか」
「得をしたのは、私だけですね。何せこの物語は『騙り』なのですから」
「…………騙り? つまり嘘ということかな?」
「そうです」
「嘘も何も、実際に物語があって君が話してくれたのだから、結末はあってしかるべきじゃ……」
「全部デタラメなんですよ。物語自体が嘘です。騙されたんですよ。御愁傷様です」
俺のお話は全部そうです。
お嬢様は幼少の砌よりどんなお話も鵜呑みにされる程に純真だったので、こういうお話もあるんですよという教訓を覚えて貰うために創った話だ。実際、従僕のお話は全部そうなので。
しかしこの話をした当時は子供ながらに怒り狂っていたな。貴族様に騙すというのは地雷なのかもしれない。笑みが途絶えてしまった金髪のように。
「…………つまり君は私を騙したということかな」
「そうです」
「それ、許されると思ってる?」
「おかしな事をおっしゃいますね? 私だって嘘をつくのは嫌でした。心が痛みます。しかしあなたが私に『騙って』欲しいと申されたではないですか」
「かた…………なっ。そんな風には言って……」
「ですので、私は最初に『嘘を言う』と述べさせて貰いました。まさかこれに騙されることなどないでしょう。『騙って』くれと請われて、『嘘を吐く』と宣言したのですから」
執拗なまでの言質だ。でもお嬢様からは鞭を頂いた。
話を思い返しているのか、金髪が考えこみ、
「ふっ、くくくくく…………あはははははははは!」
白い癖毛の男が笑い出した。
「くくくっ、なるほど、そうだな。確かに言っていた。俺も聞いたぞ」
これに金髪は納得がいっていない風だったが、しかし気にせず白い髪の男はこちらを見ている。
無視は終わりということだろうか?
つまりもう一押しできるということだ。
「それに嘘はお互い様でございましょう。それを知っていて黙っておくのもまた然り。そろそろ自己紹介の時間なので席に戻られてはどうですか?」
もはや隠すことはないということだ。
これに不満顔だった金髪が笑みを溢す。片眉を上げてこちらに問い掛けてくる様が凛々しい顔によくお似合いだ。
金髪が剣帯を外し出すと、黒髪緑瞳の金髪の主人が立ち上がった。これにお嬢様はよくわからず固まる。
「どこで気付いた?」
剣とローブを交換して金髪が席に歩みよると、黒髪が椅子を引く。
「一目見て」
「私を知っていたか」
「この身は下践の生まれにて高貴な方のお顔に詳しくありません」
貴族イコールお嬢様の世界からきたので。
「じゃあ何故かな。今後の参考にさせて貰いたいので教えて欲しいなぁ。ああ、嘘はなしで」
おっと。一目が嘘ってバレたか。どこまでも嘘でありたかった。
「『主人も許してくれる』などと、例えそうでも公的な場で言うものじゃないですね」
お仕えする立場なのだから。
「なんだ、自爆であったか」
「お前、名は?」
つまらなそうに呟く金髪とは対象的に、面白そうに白い癖毛が訊いてきた。
「主人の許しが出ていませんので」
これに癖毛がお嬢様を見ると、お嬢様はプイっとそっぽを向かれた。その表情はどこか得意気だ。
「なぁ、あの物語って本当にない話なのかい? 本当はあるとかじゃなくて? なにかの物語の形を変えてるとか? タイトルとかないのかい?」
余程悔しいのか、金髪の興味は物語の方へといっている。これにお嬢様が余所を向いたまま答える。
「『箱の詐欺師』よ」
「箱の詐欺師?」
お嬢様…………まだ根に持ってるんですか? はあ?! この詐欺師! というオチ。ちゃんと続編創ったじゃないですか。タイトルにそった。
欠片も出てきていない箱の言葉に疑問を募らせる金髪を尻目に、従僕は沈黙を保った。
いい加減自己紹介を始めてください。




