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私の従僕   作者: トール
 第一章 従僕と学園へ行く
11/99

従僕11



「非常に不本意なことだ」


 その鋭い眼光を取り戻した瞳から放たれた視線が俺に刺さる。とても先程まで、パパはパパは! と言っていた方に見えない。


 お嬢様とメイドが退室した後の室内。


 残っているのは、旦那様とセバス様とケーラ様と奴隷頭、最後に俺だ。なんで残されたんだろうか。わからない。わからないが……。


 旦那様はロングソードを抜いている。


 全くもってわからない。


 先程の話し合いは、旦那様が折れるという形でお嬢様の主張が通った。その肯定を受けてお嬢様が感極まって旦那様に抱きつく一幕まであったのだから、まさかこれを反故にはすまい。


 だが旦那様はロングソードを抜いて席を立っている。


 より近い位置で元奴隷を見ようとしているのか、手を伸ばせば届くぐらいの範囲まで来ている。当然だがロングソードも届く。


 手続きがあるからとお嬢様を追い出して、ついでにメイドの方々も退室させた。蕩けた笑顔で手まで振っていたのに、扉が閉められる時には今の無表情へと変化していた。


「わたしの声が聞こえないのか? なんと。ではこの耳は飾りか? 飾りならいらんな、んん?」


 カチャリと耳元にソードを添えられる。


「失礼しました。直答を許されていないものだと……」


「わたしは答えることを許したか? ん? 誰の許可を得て発言しているのだ? ん? おお、わたしとしたことが! お前はそんなことは気にせぬな? そうだ、気にせぬ。なにせわたしの誰よりも可愛らしく凛々しく気高く無垢で純粋で完璧で女神な娘と、わたしの許可なく声を交わしていたものな? 奴隷という分を越えた行いだ。しかしお前は気にせぬ。お前はその穢れた声で、わたしの誰よりも可愛らしく凛々しく気高く無垢で純粋で完璧で女神な娘の耳を汚すことを厭わぬものな! わたしの娘の耳を!」


 旦那様、目が血走っていらっしゃいますよ。


 フルフルと震えるソードの切っ先が、もしかしたら縦ではなく横に振るわれるかもしれない。


 これが自由への代償だというのなら、一生奴隷でよかった。


「ご当主様、それではお嬢様とのお約束を違えてしまいますよ?」


 声を上げたのはケーラ様だ。


 奴隷頭は顔を伏せ、セバス様とやらは旦那様の傍に控えている。


「耳だ。耳だけだ。わからせてやる必要がある。躾だ。ただ手が滑る可能性はあるな。仕方のないことだ。なんにでも事故というものは付きまとう。シェリーもわかってくれる」


 瞬きすらしない旦那様。ケーラ様が溜め息を吐き出しつつ眉間を揉む。


「先程の決定をメイドが何人も聞いております。その数だけ証人がいるのですよ? 既に遅うございます。ここで剣が振るわれたのなら、お嬢様の心証は元より外聞も悪うございます」


「ぐぐぐぐぐ」


 ピシリ、ピシリとケーラ様が放つ一言で旦那様の眉間に皺が刻まれる。


 ゆっくりと引かれていくソードに内心で息を吐き出す。


 助かった。ケーラ様、ありがとうございます。


 そんな内面の隙をつくように、ズガッという恐ろしい音を立てて俺の目の前の床にソードが突き刺さる。そういえばタタルクが言ってたっけな。死地にいるのなら、どんな時でも心はその場に置いておけって。なんのこっちゃって思ってたけど、今ちょっとわかったよ。


「非常に不本意なことだ」


 再び同じ言葉を繰り返した旦那様が、投げ刺したソードは回収せずに乱暴に椅子に腰を降ろす。


「いつまでそうしているつもりだ、ランザッツ。人払いはしてある。立って構わん」


「はっ」


 立ち上がった奴隷頭に、旦那様はフンと鼻を鳴らした。


「シェリーがよく抜け出しているのは知っていたが、毎回同じ奴隷に会っていたというのは報告になかったじゃないか? わたしは複数人の奴隷と接して、その中に気にいったのがいたのだと思っていたが…………シェリーが言うには会って話すのは毎回同じ奴隷だという。お気に入りがいようと構わん。しかし入れ込みようが奴隷に対するものにしては、些か逸している。まさか学校に連れ込むなどと……」


「お気に入り云々はお嬢の心次第なので、俺に言われても困ります。それに奴隷の名なんて気にしやしないでしょう? 毎度報告を上げても気付いたかどうか。気付いたとしても、注目はしなかったんじゃないですか? まあ、報告に上げる名がそもそもないんですがね」


 肩を竦める奴隷頭は、本当に気安い。少なくとも自分の主人に対する奴隷の態度じゃないように見える。しかもそれを旦那様も許容している感じだ。


 驚いた。


「むむ。まあ、言われてみるとそう…………待てよ? こやつが今までシェリーの相手をしていたのはわかった。しかし他にもシェリーに接していた奴隷がいる筈ではないか? でなければ、こやつはずっと罰を受け続けていたということになるではないか…………それはありえん」


 旦那様が再び俺を見据えてくる。しかしその表情は先程とは違い疑問に彩られている。


「ありえんだろう? なんだ。わたしを謀っているのか? こやつの歳は、どう見ても成人したてと言ったところではないか。幼き時分から鞭を毎日のように受け続けてきたのなら、このように健常であるはずが…………手を抜いたか?」


「ご当主様」


 静かだが、確かに力を持った響きがケーラ様から放たれる。


「今の発言はランザッツの忠義を疑うものです。御訂正を」


「ああ…………そうだ。まさか、それこそあり得ぬな。許せランザッツ」


「いえ、大丈夫です」


 ヒラヒラと手を振って答える奴隷頭。


 もう両者の気安さは間違いないだろう。俺だったら首が何回も飛んでいる発言の応酬だ。鞭も受けないのだろうか? ズルくない?


「…………しかし、だったら何故だ?」


「ここ十年程の奴隷の損耗なのですが――」


 呆然とした声を出す旦那様に答えたのは、今まで一度も口を挟む事なく控えていたセバス様だ。


「――ゼロでございます。これは大変珍しい、有り得ない程ではございませんが稀に見ない例でございましょう。また、奴隷の解放が近年になって相次いでいる事とも関係しているのかもしれません。解放自体に不可解な点はございません。しかし、老齢に入った奴隷が解放されるというのは……些か異様かと」


 そう言葉を締めくくったセバス様が、どこからか出した書類を旦那様の前の机に置く。


「何か問題があるのか? 利点しかない気がするが……。ランザッツの能力が高いということだろう? それとこやつ、あー、ジークが健常なことと何の関係があるのだ?」


「それには奴隷頭とメイド長からのご説明があると思われます」


「…………ランザッツ、ケーラ」


 促された奴隷頭がポリポリと頬を掻く。ケーラ様と視線を交わしたのは一瞬。この短い間のやり取りで、どうやら奴隷頭の方が説明役を請け負ったようだ。


 そろそろ栄誉を与えていいと思う。


「ご主人様が当主の座についてから、奴隷の損耗が極端に減りました」


「うむ」


 奴隷頭の言葉に旦那様が頷く。それが変な事ではない当然の事実だと両者に共通の認識があるような会話だ。


「戦闘奴隷として元冒険者を買い入れ、要所の力仕事を任せて奴隷全体の負担を下げ、自由時間という名目で休憩する間を与えることで奴隷を長持ちさせるという施策は上手くいきました」


「そうだな」


 旦那様が手元の書類を目で追う。


「ただやはりゼロにはなりません。奴隷に掛ける金額というのは一定で、どうしても年寄りや成熟していない女が入ってきます」


「うむ。しかしちゃんとお前の意見を反映しているぞ?」


「ありがとうございます。ある程度知恵のある奴やガリガリじゃない奴が、確かに入ってきました。それでもやっぱり死ぬ奴は死にます。なるべく減るように割り振ってますがね」


「それは仕方のないこと…………うん? ここ十二年の損耗はゼロだぞ? どういうことだ? それどころか最近は予算が余っているではないか。そうだ、最近の買い入れにサインしたのを覚えているぞ。確か…………若い元冒険者だ。それに近年は若い男を九、女を一ぐらいの割合で入れている」


「そうです」


「……ふむ……ゼロか。先代の負債も大分返し終えた。出来ることならわたしの代でと考えていたが、近年にも達せそうではないか。奴隷だから百に千にと使い潰していた先代に比べれば、見ろ。桁が三つは違うぞ。ふははは、しかし上手くいったな」


「そこですね」


「うん?」


「損耗がないということは、買い入れる必要がないということです。解放されるということは、買った奴隷から損が出ていないということです」


「良いではないか? 解放された奴隷は民へと戻る。民が増えれば我が領も更に富むというものだ。税収が増えるからな。喜ぶべきことだ」


「そこにこいつが関係しています」


「なに?」


 今まで良い感じに柔らかくなってきていた旦那様の表情に亀裂が。ギロリと睨み付けてくる視線は、まだ生きていたのかと言いたげなものだ。


「奴隷には罰がつきものです。しかし罰を受ければそれは損耗に繋がります」


「…………そうだな。しかし引き締めと秩序の為には必要だろう。罰を与えん訳にはいくまい」


「ええ、ですから罰は与えています。先代が特注したあの鞭で、元冒険者が力一杯に」


「…………益々わからん。あの鞭で力の限り打たれたというなら、一回で背中の皮は剥げ、二回で血肉が削られ、三回に達しようものなら意識も飛ぶ。ジークが健常な事と、損耗がゼロということがどう関係してくるのだ?」


「頑丈なんです」


「……頑丈? こやつがか?」


「ええ、そいつは頑丈です。とんでもないレベルで頑丈です。鞭を百受けようと、次の日の朝には仕事を受けに食堂にいるような奴です。俺はご主人様が買われた奴隷の損耗を減らす為に、こいつに積極的に罰を受けさせていました。秩序をしっかり保つ為に、奴隷の誰かを立ち会いにつけて、その罰がどれ程厳しいのかを他の奴隷に理解させながら。他の奴隷にも、稀に一回叩くなどの引き締めを計って」


 初耳なんですけど?


 奴隷頭の説明を噛み砕こうと、旦那様は書類を見つめながらもそれを見ずに考えに耽る。


「……………………ん、んん、ん。待てよ。それと奴隷の損耗には繋がらんだろう。こやつが頑丈なのはわかった。まだ納得はいかんが、こうしてここにいるのだ。こやつは生半可な罰では痛まない事はわかる。だが、奴隷全体がそうではあるまい? 奴隷には仕事を負わせている。仕事をこなせぬなら鞭を受けるだろう? 風邪を引いていようと体調を崩そうとそれは関係のないことだ。そこは厳しくしてあるではないか」


「そうです。仕事をこなせないのなら、罰を受けます」


「…………受けたのなら、体力のない老齢の奴隷や女は痛む。損耗が出る。ジークとは関係ないように思えるが? まさか他人の罰の肩代わりなぞさせてはいまいな?」


「それはありません」


「ならば何故だ?」


「そいつが、倒れた奴隷の仕事を代わりに受け持つからです。おかげで他の奴隷が罰を受けることがなくなりました」


「な?!」


 うん? そんなに変な事ではないと思うんだけど…………旦那様が絶句しているところを見ると変な事なんだろうか?


「それはご主人様も認められていることです」


「…………確かに認めている。奴隷の仕事の全体的な進捗はお前に、一人一人に割り振られた仕事は個人に、責任を持たせるように決めた。しかし、誰かの仕事を手伝って自分の仕事が疎かになれば、罰を受けるのは自分だぞ? 誰がするのだ、そんな得のないことを。受ける罰は残る仕事に対して段々と重くなっていく。一人分ぐらいなら請け負う事も出来るかもしれんが…………何人分も負担して自分の仕事が出来ねば首を飛ばす罰になろう? 奴隷なんぞ、一日に何人倒れると思っているのだ。一人でカバー出来るものでは…………」


「二十七人分です」


「何がだ?」


「そいつが過去にこなした仕事の中で、最も肩代わりした人数が多かった日の一日の仕事量です」



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― 新着の感想 ―
[一言] セバスのセリフ内にある「稀に見ない例」について、誤字報告しましたが、「ない」という語感を重視したいばあいは「滅多に見ない例」または「滅多に見られない例」などで置き換えられるかなと思います。
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