第七十九話:イガグリ坊主(王様)の首を絞める
2020/11/01 誤字訂正
深夜。
私が、ベッドで寝ていると、誰かが扉の外に立った。
何だか不気味な雰囲気がする。
勝手に扉が開いた。
ダークスーツの男が立っていた。
「お前はナイアルラトホテプ!」
「何だ、やっと俺の名前を覚えたのか、プルム・ピコロッティよ」
「あんた、確か、十万年後に戻って来るって叫んでたじゃないの」
「十万年後も一年後も、俺様にとっては似たようなもんさ」
「何の用!」
「お前を殺しに来たに決まってんだろ」とナイアルラトホテプは体を変化させ、手が鉤爪状態、頭から体が縦に半分に割れる。
事務次官用の宿舎の高い天井まで巨大化するナイアルラトホテプ。
襲いかかって来る。
絶体絶命!
そこで、目が覚めた。
こんな夢をよく見る。
忘れっぽい私だが、さすがに、あの恐ろしく醜い姿は、トラウマになっている。
と言って、天然女神にしゃべるわけにはいかないな。
こんな怖い話をしたら、クラウディアさんがショック死してしまう。
最近、眠れない。
不眠症だ。
耳が痛い。
フランコ長官は亡くなったので、もう怒鳴る人はいないのだけど。
目も痛いし、頭痛がする。
首も痛いし、肩も背中も痛い。
お腹の調子も悪いし、息が突然詰まったりする。
たまに眩暈もするし、突然、不安になったりする。
やる気も出ない。
散々、ドラゴンキラーと呼ばれて、こき使われた結果、体がおかしくなったのか。
それとも、これがうつ病というやつなのか。
賄賂事件を解決したバルドが表彰されることになった。
「あーキミ、キミ、今回の働き、褒めてつかわす」
「ありがたきお言葉、光栄の至りでございます」とバルドがお礼を言っている。
「あーそれから、キミ、今日から警備長ね、ヨロシクー!」
警備長って、大隊長の上か。
バルド出世したなあ。
ところで、何で私も呼ばれるのかと不思議に思っていたら、イガグリ坊主(王様)に
「あーそれから、キミ、キミ、賄賂貰ったんでクビね、ヨロシクー!」と言われた。
なんだと!
ふざけんな! 散々こき使ったあげくクビかよ、このイガグリ坊主!
それに、私は賄賂なんて受け取ってないぞ!
あれ、今、イガグリ坊主がニカーと笑ったんだけど、歯が全部ピカピカだ。
忘れっぽい私でも、クーデターを鎮圧した時の表彰式で、双眼鏡で見たあの顔は忘れないぞ。
前歯二本欠けてたし、他の歯もガタガタだった。
歯の色も汚かった。
今はピカピカ、こいつクトルフだわ。
ラスボスだ!
「このクトルフめ、覚悟しろ!」と私はイガグリ坊主(王様)に飛びかかる。
「ヒエー! 助けてー!」と逃げる王様。
口から入れ歯が飛び出し、イガグリ坊主はフガフガ言ってる。
やばい! 入れ歯かよ!
いいや、もう!
「だいたい、クーデターが起きたり、情報省の役人が殺人に関わったり、やたら汚職とか蔓延するのはあんたに人望がないからよ。『働いたら負け』ってなによ!」と自分のことを棚に上げて、イガグリ坊主の首を絞める。
王様の護衛兵に取り押さえられた。
気がつくと、事務次官用の宿舎の床で寝ていた。
王様に襲いかかったんだから、普通は死刑ね。
だけど、皇太子妃様、ご懐妊ということで恩赦になった。
他にも、クラウディアさんとサビーナちゃんの必死のとりなしで、なんとか死刑は逃れた。
ありがとうございます。
どうやら、新官房長官が慣れてないので間違った書類を渡してしまった。
王国安全企画室と情報省安全調査室を間違えたようだ。
あのイガグリ坊主(王様)も、何も考えないで、それを読んだ。
もうボケ老人ね。
まあ、いきなり襲いかかった私も悪いけど。
死刑は逃れたが、クビは決定。
ナイアルラトホテプとの戦いがトラウマになって寝不足で、ボーッとしてましたって言い訳は全然通用せず。
懲戒免職。
退職金も無し。
無職になった。
やけ酒ついでに賭博場。
持ってるお金、全部つぎ込んでパーにした。
用心棒と久々の大喧嘩。
賭博場から、叩きだされて終わり。
無一文になった。
さて、昼頃起きた。
シャワーを浴びる。
さっぱりした。
全身鏡で自分の裸をあらためて見る。
昔とほとんど変わってない。
変わってないって、まさか、お前はクトルフかって? フフフ、そうよ。
よく分かったわね。
実は私はクトルフ。
「あたし」から「私」になった時点でクトルフに変身したのだ。
私は呪文を唱える。
「クトルフ、クトルフ、リワオー! グスウモー! ウトガリー! アテー! レクデンー! ヨデマゴイー! サヲツー! セウョシイー! ナラダクナー! ンコー! ラナー! ルイガー! トヒタイデー! ンヨシモー!」
疲れた。
ふう、子供っぽいことはやめるか。
いつまで経っても、子供っぽい。
外見も中身も。
独身だからかなあ。
アデリーナさんもサビーナちゃんもミーナさんもすっかり大人。
子供がいるからかな。
だいたい、クトルフが顔のシミを気にしたり、依存症患者の集会に出るわけないぞ。
私がクトルフだったら、お話が根底から覆るじゃない。
そういうオチのホラー小説を読んだことはあるけどね。
やれやれ、来年は三十路だ。
うら若くもない三十歳の崖の下に落っこちた乙女になる。
もう、どうでもいいや。
とにかく、私以外、私の裸なんて誰も見ないしー!
私は仕事一筋に生きることに決めたんよ。
仕事ってなんだって? シーフよ! 泥棒よ! 本業再開よ!
最初の仕事は、こうなったらイガグリ坊主(王様)が大切にしているとか言う王宮の宝物を全部盗んでやる。
実は王宮内部の図面をすでに取り寄せてある。
全て調べ上げてあるからね。
あのイガグリ坊主(王様)に目に物を見せてやる!
もう、「私」はやめて「あたし」に戻るぞ。
さて、パジャマに着替える。
昨日の酒が残っている。
口の中が気持ち悪い。
歯磨きをする。
ありゃ、アホ毛がまた立ってる。
どうでもいいや。
あたしは寝るぞ!
泥棒でも仕事しろよって? いいんだよ! とりあえず、二度寝よ、二度寝。
働いたら負けはやめたんだろって? 今日できる事は明日も出来るんよ。
追い出される時は、この部屋で大暴れしてねばってやる。
と考えていたら、ノックの音がした。
ちぇ、もう来たか!
「開いてるよ~」
扉が開くと、あら、バルドだ。
なんだか、私服だけどパリッとした恰好。
「あ、ごめん」とパジャマ姿のあたしを見て、バルドはいったん開けた扉を閉めようとする。
「いいよ、入って」
花束、ああ送別って意味ね。
引導を渡しに来たのか。
知り合いのバルドなら、あたしが暴れないとの配慮ですか。
ん、バルド、なんだか、緊張しているぞ。
トイレにでも行きたいのか?
突然、バルドが言った。
「プルム、ずっと前から好きだった。結婚してくれないか」
えー! マジ! マジ! ホントー! ふざけてるんじゃないの? いや、バルドの顔が大真面目。えー! どーすんの! どーすんの! どうすればいいの。バルドってあたしにとって、空気みたいな存在だったけど。いや、リーダーがイケメン過ぎて、気がつかなかったけど、バルドもそこそこいい男じゃん。あたしと背が違いすぎるけど、それはまあ大丈夫ね。年齢はあたしより一歳上。全然問題無し。バルドの趣味は確か、ジグゾーパズルと貯金。地味だなあ。
ん、何故か鼻くそをほじくってるブサイクな男の顔が浮かんできた。
今は亡きチェーザレだ。
急に思い出したぞ。
チェーザレの言葉だ。
『高望みすんなってことだよ。人生、妥協することも大切だぞ』
そうよね。
人生、妥協が大切! 妥協、妥協と。
あれ、けど、バルドって、大企業の社長の息子で、確か遺産貰ったって言ってたな。大金持ちじゃん。貯金が趣味だし、仕事も警備長になって出世頭。妥協どころか、玉の輿だぞ! けど、心配だ。スラム街出身の孤児、懲戒免職くらって無職、無一文のあたしなんて大丈夫かね。バルドの親に猛反対されそうだ。いや、ここで既成事実をつくってしまえばいいのよ。まあ好きでも嫌いでも無いしね。けど、気は合うし。仲良しだし。よーし、もう、こいつでいいや! よっしゃあ! 結婚だあ! 結婚だあ! 三食昼寝付きだあ!
以上、あたしはすばやく頭の中で、一秒で計算した。
ちょっと待ったー! え? おい、こら! ふざけんな! お前の恋愛至上主義はどうしたんだって?
愛がない人生なんて生まれてきた意味ない。
愛こそ、この世の至上の宝。
愛のない男女関係なんて信じられない、とか偉そうに言ってだろって?
純愛! 純愛! 相思相愛! とかやたらわめいていただろって?
何だよ、大金持だー! ってはしゃぎやがって!
愛は金で買えない! とかも言ってただろって?
好きでも嫌いでも無しってどういうことだって?
こいつでいいやって何だよって?
純愛原理主義者じゃなかったのかよって?
お前は、この期に及んで、お話を根底から覆すつもりかよって言いたいのでございますか?
そうね、十代の頃は恋愛至上主義のあたし、純愛にあこがれていたあたし。
「愛があれば何もいらない」とか言ってた十六歳の乙女だったあたし。
だけど、今は二十九歳の乙女なんだな。
もうあたしは大人なんよ。
これでいいんよ!
さて、男性から告白されたのなんて初めてなんで、どう対応すればいいのかわからない。
女性からはあったけどね。
どう返事しようか? と考えていると、
「プルム!」とバルドにいきなり抱きつかれた。
「ちょ、ちょっと、待って、あっ……」
ああ、もういいや、好きにして。
あたしとバルドはベッドに倒れこむ。
その時、あたしは思った。
歯磨きしといて良かったと。




