第七十七話:クトルフとの最終決戦
パオロさんはびっくりしている。
「い、いきなり何を言うんですか、プルムさん」
「パオロさん、あなた、なんで犯人はドラゴンペンダントを持って逃走したって知ってるの。パオロさんならドラゴンペンダントなんて知らないはずだけど」
「それは、さっき、フランコ長官がボート屋に入る前に教えてくれたんですよ」
「じゃあ、ポケットの中身を見せてくれる。なんだか膨らんでいるんだけど」
私がパオロさんをおかしいと思いはじめたのは二年前。
第一子育休中のサビーナちゃんが夫のダリオさんと一緒に、安全企画室へ挨拶に来た日からだ。
パオロさんがいつも通り、ブランドものチョコレートの箱を持って、官報整理を手伝いにきた。
そこまでは普通だったんだけど。
その後、フランコ長官とクラウディアさんが入ってきた。
私は、これはまずいとその時思った。
クラウディアさんのことを好きなパオロさんが、またきょどってチョコを全部食べてしまう。
そうすると、私の食べる分が無くなってしまう。
早く、チョコを隠さないと。
しかし、パオロさんはなぜか無反応だった。
おかしいなあ、以前なら、クラウディアさんを一目見ただけで、バクバクとチョコを食べていたはずだ。
ただ、フランコ長官も居たので、遠慮したのかなとも、その時は思った。
その後、私は官房長官室に呼ばれたのだが、その前にトイレに行って用を足した後、再び、安全企画室に行って、ミーナさんに声をかけつつ様子を見てみた。
チョコレートの箱の封が開いてなかった。
おかしい。
いつものパオロさんだったら、勝手に自分で開けて、食べているはずだ。
その後、フランコ長官との話が終わって、部屋に戻ってみると、パオロさんはすでに帰った後だった。
やはりチョコの封は開いてなかった。
私は封を開けて、釈然としないままチョコを食べた。
ただ、その時はそんなに深刻には考えていなかった。
単にお腹を壊していたのか、それとも、ついに糖尿病かなにか病気にでもなって、医者にチョコレートとか甘い物を制限されたのかと思った。
その後も、何度かパオロさんは官報整理を手伝いにきて、毎回チョコを持ってくるのだが、食べることをしない。
パオロさんなのに、パオロさんじゃない。
実は気の弱い私。
何とも不気味な感じがして、本人に聞けなかった。
しかし、それ以外は全く普通なので、そのままにした。
私の悪い癖、「今日出来ることは明日も出来る」が発動してしまった。
サビーナちゃんとミーナさんが同時に産休に入った時、安全企画室に異動してきたパオロさんに私は聞いた。
「ところで、パオロさん、体調とか大丈夫? 病院とか行ってるんですか」と。
「しょっちゅう行ってます。官房長官室はもう仕事が忙しくて体がボロボロですよ」とパオロさんは答えた。
その答えに一応納得したんだけど。
ついにチョコも食えなくなったのかと。
しかし、昨日の夕方、共済組合に行って保険証を受けとった後、ついでにパオロさんの記録を調べてみた。
この二年間、全く医者にかかっていない。
一切、保険証を使っていない。
それ以前は、歯医者を筆頭に、やたら病院に行っている。
パオロさんはウソをついた。
本物のパオロさんならウソをつく必要は無い。
私は、すぐに情報省へ相談しに行き、ニエンテ村に来てもらうよう依頼した。
フランコ長官にもパオロさんの件を言おうか、以前から迷っていた。
しかし、もしかしたら私の全くの思い違いかもしれない。
ヘタしたらパオロさんの出世にもひびくかもしれないと、結局フランコ長官には言わなかった。
言えばよかったと、後悔している。
「って事なんだけど。あと、去年、アイーダ様を殺したのはあんたでしょ。あの日、パオロさんは見当たらなかった。魔法高等官が、頭のおかしくなったオガスト・ダレスごときに殺されるわけないわ」と私が言うと、
「ただのバカだと思っていたが、そうではなかったようだな」とそいつがニヤリと笑った。
いやらしい笑い方だ。
パオロさんはこんな笑い方はしない。
それに、バカは自覚しているので何とも思わない。
「パオロさんはどうしたの、どこへやったの」
「パオロ? ああこの眼鏡をかけていた奴か。グチャグチャにしてトイレに流したよ」とパオロさんを名乗るそいつは眼鏡を外して、地上に落とし、踏みつぶした。
パオロさんみたいないい人を。
こいつ許せん。
私は指を鳴らす。
情報省員が二十名現れた。
パオロさんのにせものを取り囲む。
「観念することね」
しかし、パオロさんのにせものがちょっと、指を動かす。
情報省員たちが吹っ飛ばされる。
全員あっという間に殺された。
私が驚愕していると、パオロさんがいない。
いつのまにか、目の前にはダークスーツを着た男が立っていた。
顔は整っているが、ニヤニヤといやらしく笑っている。
今、私は絶体絶命の状況にある。
私の味方は全滅した。
こいつは怪物だ。
恐怖で体が震えている。
私に残された武器はナイフだけだ。
「あんた、いったい何者なの」
「俺はナイアルラトホテプ。クトルフだ」
ナイアルラトホテプ。
聞いたことがある。
この長たらしくて覚えにくい名前。
思い出した。
このニエンテ村で退治されたモンスターだ。
「確か、ナイアルラトホテプは十二年前に冒険者たちに退治されてるはずよ」
「フン、俺様が人間ごときにやられるはずないだろ」
「あんたを倒した冒険者パーティはどうなったの」
「瞬殺したに決まってんだろ。あの洞窟で作業してたら邪魔しやがって」
「その後、私の仲間が洞窟に入ったはずだけど」
「面倒なので、殺した人間の一人に化けて追い返したよ」
あの時、私の仲間がさっさと戻って来たのはそのためか。
「何で私を殺さないの」
「俺の正体を見破ったご褒美だ。それに、今から面白い見世物があるんだよ。少しくらいギャラリーがいた方が楽しいんでね。ついて来な、殺すのはその後でいい」
私は仕方なくナイアルラトホテプの後をついていく。
こいつにはナイフは効かないだろうな。
湖近くの洞窟。
入り口の前には石造の祭壇のようなものが建っている。
よく見ると、その上にネクロノミカンが置いてあった。
「あれ、ネクロノミカンは、自動小銃でバラバラになったはず」
「それは、ニセモノだよ。そして、俺はドラゴンペンダントのニセモノをつかまされた。お互い様ってわけだな」
ナイアルラトホテプがドラゴンペンダントを投げる。
ペンダントが、まるで手品のように、スイーっとシアエガ湖の周辺にある十六本の塔の上にそれぞれ張り付いた。
「もしかして、ドラゴンペンダントを作ったのって、あんた?」
「違うよ。大昔のクトルフの誰かが作ったようだ。俺に作れるなら、わざわざ、パオロって奴に化けて、探したりする必要はないだろ。アイーダって婆さんが持っているのが、やっと分かって、ぶっ殺して盗んだんだよ。あのオガスト・ダレスを刑務所から脱走させて、罪をかぶせてやった。結局、ニセモノだったけどな。ちなみにあの貸しボート屋の地下の保管場所も、古代に他のクトルフが作ったみたいだ。こんな場所にドラゴンペンダントが隠してあるとはさすがの俺も気づかなかったよ」
クトルフが作ったのか。
人間が作ったわけではない。
だから、魔法高等官のアイーダ様でも無効化できなかったんだな。
十六本の塔の上のペンダントが光りはじめた。
十二年前は、確か五個だった。
私は、ドラゴン秘儀団が五芒星の魔法陣を作ろうとしたのを思い出した。
「あんたの目的は、再びレッドドラゴンを召喚することなの」
「レッドドラゴン? ああ、あの下等動物か。あんなもん召喚してどうすんだ」
山をも吹っ飛ばすレッドドラゴンを下等動物って、こいつの圧倒的な自信はどこから来るのか。
「前回は単なる実験だよ。今回が本番だ」
「十二年後に本番とは、気の長い実験ね」
「人間にとっては十二年でも、俺には十二分くらいだな」
「いったい、あんたの目的はなんなの」
「馬鹿の王アザトスの召喚だよ」
馬鹿の王アザトス。
昔、ルチオ教授が教えてくれた。
太古の地球を支配していたが、現在は姿を隠している異世界の者たち、この宇宙の真の創造主、目が不自由で、馬鹿の王アザトス。
ナイアルラトホテプがネクロノミカンにやかんの蓋のような鍵を押し当てる。
本が立ち上がった。
「この鍵はもういらないな」とナイアルラトホテプは鍵を片手で握り潰し、湖に投げ捨てた。
そして、わけのわからない呪文を唱える。
「クトルフ、クトルフ、ヨタキテー、レカツー、キジウョシー、カンナー! ガスデー! スクッマー! イラクー! ノツセウョシー! ノコー!」
シアエガ湖の上空に、巨大な光の輪が現れる。
その中央に黒い穴が現れて、どんどん広がって行く。
突然、酷い悪臭がしてきた。
洞窟の奥から、大量のモンスターの死骸が出てきて、黒い穴に吸い込まれていく。
「あれはアザトスを召喚するための生贄だな」
「最近、モンスターがいなくなったのはあんたのせいなの」
「そうだよ。殺してはあの洞窟に死骸を貯め込んでいた。アザトス召喚のためだ。このシアエガの塔は、クトルフ召喚のために使っていたようだな。お前たちにはモンスターかもしれんが、こいつらもこの世界のバランスに役に立っているのだよ。植物や動物もしかり。人間とは馬鹿な存在だ。自分たちでバランスを崩している。最近、文明がどんどん進んでいるだろう。おかしいとは思わなかったか。俺が導いてやったんだ。人間たちが進めた部分もあるがな。その文明のおかげで、自然がどんどん破壊されていく。世界のバランスは崩れていく一方だ。最終的に、人間には破滅しか待っていない。自分で自分の首を絞めてるようなもんだな。だが、俺の目的には合っている。この世界が混沌の渦に巻き込まれるのは見ていて、実に面白い。人間が右往左往するのを見てるのは楽しい。ネクロノミカンに興味を持って、狂った人間が出てくるのはさらに楽しい。だが、最近、人間の方でも気づく奴が出てきたな。さっき、貸しボート屋で殺した奴もそうだ。川の汚染対策とか自然と共存とか推進しやがって。あういう奴にはさっさと死んでもらうのが良い。ただ、他の人間たちも自然と共存とか言いだされると、俺の目的にはそぐわない。そこで、今度は馬鹿の王アザトスを召喚し、この世界を大混乱に導いてやる。混沌こそ我が墓碑銘だ!」
「そういう事だったのね」と私は答える。
けど、実は全然分かってない。
はっきり言って、こいつの言ってる事がさっぱり分からない。
私は頭が悪い。
それに、今はある事に集中している。
こいつは、どうやらドラゴンさんと違って、人の考えは読み取れないようだ。
間合いを詰める。
クソ、もう少しなんだけど。
上空の黒い穴から、巨大な蛸のような生き物が姿を現し始めた。
「見ろ、アザトスが姿を現したぞ」と嬉しそうにしている怪物。
「さて、そろそろお前にも死んでもらうかな」と怪物が笑っている。
クソ、もうちょっとなんだけど、こいつが邪魔なんだな。
こうなったら、案ずるより生むが易しよ!
勝負!
あれ、こいつの名前なんだっけ?
えーと、ナイアルなんだっけ?
こんなクライマックスに敵の名前を忘れしてしまった。
私は本当に頭が悪い。
なんだっけ?
ヒポポタマスだっけ?
そうだっけ?
もう、ヒポポタマスでいいや。
ヤケクソだ!
「かかってこい、ヒポポタマス!」
「俺はヒポポタマスではない! ナイアルラトホテプだ、一文字もあってないぞ!」
あれ、なんでこいつ怒ってんの?
名前を間違えたくらいで。
その時、あの懐かしい男の顔が私の脳裏に浮かんだ。
もう、この世にはいない男。
チェーザレだ。
『いいことを教えてやろう。相手が怒った時、その瞬間こそ、相手に隙が出来たときだ。そして、相手の一瞬をつく。分かったな』
私がまだ十七歳の頃だった。
そんな事言ってたなあ。
そう、この怪物の弱点はプライドだ。
チェーザレありがとう。
「うるさい、このヒポポタマス! お前なんかヒポポタマスで充分だ!」
「なんだとー!」とナイアルラトホテプがこっちへ、一歩踏み出した。
今だ!
私は両手を使って、ナイフを投げる。
ナイフはナイアルラトホテプに当たらず後方へ飛んだ。
「なんだ、今のは。全く外れているぞ」とナイアルラトホテプがせせら笑っている。
「あんたを狙ったんじゃないよ、後ろを見なよ」
ナイアルラトホテプが後ろに振り返った。
ナイフが十六本、ネクロノミカンの表紙のくぼみに刺さっている。
「しまった!」とナイアルラトホテプが慌てている。
しかし、ネクロノミカンは閉じて倒れた。
ドラゴンペンダントの光が消える。
上空の黒い穴が小さくなっていく。
この五年ほど、早朝にナイフ投げをやっていた成果だ。
前から、十六という数字が気になっていた。
ネクロノミカンの表紙には十六個の穴が開いていた。
シアエガの塔は十六本。
狼男は十六人。
昼間に動かせるゾンビは十六体。
シム・ジョーンズの教団のマークは十六本の足。
いずれネクロノミカンを閉じるのに役に立つこともあるかと思い、訓練していた。
まあ、実際は遊びも兼ねてたけど。
「こいつ、殺してやる」
ナイアルラトホテプが変身を始めた。
頭から体が縦に半分に割れる。
中から不気味な触手や形容しがたい臓物が現れた。
こんな醜い不気味なモンスターは見た事がない。
私に襲いかかって来る。
絶体絶命!
思わず逃げようとしたら、黒い穴から巨大な蛸のような足が飛び出て来た。
馬鹿の王アザトスか。
殺される。
と思ったら、なぜか、ナイアルラトホテプに襲いかかる。
ナイアルラトホテプを掴んで、上空に持って行く。
さすが、馬鹿の王アザトス。
敵と味方の区別もつかないのか。
いや、目が不自由だからか。
それともナイアルラトホテプが失敗したからか。
もしかしたら、仲が悪いだけかもしれないな。
「おのれ、プルム・ピコロッティよ、覚えてろよ! 十万年後にまた戻って来るからな!」
そう言い残して、ナイアルラトホテプはアザトスと一緒に黒い穴に消えて行った。
十万年後って、私はとっくの昔に死んでいるけど。
だいたい、人類そのものが存在しているかどうかもわからない。
まあ、その時は誰か対処するでしょう。
しかし、あのナイアルラトホテプが変身した姿の醜さはトラウマもんだな。
ふう、緊張した。
さて、ネクロノミカンをどうしよう。
こんな変な本は、シアエガ湖深く沈めてやろう。
この湖はすごい深いらしいし。
潰れたレンタルボート屋まで引きずっていく。
ちょうどいい壊れたボートがあった。
穴が空いている。
そのボートの上にネクロノミカンを置いて、湖に押し出す。
ボートはスーッと湖面を進んで行く。
少しづつ、沈んでいく。
しばらくして、一気にネクロノミカンごと沈んでいった。
私は、自動車に乗って帰ることにした。
疲れた。
情報省に連絡。
亡くなったフランコ長官と情報省員について報告した。
シアエガの塔の上のドラゴンペンダントの回収は情報省にまかせた。
後日、聞いたところによると、シアエガ湖の地下金庫に入れて、全体を完全に埋めて、永久に人が入れないようにしたそうだ。
え? 今回はお前の恋愛話が無かったじゃないかって? そうですね。まあ、今回はハードな展開だったからね。
一応、告白はあったけど。
依存症患者の集会での告白だけどね。
寮に帰って、ベッドに横になる。
ああ、何かもう、本当に人生に疲れた。
一生一人でいいや。
暗いね。
もう寝るよ。
次回から「第十四章 うら若きはまだまだこれからよ二十九歳幸せになる乙女/あたしは結婚するぞ編」に続きます。




