第四十七話:暴君になったあたし
失恋のショックで、もう何もする気が起きん。
例の正常化バイアスも全く起きないぞ!
もう、大隊長の職務なんてどーでもいいんよ!
ある日の事。
あたしは大隊長室の来客用の三人掛けソファで、うつぶせで寝ている。
大隊長室へ誰かが近づいてくる。
この足音は名無しの小隊長だな。
「大隊長殿、まことにすみませんが、決裁書類がかなりたまっているのですが……」と部屋に入ってきた名無しの小隊長に声をかけられる。
「申し訳ありません。けど、ドラゴンとか吸血鬼とか狼男とかクーデター鎮圧とか教皇庁での格闘で怪我した古傷が痛くて……」
おもわず敬礼する名無しの小隊長。
そうだ、この方はかの有名なドラゴンキラーなんだ、王様から三回も表彰されている凄い人なんだという顔で去っていった。
実際はたいして活躍してないけどね。
もう、何もかもが面倒くせーよ。
仕事なんてする気もせん。
ん、また誰かが来た。
このいいかげんなチャラチャラした足音は、チャラ男ことロベルトだな。
この大隊で一番どうでもいい奴だ。
あたしは、うつぶせ寝はやめて、仰向けになる。
扉が開いて、ロベルトが書類を持って入ってくる気配がする。
「なにソファでだらんと寝ているんすか、さぼっちゃいかんすよ、プルム大隊長殿」といつものようにヘラヘラしている。
やっぱりチャラ男か。
「うるせーよ!」目も開けないひどい態度のあたし。
鼻をかんで、そのちり紙を丸めて目を閉じたまま、チャラ男の顔目がけて投げる。
「痛い! 何するんすか、顔に当たったすよ」とロベルトが怒っている。
あたしのシーフの勘も鈍っていないようだ。
ってひどいね、あたしも。
自分が、赤ひげのおっさんに丸めた紙を顔面にぶつけられて激怒したのに、それをロベルトにやっているという。
我ながら、最低ですな。
まあ、他の隊員には一切しないけどね。
ロベルトだけ。
いじめているみたいで、なおさら悪いか。
けど、強心臓のロベルトなら大丈夫だろうと勝手に思う、いい加減なあたし。
「そうだ、チャラ男。あたしのかわりに決裁せい」
「へ? 無理っすよ。筆跡が違うじゃないすか」
「机の上にスタンプがある。それを使え」
「何すか、これ」
「決裁スタンプだ。いいから、それを使って決裁しろ、チャラ男」
「こんなの使ってたんすか、いい加減っすねえ」
「お前ほどいい加減ではない」
「何すかそれ」
ん、今持ってきた書類を未決済の方の箱に入れやがったな。
耳で聞いているだけで分かるぞ。
目を閉じたまま、チャラ男に指示する。
「おい、チャラ男、今置いた書類にもサインハンコを押すように」
「は? この書類見てないじゃないすか」
「見たよ、さっさとスタンプ押してくれ」
「何言ってんすか、この書類は今持ってきたんすよ!」
「いーんだよ、さっさと押せ、チャラ男!」
「なんで俺っちが押さなきゃなんねーすか」
「この大隊で、あたしよりいい加減な奴はお前だけだ」
「どうゆう理由っすか」
「押さないと、降格だぞ」
「もう、しょうがないっすねー!」
大隊長の机に座ろうとするロベルト。
「おい、チャラ男、生意気だぞ。そこに座るな!」とまた目を瞑って、紙を投げつける。
「痛い、また何するんすか」
またチャラ男の顔面にヒットしたようだ。
しかし、本当に最低だなあ。
人間としてどうかしてるなと自分でも思う。
人間失格。
これも失恋したせいだ。
って、やっぱりひどいね。
自分の個人的な感情を他人にぶつけるのはよくないぞ。
けど、ロベルトならいいかと思う、本当にどうしようもない最低なあたし。
こんな最低女に恋人なんて出来るわけないな。
やれやれ。
ロベルトがブツクサ言いながら、ソファの前のテーブルに書類を置いて、スタンプを押す。
うーむ、しかし、本当に酷い上司だ。
パワハラで訴えられそうだ。
実は気が弱く、姑息なあたしは急に心配になる。
一応、謝るか。
「ごめんね、ロベルト」
「へ? なんのことすか?」
うーん、ロベルトは怒っていないというか、全く気にしていない。
それとも、もう忘れたのか。
チャラ男のこのメンタルの強さを見習いたい。
それとも、突如、思い出して復讐されるのか。
怖いよー!
って、いいや、復讐されても。
もう、どうでもいい。
あたしはフランチェスコさんの件で、もう人生どうでもいいやって感じなんよ。
やれやれ。
「ところで、ジェラルドさんとはうまくいってんの」とだらんとソファで寝そべって、目を瞑ったまま、ロベルトと話す。
「バッチリっす。プルム大隊長殿には大感謝っすよ。今度、家を建てるっす。二人で住むっす」
嬉しそうなロベルト。
二人で家を建てて住むのか。
いいなあ。
チャラ男が、やたら家の事をベラベラと喋る。
「ロフト付きで三階建てっす。あと、寝室はでっかいダブルベッドにするつもりっす」
そのベッドで、ジェラルドさんと一緒に寝るわけか。
うーん、想像したら、ちょっと気持ち悪くなった。
いや、差別はいけないけど。
それにくらべ、あたしはいつも冷たいベッドで一人きり。
ああ、悲惨。
もう何もする気が起らん。
「それにしても、その若さでよく家を建てられるね」
「まあ、二人でなんとかローンを組んで建てるんす。ちょっと、苦しいすね。プルム大隊長殿のような高給取りではないっすから」
あたしって、高給取りだっけ。
貯金、全くないけど。
給料入ったら、即行で、賭博場に行っちゃうからなあ。
こんなギャンブル依存症女に恋人なんて出来るわけないな。
やれやれ。
ん、また誰かが来る。
ヒールの音だ。
これは女性だな。
うーん、この足音、記憶にあるぞ。
誰だっけ。
寝たままだと失礼なんで、一応、ちゃんとソファに座り直して、目を開ける。
ノックの音がした。
誰だろう。
「どうぞ、開いてますよ」と声をかけると、
「失礼します」とえらい美人が入ってきた。
おお、例の自称吸血鬼ハンター、ルチオ教授の研究室の学生さんで、卒業後は舞台女優になったアナスタシアさんではないか。
「プルムさん、ご無沙汰です」
「お久しぶりですね、アナスタシアさん。おい、どけ、チャラ男!」
すっかり暴君状態のあたし。
もう赤ひげのおっさんよりひどい。
チャラ男をソファから無理矢理どかせる。
「なんなんすか」
「大隊長の机で仕事しろ」
「さっき、座るなって言ったじゃないすか」
「いいから座れ、チャラ男! おっと、その前にアナスタシアさんにお茶を出すように」
「もう、しょうがない大隊長殿っすねえ」
ブツクサ言いながら、書類を持って大隊長の机に移動するチャラ男。
お茶を出すロベルトを見ながら、ひどい大隊長だなあと自分でも思う。
ああ、これもフランチェスコさんとの純愛が成就できなかったからだあ!
さて、それはともかく、
「ところで、アナスタシアさん、ご用はなんでしょうか」
「実は、今度の舞台の宣伝に来たんですが、今、よろしいですか」
「はい、どんな演劇ですか」
「プルムさんが主人公なんですよ」
「へ?」
「題名は『ドラゴンキラー』です」
例のニエンテ村のレッドドラゴン事件を題材にしたらしい。
おいおい、いつの間に舞台化されたんだよ。
あたしは、全然聞いてないぞ。
「もしかして、アナスタシアさんがプルム大隊長の役っすか」とロベルトが聞く。
「そうですけど」
「ウヒャヒャ、美化しすぎですよ。一千万パーセント違うじゃないすか」とゲラゲラ笑うチャラ男ことロベルト。
サッとシーフ技でロベルトの後ろに回り適当な決裁書類で頭をパシパシ叩く。
「痛い、痛いっすよ」
「うるさい、チャラ男!」
大隊長室を逃げ回るチャラ男を追いかけ回す。
アナスタシアさんに止められる。
「というわけでチケット五枚持ってきたんです」
「わあ、ありがとうございます」
五枚って、あたしとリーダー、バルド、アデリーナさん、サビーナちゃんの分かな。
「ポスターも一枚持ってきたんですが、掲示板に貼ってよろしいですか」
「どうぞ、どうぞ」と言いつつ、そのポスターを見る。
美人のアナスタシアさんが剣をかっこよく構えていて、複雑な気分になったりする。
チャラ男の言うとおりえらい違いやね。
「ところで、宣伝とは別に、ご相談があるのですが……」
ん、なんだか、急に深刻な顔をしているアナスタシアさん。
「どうかされたんですか」
「実は、変な手紙が送られてきたんです」と紙を広げてテーブルに置く。
『お前が端役の頃から応援してやったのに。握手してやったら、喜んでいただろ。有名になったら、無視しやがって。この娼婦、次の舞台で殺してやる』
「こりゃ、明らかに脅迫状ですねえ。犯人に心当たりとかはあるんですか?」
「それが、全然分からないんです。握手とか書いてありますが、けっこうファンの人たちとか、大勢の人と握手したんで、いちいち覚えてません」
「この脅迫状は、いつ頃来たんですか」
「一か月前です」
「何か、その頃、周りに変化とか異常とかありましたか」
「そうですね、芸能関係の新聞記事で『恋人発覚』とか書かれてしまいました。相手は前から付き合っていた人で、隠していたわけではないんですけどね」
恋人か。
いいなあ。
まあ、こんだけ美人なら、恋人がいて当たり前だけど。
「うーん、もしかして、アナスタシアさんのファンが、その記事を見て、怒って、この脅迫状を出してきたんですかねえ」
「多分そうじゃないかと周りのスタッフも言ってます」
これは、いわゆるストーカーかな。
ファンだったけど、彼氏がいるのがわかって、可愛さ余って憎さ百倍ってやつかな。
芸能人は大変だなあ。
つーか美人さんも、人生それなりに大変なのかなあ。
あたしなんて、ストーカーとか全く心配する必要ないもんな。
「この演劇って、次回はどこで上演されるんですか」
「国立劇場です」
おお、国立劇場って、この首都最大の劇場ではないか。
アナスタシアさん、いつの間にか大スターになっとる。
けど、国立劇場って、確か北地区にあったな。
「北地区の警備隊には相談はされなかったんですか」
「それが、相談しても、民事不介入の原則とか言って、相手にしてくれないんです。今のところ、この手紙一枚だけ送られてきただけなんで」
この場合は民事ではないんじゃないのかなあ。
やる気ねーなあ、北地区警備隊は。
ってあたしに言われたくないか。
仕方が無いので、あたしの方から北地区の大隊長に電話して、どうやら、劇場を警備してくれることになった。
「ありがとうございます、プルムさん」
「いえいえ、舞台楽しみにしています」
アナスタシアさんは何度も頭をさげて、お帰りになった。
ふう、疲れた。
仕事しちゃったよ。
また、ソファで寝そべる。
「ところで、大隊長殿」
「何だ、チャラ男」
「なんで、俺っちには厳しいんですか」
「さっき言っただろ、この大隊であたしよりいい加減なのはお前だけだ。これからもビシビシと厳しくするからな」と偉そうなあたし。
「ひええ」
すっかりパワハラ上司になってしまった。
もう、最低ですね。




