第十七話:ネクロノミカン
さぼったり、昼寝ばっかりしていたら、もう秋だ。
巡回中、こじんまりとしたパン屋『ブルット』の前を通る。
腹が減った。
ここで買い食いでもしよっと。
このパン屋さんの真向かいに、大邸宅がある。
あれ、その大邸宅の壁が、半分くらい真っ黒に塗られていることに気がついた。
今もペンキ屋が、二人で壁を黒く塗っている。
パン屋のバイトのお姉さんに聞く。
「このお屋敷の壁、こんなに真っ黒だったっけ」
「最近、住んでいる人が代わったみたい。そしたら、急に壁を真っ黒に塗り始めたのよ」
ふーん、いわゆるゴス趣味ってやつかな。まあ、別に法律違反じゃないから、どうでもいいけど。
フィッシュバーガーを食べながら、黒い家を眺めていると玄関前に馬車が停車して、何やらデカい箱を家の中に入れている。
引っ越し業者かな?
小太りのおっさんが指示しているけど、このおっさんが家の主かね。
まあ、どうでもいいや。
パンを食い終わったので、また散歩、じゃなくて巡回を再開。
巡回から戻ってきたら、珍しく、市民から直接盗難届があった。
普通は、自警団から報告が来ることが多いんよ。
自警団は大昔からあるから、よく現場を知っている。事後報告も多いし、自警団の中でうまく解決しちゃう場合もあるらしいんよ。
住んでる場所はあたしらの分隊区域なんで、あたしが対応する。
小太りのおっさんが窓口に立っていた。
「どうされましたか」とあたしが聞くと、
「本を盗まれました。本の題名はネクロノミカンです」
「え? 何ですって?」
「ネクロノミカンです」
本の題名は『根暗な蜜柑』か。
変わった題名ね、純文学かな。
「本の体裁はどのような状態ですか」
「大きい本で重いです、大人が抱えるぐらいの。全体的に黒いですが、表紙に金色で五芒星が大きく描かれています。一見すると箱みたいにも見えます」
五芒星って、星の形をしたデザインだっけ。
「画集みたいなものですか」
「内容はちょっと……」
「はあ」
何か怪しいぞ、このおっさん。
「あなたのお名前は」
「オガスト・ダレスと言います」
あれ、このおっさん、さっきの黒い家の前で業者に指示していた人じゃないかな。
親の形見で、貴重な本なので取り返したいとのこと。
額に汗かいて、何だか焦っているぞ。
デルフィーノさんに相談する。
「何だか、でっかい本を盗まれたようなんですけど」
「じゃあ、プルムさん、現場に行ってみよう。アギーレ君とバルド君も一緒に同行してくれないか」
「はい、分隊長殿」とリーダーとバルドが立ち上がる。
やった! 両手に花、じゃなくて、両手にイケメン! プラス、フツメン。
ふざけんな! 仕事しろって? すんまへん。
オガストさんの自宅へ行く。例の壁を真っ黒に塗っている大邸宅だ。
ペンキ業者が、まだ残りの部分の壁を真っ黒に塗っている。
家の中に入ると、怪しげな本がどっさりある。
オカルト趣味か。
「古代の神の研究家なんです」とオガストさん。
本だらけ。
と思ったら、でっかい水槽があって、クラゲが何匹か泳いでいる。クラゲを飼うのが趣味なのか、オガストさん。研究の合間に見て、疲れを癒しているのかな。
おっと、隣の水槽には蛸がいる。蛸みて癒されるのかね。
あ、電話機があるぞ。さすが金持ち。
「今日の午前中に絵画を三点、二階に搬入したんです。その間に、一階に置いてあった本が盗まれました」とオガストさんが証言する。
みんなで一応、二階にも上がると、絵がいっぱい飾ってある。
どれも、みなグロテスクな絵。
何だか蛸みたいな、変な気持ち悪い生き物の絵ばっかり。
蛸飼っているから、蛸好きなのか。
まあ、別に法律違反じゃないけど、オガストさん趣味悪いなあとあたしは思った。
「絵を搬入する代わりに、本を盗んだんじゃないですか」とリーダー。
「いや、信用できる業者なんで、それはないかと思います」とオガストさん。
その部屋は特に異常はないので、一階に戻り、本棚を見る。
本棚の目の前に行くと、
「何か黒いペンキのような小さい汚れがあるぞ」とデルフィーノさんが床を指す。
まさか、ペンキ屋が犯人?
外に出て、ペンキ業者に声をかける。
「何の用だ」
いかにも悪役って顔してるおっさんだ。
「住人のオガストさんが本を失くしたんですが、知りませんか」
リーダー、そんな風に聞いても正直に答えるわけないぞ。
「お前が盗んだんだろ!」とリーダーの背中に隠れて、テキトーに言ってみるいい加減なあたし。
「死ね!」といきなり、男が襲いかかってきた。
気の早い犯人やね。
手にはちっこい果物ナイフ。
もう一人が後ろから出てきて、でかい剣を持って、あたしに襲いかかってくる。
すると、デルフィーノさんがさっと、あたしの前に出て、サーベルを矢継ぎ早に繰り出し、あっさりとサーベルで男の剣を叩き落とし、首筋にサーベルを突きつけた。
「死にたくなければ降伏しろ」
デルフィーノさんかっこよく泥棒をつかまえる。
デルフィーノ様、素敵! と叫びたくなった。
おっと、安物果物ナイフを持った悪漢に対して、リーダー苦戦中。
プルム、助太刀に参ります。
さっと泥棒の背後に回り、股間を蹴り上げる。
泥棒が股間を押さえて転げまわっているところを、手錠を掛けて逮捕。
一丁、上がり。
バルドはボーッとしてただけ。
「ちょっと、バルド、なにボーッとしてんの!」とさぼり魔のくせに、あたしは偉そうに文句を言う。
「ああ、ごめん。急にはじまったんで、正常化バイアスになった」
「なにその正常化なんたらって」
「正常化バイアスとは、予期しない事が起きた時、『ありえない』という先入観が働き、物事を正常だと認識しちゃうんだ」
へー、さすが大卒のインテリ。
けど、何か言い訳にしか聞こえないような。
よく冒険者やってたなあ。
家の周りを捜索すると、裏口の扉がちょっと分厚い。
本が扉にくっ付けてあり、壁と同じように黒いペンキが塗られている。
はがしてみると、この本、随分と重い。
おまけに、本のカバーに鍵が付いていて、開けないようになっている。
中を見れないじゃん。
他にも変な細工があって、本の表紙に円形状に複数のくぼみがある。
これはダイヤル式のような特殊な鍵かな。
ずいぶん厳重ね。
背表紙の題名も、外国の文字のような字で書いてあって読めない。
何だか、怪しげな本ね。
まあ、あたしのシーフ技を使えば簡単に開けられる。
けど、やめておこうっと。
シーフの勘よ。
中身は十八禁のエロ本だと思う。
どうりで焦ってるわけだ、オガスト・ダレスさん。
泥棒二人組には手錠をかけて腰縄つけて、バルドが連れて行った。
この本、重くて持てない。リーダーが手伝ってくれる。
優しいなあ。ああけど、まだ重い。
ほとんど歩けん。
「プルムさん、重そうだな。代わるよ」とデルフィーノさん。
「あ、けど分隊長殿に手間をかけさせるのは」とあたしが遠慮気味に言うと、
「いや、いいよ。代ろう」とデルフィーノさんが代わってくれる。
紳士だなあ、デルフィーノさん。ますます好感度アップかける二乗。
オガストさん宅の玄関へ持って行く。
「家の壁に置いてあるとは。ありがとうございました」
オガストさん、一人で本を持ち上げ、よろよろと歩きながら本を持って行く。
力持ちだな。
ボディリフティングでもやってるのか。
警備隊庁舎に戻って、ペンキ屋兼泥棒二人組に尋問したところ、一階に盗みに入ったところ、本に鍵が掛かっているので、貴重品だと思って盗んだらしい。
あんまり重いので、とりあえず扉に立てかけて、ペンキを塗って隠したそうだ。
大した事件じゃないな。泥棒は地下にある留置所に放り込む。
後日、裁判所に護送して終わり。
あたしが報告書を書くんだけど、あれ、本の題名何だっけ。
正確な名前忘れた。
うーん、うーん。
そうそう、『根暗な蜜柑』だ。あれ、違ったっけ。
いいや、どうせ、中身はエロ本だし。
報告書を書いていると、デルフィーノさんに注意される。
「プルムさん。さっきの事件だけど、いきなり犯人扱いはやめたほうがいいよ」
「はい、申し訳ありません。今度からは気をつけます」
けど、注意されても、嬉しいな! 嬉しいな!
お前はアホだって? アホです。




