第53話「Love Forever」
選ぶ事はたくさんしてきた、
だけど、選ばれるという体験は、あまりない。
それこそ、僕の人生だ。
情けないのは当然として、
選んでほしい人に選んでもらえる事は、本当に幸せな事なんだ。
おそらく僕の人生で、最も僕を選び続けてくれた友人はミドーだろう。
振り返ってみれば、学生時分の僕を選ぶ事自体、
相当な覚悟と勇気がいったろう。
そして、ミドーとバンドを組んだ。それからマッツンと出会った。
バンド活動は、
辛い事の方が多かったが、ほんの少しの幸福がその多さを上回った。
しかし、世はDTMの黎明期、僕でも感じ取れた。
僕らの目指している音楽に、必ずしもドラム、
下手な打楽器が必要ない事に。
もちろん、プロフェッショナルと呼ばれる域に達してるなら話は別だが。
僕くらいの演奏技術なら、下手に生音じゃない方がまだマシだ。
僕の演奏は、特別な「何か」をひとつも有していなかった。
なんでもいい。勢いでも技巧でもエモさでも安定さでもユニークさでも。
僕のドラムは大体が平凡以下としか断じえない有様だったんだ。
音楽で成功する道との対峙が迫られた。
ミドーもマッツンもみんな、その為に大勢のものを犠牲にした。
だからこその僕の現在地となる。
とはいえ、今日すら知れなくとも、
奇妙な満足がある事が、悔しくて、悲しい。
僕の周りの友人たちの背中はデカい。
だけどきっと、瞬間瞬間を、
みんな気が狂いそうなくらいの不安と平穏の中にはいるだろう。
みんなひとりぼっちなら、みんなひとりぼっちじゃない。
それが、僕のせかいの終わりだ。
強者は殺せる、弱者は殺せない。
しかし、両者には両者なりの優しさ、「らしき」ものがある。
もしもせかいがふたりぼっちになったら、
結局林檎はふたつに割って食べるしかないだろう。
本当のひとりぼっちは、神様と変わらない。
想像するしかないが、
感情といわれるものまで失くしてしまうのではないだろうか?
原点に帰れば、僕は友人たちから、友人たちの大切なものを奪った。
だから、奪われた。それだけだ。自業自得。
また、これからにもてんやわんやになるだろうけれど、
自我を消せない限りの褒美と刑罰だ。
飢え死にを達成できる程の覚悟はまだもてないから、色に悦ぶ。
生かせてもらえるうちは逝かない。
来るべき希望と絶望の足音が、いつも、お部屋でチクタク鳴ってる。
僕の創作は蝋燭に火を灯したり消したりして、
「まだ生きてるよ」って役目がありさえすれば、
内容なんてそんなにこだわらなくていい。
僕は成功できないし、してはいけないから。
醜い僕の容姿を見ると、
もう何故身なりを整えたいのか意味が解らなくなる時がある。
こうやってだんだんできる事が減ってゆくんだなって覚える。
現実の僕にはロマンなんてひとかけらも無いけれど、
ご飯と糞便だけで生きるのは御免だ。
ネットで「滑稽」の類語を全部数えて並べても懲りない。
僕はあいにく夢想家だし、
愛は一見無慈悲に覚える程、永遠なのだから、
選ぶより選ばれた事こそが、より良い。
もしもふたりのひとをどうじにすきになったら
にばんめにすきになったひとをえらぶといい
さいしょのひとよりみりょくがあるということですから
歌 SUPERCAR 作詞 石渡淳治 作曲 中村弘二




