第51話「THIS ILLUSION」
日々強くなってゆく想いがある。
それは、まだこの先に待ち受けているものがあるという事。
パズルのピースがまだまだ不完全なように。
僕の生活や創作の中で、僕自身が不完全だからこそ、
特別や特殊という記号を羅列してしまうが、
本来の僕自身は世の中で起こりうる出来事を、全て普通と判断している。
当事者の死を悼むのは、他者だけだ。
そこに優劣をつけるのも、また他者だけ。
相対の中に幸不幸が存在しないとまでは言えないけれど、
純度の高い幸福は、己自身の心にしかない。
誰も僕より幸せになれないし、僕自身も誰以上にも幸せになれない。
ただ、この目の前にある幻想に、お礼を述べて逝くだけだ。
「有難う、御座居ました」と。
僕は大切な人々と言ってしまうと、
どうしても現実の繋がりを強く意識してしまうが、
ネット上だけでの恩師も大勢いらっしゃる。
僕の毎日にネット上の繋がりがなくなってしまえば、
日々がどれ程味気ないものへと変わってしまう事か。
けれど、
ネット上の人々は多かれ少なかれ個人情報は大切にするものだ。
とは言うくせに、僕を特定する事は、
機械音痴の僕ですら、それ程難しい事ではないだろう。
僕にとってはネットもライフライン、他者からの見守りに依存している。
僕と同じ病名で療養中のお方様も少なくともいらっしゃる。
僕は寂しいし、おそらく人は誰かと出会った瞬間から自我を持ち始める。
僕自身はどれ程強がったところで、
ネット上に存在する限り、みんなが寂しいのだ、と判断してしまう。
そう想えば、どんな地位、名誉、富に恵まれても無意味だ。
僕の自我はいつだって僕自身を中心にして回っている。
僕は自己中心的な人間だ。
それでたくさんのものを失ったし、与えられた。
僕は自分がせかいで一番倖せなのではないかと想う事はあったとしても、
自身がせかいで一番不幸な人間とは思いたくない。
そのくらいには自身の生を肯定している。
今後どれ程の苦痛や災いが降りかかっても、自業自得だ。
常に心構えと余裕を持っていたい。
僕は末端のちっぽけな存在に過ぎないし、それで良いとも肯定できる。
人生は有限だから怖い、有限だからこそ価値を創り出せる。
今だからこそ思えるのかもしれないけれど、人生は長くても短くても良い。
何処に立とうが生死という出入口までの幻想だ。
想い出せば、僕にも華はあったし、数えきれない汚物も生み出した。
最たる幻想は、倖子君に置いてある。
それが在る限り、僕が生きた証になるくらいに。
であればこの身を育みし、
主君、ゆきこと、全ての恩人へ――……、
ただ、殉ずるのみ。
ぼくはきみをげんめつさせたくない
とはいえしょうさんはうすい
このまぼろしこそぼくです
歌 M.H. 作詞 芳賀敬太 作曲・編曲 NUMBER 201




