第46話「Komm, süsser Tod」
音楽とは、かつての記憶やこれからに立ち向かう勇気、
様々なものを想起させてくれる。
とあるアニメに十代の頃出会い、その終幕まで付き合い続けた。
そのエンディングは、当時の僕には難解だったが、今は少しだけ解る。
けれど、そのアニメが再度劇場化されると聞いても、
それ程の喜びは湧いてこなかった。
とはいえ、生きていられれば最後まで付き合い続けるだろう。
しかし、原作者である監督に想いを馳せれば、僕は辛くなってしまう。
新しい劇場化にも、十代の頃の熱量を保てていない。
おそらく僕の中で、新しい劇場化が旧い劇場版をこえる事はないだろう。
それくらい旧劇場版を愛してしまった。
正確な和訳ができるほどには僕は英語が分からない。
だけど和訳を拝読すると、
肩の荷がおりるような、それでも僕は愛する事をやめようとはしない、
そんな想いにかられる。
とはいえ無に還れるなら、それはとても魅力的だ。
僕も生まれてこの方ずっと洗脳されてきたから、
人を愛するという事に憧れを抱き続けてきた。
でもどっかで、僕はずっとひとりでいいとも想ってきた。
しかし、僕は倖子君に出逢ってしまった。
愛情とは全ての感情を凝縮してできた美しくも残酷な宝石だ。
僕はもうこの宝石を手放しては生きてはいけない。
それが彼女の心や魂を酷く傷付けていたとしても、
手を伸ばさずにいられない。
僕の根底が心底忌避し、渇望するものだ。
僕の人生は、たくさんの人達を失望させ続けてきた。
けれど今の生活に、過去味わった程の辛さや痛みは立ち去った。
みんなに敬意と感謝を捧げる時を迎えたのだ。
そうしたって、僕の出会った全ての人達の僕への憐みがなければ、
僕はもう幾日も生きられない。
過去は過去にすぎないかもしれないけれど、
僕は過去を変えられると信じている。
今からを振り返ってみてみれば、
みんな必死に生きていた素晴らしい人々だった。
ほら、僕の過去はこんなにも変えられた。
タイムマシンは人の中に、確かに存在している。
ほぼほぼ過去に干渉し続けて、寂寥の幸福に満たされている。
僕の罪の始まりは、僕が生まれ落ちた時から始まっている。
誰にも僕の罪を押し付けたりなんかしない。
罪がなければ、美しさには出逢えないから、誰にも渡さない。
ただ僕の最も愛するもの、倖子君の幸福のひとつになれたらそれでいい。
僕は倖子君に愛される事は求めないけれど、
僕は生きている限り、二度と倖子君を愛する事を手離さない。
だから、倖子君がそれをやめてほしいと願うなら、
どうか、僕に逢いに来て。
僕は一見全て失ったのかもしれない。
僕にとって意味のある全てを。
この世で意味ある全てのものを。
だけど君に奪われ、無意味という意味の愛情を確かに受け取った。
命のなにもかもを貴女の面立ちや心、魂から与えられた。
でも、気付いたらお互いがお互いにナイフを向けてた。
僕はそんな想いにはもうなれない。
きっと神仏も最初は愛憎に塗れてたはず、
だから、あんなにもひとりぼっちの居住まいに見えるんだろう。
僕は無力でエゴを叫んでばかりだけど、
ここに居るよって叫ばないと、どんどん精神を虚無に侵食される。
無くなりたいと想い、無くしたくないと想う。
どうしたら、よりよく倖子君の役に立てるか想うけれど、
結局全ては僕のエゴでしかない。
生死は入り口で出口だ。
それと引き換えに、きっと記憶を全て差し出さねばならない。
そして次があるなら、また平気で人の心を切り刻むのだろう。
だけどそれは、きっと、美しい事なんだ。
だから僕は、許されるなら、
何度だって、生きてやる。
ときがとまるほど
あなたはうつくしいです
あまきしよきたれ
歌 ARIANNE
日本語原詩 Hideaki ANNO(庵野秀明) 英訳 : Mike WYZGOWSKI
作曲・アレンジ Shiro SAGISU




