第41話「Underground River(ft.Raj Ramayya)」
いやはや、前話を何度も読み返してゆく内に、
自分はなんと傲慢なのだろうと反省をした。
けれど、それを忘れない為、心に留めておく為、
書き直しはしないでおこうと思う。
“水は低きに流れ、人は易きに流れる”僕はそれで良いと思っている。
それが自然というものだ。無理した富や名声なんて別に興味ない。
僕は今も「死」という深淵に流れゆく川を目指している。
きっとそれだけは、人の真理のように覚えている。
怖くないといえば大嘘だが、こればかりは諦めるしかない。
深淵に辿り着いた時、僕はどうなっているのか考えると、
少しの不安と大きな希望に包まれる。
例え次にどんな場所へ生れ落ちようとも、
僕の唯一の仕事は倖子君の傍にある。
また、かくれんぼだ。
ところで最近PCさんを買い替えた。
現在の新しいPCさんがあまりに快適で驚愕している。
創作と息抜きのゲーミングに特化したスペックなので、
色々な部分が削ぎ落されている。
それでも、僕程度の人間には十分なオーバースペックだ。
僕は天上を目指す事をせず、地下に潜る事にした。
それは必然だったと思うけれど、結果的には僕は小悪党が精々だった。
僕は毒を制す為の毒になれればそれでいい。
僕という毒を、良薬に変えてくれる人が居てくれたら良いな。
「死」という深淵、そこから逃げ出したくて、はやく辿り着きたい。
二律背反だ概ねなんでも。
けれど不老不死なんて余程の権力を持てない限り、なんの魅力もない。
生きて死ぬ、だから人生はこんなにも輝くんだ。そう思っている。
だから、全てがこんなにも愛おしいんだ。
僕に冒険心というものはあるだろうか? 自身に問う。
しかし、前述通り僕は小悪党だから、ちょっぴり危ない橋を渡るくらいだ。
人の生死とは、みんなが同じ答えを共有する場所というのが、
一先ずの僕の答えだ。
どんな環境、境遇に生まれ死のうと、みんなに希望と絶望が与えられる。
そう信じている。
少欲知足、自身に気付いた時、己がどれ程のものを与えられているか、
その事実に感謝し続けるだけだ。だから僕は資本主義が嫌いだ。
参加する事そのものを辞退している。
そして、それは法を犯す事でもないので、殊更罪悪を覚える事もない。
僕の抱えている最も大きな悩みは薬物依存くらいだ。
時にどうしようもないくらい大きな発作に悩まされる。
気付いたらもう手遅れなのが薬物依存の苦しみだ。
国の上層部だってその程度の知識はおありのはずだから、
自己責任を声高に謳うなら、
個人の薬物使用も自己責任で済ませてほしい。
薬物を自宅にこもって、シコシコ耽る程度の事がどうして罪なのだろう。
それを罪だと言うのなら、危険ドラッグをほぼ撲滅したように、
違法薬物を完全に撲滅してほしいところだ。
赤ちゃんの手が届く範囲に刃物を置いておくくらいには国の責任だ。
都合よく自己責任を謳い、悪くなれば暴力で従わせる。それが現実。
子供にとって大人は有害である、そう仰る絵本作家様がいらっしゃる。
毒親と言ってしまえば、ほぼどんな親にも適用されてしまう気がする。
その子供だって、多分に毒親になるだろう。
僕はそれが怖いから結婚もしないし、子供も育てない。
僕は毒親になると確信しているから。
あなたに会いたい、その想いこそ、純粋な人の冒険心の源かもしれない。
僕は小さな箱庭で怯えて暮らす小悪党でしかないが、
いずれは「死」という大冒険の始まりの入り口に立つだろう。
僕は、いつでも生きたくて、死にたい。
深淵の川面に魅了されながら。
このかわはしっている
そう いそぐひつようはない
みな たどりつくところはおなじだから
歌 Kevin Penkin 作詞 Raj Ramayya 作曲 Kevin Penkin




