第36話「別の人の彼女になったよ」
大体毎日なんらかの歌曲や楽曲を拝聴する。
今晩は、「別の人の彼女になったよ」だった。
女性の心情を表したものだけど、男性である僕でも共感できる。
僕のメンタルは女々しいという事だろうか……?
倖子君の面影をそこかしこに追い求めている。
君と出会うまでは青や紺の服を好んで着てたけど、
君が緑色が好きだと分かってからは、
緑色も僕の視野に入ってくるようになったし、
君が許せないと言ってたペットボトルのレモンティーは、
それ以来一切飲まなくなった。
人を好きになるって、そんなちょっとした事の積み重ねに思えて、
首筋をクルクルくすぐられたように、少し照れ臭くはにかんでしまう。
倖子君はもう人妻だ。
僕が緩やかに数年ストーキングを続けている内に、
彼女のお姉さんからそう聞かされた。子供も二人いるらしい。
だけど、僕は、それでも、「また来ても良いですか?」、
そう彼女のお姉さんに尋ねていた。
返事は警察署からやって来た。
それ以来緩慢なストーカー生活は終わりを告げた。
僕も両手で足りるくらいには女性とデートらしい事をしたけど、
正直どれも全部緊張してて、全然楽しめなかった。
倖子君に至っては、
間違いなく最愛の女性と断言できるのに、もう顔さえ思い出せない。
ごくごくたまに夢に出てきてくれる事はあるけど、
君って事は判るのに、やっぱり顔は思い出せない。
学生時代、あんなに恋愛漫画を読み漁ったのに、
僕のデートプランはからきしだった。
そもそも僕が行きたいところに行きたいだけで、
相手をリードしようとか、ムードをつくろうとか、
キスしたいとか、セックスしたいとか、一度も具体的に考えた事がない。
僕はひとりが好きだ。
何処へ行くのもひとりが楽だ。
とはいえ、
現在の僕はヘルパーさんに付き添っていただかないと、
もう遠出はできない。
でも、映画はひとりで鑑賞したいし、深く語り合いたい人も居ない。
なんならカラオケだってひとりの方がいい。
昔は歌う事が大好きだったけど、もう今は大きな声では歌わなくなった。
だから、
なんで僕がこんなに毎日倖子君に執着してしまうのか解らなくなる。
せめて、倖子君の記憶だけは僕から奪わないで、そう祈る。
そうしたって、倖子君と別に殊更特別な事をしたという思い出もない。
ただ、
借金を抱えてバンドを壊してまで君と一緒に居られないから、
約束を反故にして出稼ぎに出ただけだ。
君も君で、僕に執着なんてしてなかったはずだ。
僕はズルい事をしたけれど、君はずっと気丈だった。
僕は君と出逢ってカラフルになった。
君のお陰で嫌いだった赤色も好きになれた。
これも君が僕に掛けた魔法だ。
君は不安を抱えていたけど、
あの頃の僕では君を支える事はできなかった。
だから、君が、「別の人の彼女になったよ」と言っても、
僕は文句ひとつつける事はできない。当然の帰結だ。
でも、僕はふたりで生きる素晴らしさを思い知れないでいる。
自他共に大した男でもないと認めるのに、ルッキズムは旺盛だし、
今となってはもう想い出の中にしか居場所が無い。
例えどんな美少女や美女とデートできるとしても、
圧倒的に面倒臭い。
ひとりでふたりを演じておままごとしている方が幸せだ。
オーケストラよりアコギ一本の優しさがあれば良い。
僕はこれからも誰の彼氏にも夫にもならない。
君がもしも最低最悪などん底に叩き落された時の為の、
ボロボロの布切れ一枚、最後のセーフティネットで在り続けたい。
そんな端役でも、君の人生に関われる事が途轍もない喜びなんだ。
君は生きてくれているだけで、僕の力になる。
最期はやっぱりひとりだとしてもね。
でも始まりは終わり、終わりは始まり、
なんかね、電灯に向かって焼き尽くされる蛾のような気持ちだよ。
なんで、そうするのか、僕自身も解らない。
でも、もう倖子君以外有り得ないんだ。
できる事ならもう思考から自由になりたい。
このまま創作をチマチマ続けながら、色褪せていきたい。
君を想うと、まだ生きたいって思える。
愛する事も誰かの心に棲む事なんだろうね。
僕の心は君でできてる。
だから僕にも君にもどうにもできないよ。
唯一、僕が君を想う事が君の不幸に繋がらない限りは。
でも、それでもダメだな。君への興味を失ったら、もう僕は人間をやめる。
だから、ごめんね。
君と一緒に居れた頃に僕が謝りたかった事は、
本当はこういう事かもしれないね。
君と比べてしまう次の人に申し訳ないから、
もう新しい恋になんて興味はない。
本当に今僕は倖せだから、心配しないで、
せかいいち、しあわせになってね。
ここうである
それはいだいなるたましいのいっぽめ
でも ぼくはきみといたい
歌 wacci 作詞・作曲 橋口洋平




