第33話「Ghost of a smile」
意識と意思と意志は全部漢字は違うが、本来切り離せるものだろうか?
僕が植物人間になってしまったら、意識は無いと断定して良いものなの?
僕の体は確実に老いていくのに、その事に意思と意志は関係ないの?
僕は人の真の平和とは、人の完全なる絶滅にしか見出せない。
誰も誰かを気に入らないと意識しているんじゃないのだろうか?
その意識がそもそも罪だ。
何の罪もない人々なんて存在しない。
人は誰もが世の中をちょっと良くし、ちょっと悪くしていると思ってる。
せかいはそもそも予定調和だとも思う。
人間には個性も自由もなく、選択の自由など無いのかもしれない。
言葉とは僕にとっては暴力だ。
答えは無い、のが答え。あるいは自分で創る。
と言うのが僕の持論で、もう革命が起きる気もしない。
僕は自己責任という言葉が嫌いだ。
責任だけはとらされるのに、自由には制限を設けてるシステムだから。
都合が良い時には自己責任で思考停止して、
都合が悪い時には、君の為と口にする。
消えたい。無になりたい。
でも、君が微笑んでる。途轍もない倖せの凝縮された宝石だ。
この押して引いてが人生の醍醐味だと言える。
君がみえるのに視えない。
ニンジンを目の前にぶらさげられてせっせっと走るお馬さんみたいだ。
何度も言うけれど、この創作は基本的に倖子君へのボトルメールだ。
今の生活の現状維持ができれば、僕には不満はないけれど、
せかいが戦争をしようが恐慌に陥ろうが災害に遭遇しようが、
僕個人は全部受け入れて、「だから、何?」と問うくらい、
失って困るものはほとんど無い。
死が訪れるまで、幸福を見つめ続けて追求し続けるだけだ。
生活保護の立場を情けなく、不甲斐なく思う事もあるけど、
前述の通り、みんながせかいをちょっと良くし、ちょっと悪くしてる。
生活保護をバッシングするなら、その方も生活保護を受けてみれば良い。
悪い意味で「選ばれた人」しか生活保護下は耐えられなくなるだろう。
誰も誰かを縛ったり、命じたりは本来できないと信じている。
だから僕はそれを手放した。人を能動的に動かそうとする人は嫌いだ。
もう僕の眼にとびこんでくるほとんどの情報がどうでも良い。
会話も下手だから、話し相手も必要ない。
僕に親しくしてくれる人は、僕以上にそれを弁えてくれている。
僕の言葉は無力でかまわない。そもそもが暴力だから。
それが解っていても書く事が止められない。
それは倖子君という宝石にできる、精一杯の花束にならないだろうか、
そう祈ってる。
僕は独りだ、でもいつも倖子君というゴーストが微笑んでくれている。
僕の創作意欲の根源はそれだけだ。
だから愚かに足掻きもがく。
そんなでも、君が笑ってくれるなら、それだけで生き甲斐になる。
はやく人類が滅ばないかなぁと望みながら、倖子君に縋ってる。
人生は矛盾という調和だ。
主観では良し悪しがあっても、誰も人は人だ。
偉いとか立派とかの価値観もどうでもいい。
肯定も否定もせず、
あるがままで大丈夫。
さよなら ぼく
さよなら たましい
イマジニストはこうふくです
歌 EGOIST




