第31話「Like a Rolling Stone」
僕は殺人を肯定する。
あらゆる物事を起きて良い事だと肯定する。
人は死ぬかもしれないが、それはカタチを変えるだけだ。
命が平等と訴えるなら、それは全宇宙、全次元の存在を尊重すべきで、
歴史上のどんな偉人でも、そんな事は不可能だ。
それぞれの真実がぶつかりあい混沌を作り出す。
僕はもういつ死んでもかまわないけれど、
存在する限りは何か暇つぶしをしなくてはならない。
その事がひたすら辛い。
人は相対的に人を裁く。結局は暴力で。
閉鎖病棟にぶち込まれた時、僕に人権は無かった。
精神科というものは曖昧な存在で、
脳の働きがおかしいという事は解かっても、決定打が存在しない。
精神科医は無能ではないけれど、無力だ。
ノルマとして、お金として、僕が存在しているだけで、
僕の事なんて診てやくれない。
僕はお金だ。生きているだけで誰かに何かを支払っている。
僕にとって資本主義というものは、人類の苦肉のゲームだ。
富める人は益々富み。貧しい人は益々貧しくなる。
僕は生活保護の中にあり、貧しい部類に入ると思うが、
僕自身の主観は倖せだ。
かといえ国が出て行けというなら、僕は従うしかなく、ホームレスだ。
餓死を選択できるくらい僕の精神が強靭ならそうするが、
餓えが克服できないなら、
何がしか犯罪を演じて刑務所に入るのも選択肢のひとつ。
少なくとも衣食の面に関しては現状よりマシな状態にありつけるだろう。
割りと高い確率で、いずれは刑務所に入らねばならないとは思う。
家族や友人から施しを受けるよりはまだ収まりが良い。
刑務所も商売で僕は客だ。
刑務所は悪行を反省するところだと言われたら、
「じゃあ、あなたも入りましょう」とススメる以外に言葉はない。
僕だって人の不幸は蜜の味なんだから、蜜を提供する側にまわるだけだ。
資本主義はレースに出ない人を弾圧する。そうしないと損だから。
だけど実際レースに出ても、勝てる人は限られてる。
そういう仕組みだから。
僕には幸か不幸か、人生の努力をしたい動機がほとんどない。
人と争う事が嫌いだから、生存戦略もおとなしくするだけだ。
人は善と悪両極を弁えて、人間となる。
現状良い事がいずれ悪い事へ、逆もまた然り。
みんながみんな、誰かを洗脳しようとしてる。
生きるとは、そういう事だ。
ある朝、
誰かに君を死刑にすると言われたら、僕はどんな気持ちになるだろう。
君の為を思って、そう言われても、
僕は、あなたに僕の何が解かるの? と問い返すだろう。
本当に追い詰められたら、人は受け入れるか暴力しかない。
何をしてもしなくても死ぬのなら、やりたい事だけやるべきだ。
何を表現しても良い。
だけどどんな王座に君臨しようとも、
結局は――、
「ざまぁないね」という失笑と祝福が待ってくれている。
しっぱいはせいこうのたいぎごではありません
しかし そのいちぶ
しっぱいしないことがしっぱいなきもするね
歌・作詞・作曲 Bob Dylan




