第3話「More Than Words」
2016年四月八日金曜日仏滅、昼。
「はい……、はい……、それで、うちの娘は……、はい、はい……、
そうですか、元気にしてますか。ありがとうございます。
あの……、大変申し上げにくいのですが、私から電話があった事を娘には……、
はい……、はい……、そうです。
お世話になります五代様。どうか、うちの娘を宜しくお願い致します。
はい……、はい……、それでは、失礼致します」
僕の耳に、襖越しからでも、
ありありと伝わってくる倖子君の心配と安堵の声音。
彼女の独断で娘の無事を確かめた様です。
相談がなかったのは、少し悲しいけれど、
倖子君が行動を起こす前に動けなかった僕に非があるので、
これから倖子君に掛ける第一声は熟慮しないといけません。
僕は、僕の方から彼女に話し掛ける決意をし、襖を開き動き出した。
「倖子君、いつもごめんね。電話、ありがとう」
「貴方誰だったっけ? 私愛がない人は忘れる性質なんで、
ごめんなさいね」
むぐっ、ボディーにいいのをもらった……、だが、まだだ!
「あの……、」
「黙れ」
…………、僕は沈黙した。罵倒された方が、どれほど楽か。
どうしようここは沈黙を守るか、雄弁か?
「すみませんでした」
「謝ってすむなら警察はいらないのよ?」
「こ……、これからもっと頑張りますから見捨てないで下さい」
「へんっ! 情けない男。分かった。分かったわよ。頭上げなさい? 男だろ?」
最後の言葉を言い終えた倖子君の声音の色で、
どうにか呼吸ができる様になりました。しかし、
「もっと計画を立てられる様になってね」
その言葉に僕はちょっと戸惑う、
いや、僕が計画を立てられない人間なのは事実です。
ただなんとなく、倖子君の声音があまりにも複雑に響いたので僕は混乱している。
しかし、最も納得させられる解としては、
「私がどこで動き出すかを、分かる様になりなさい」
そう受け取るべきなんだろう。僕はいつも僕の事しか考えていないからな……。
確かに老年を迎えた時にまで、こんなに利己的では、
その時倖子君が隣に居てくれるかどうかも不安になる。
中身が子供のまま大人をしなくてはいけない年齢になるのは辛いな……。
情けないな……。
「ちょっと! そこまで落ち込まないでよ」
そ……そうだな、僕がこのまま沈み込んでもお互いに良い事はない。
「すぐにはできないけど、分かった。ありがとう」
そうして、僕は微笑む事に努めた。
「私も、言い過ぎた……」
「それは良いよ。
あまりにも酷い行いは、時に暴力だったとしても現代ではきつくしなきゃね。
倖子君が居てくれるから、僕は倖せですよ」
「うん、どっちが甘えてんだろうね」
倖子君のその声音で僕は胸が締め付けられる。
「僕が悪いに決まってるよ。それに、その言葉は僕にとって救いです」
僕はそう告げて、倖子君を引き寄せたくなったけれど、
これ以上おかしな空気にしたくないので、誤解させない方法を考える。
だから、
「倖子君、はい、握手」
手を差し出してみる。
「いやだ」
そう言って彼女は、ほんの一瞬笑顔になり、その笑顔に、僕も自然と救われた。
まだまだ彼女が解らないが、
多分永遠に解らないままだろう。
そして、これも想う、
永遠を歩く事も容易いと思える程、彼女の傍から離れる気は、まるでない。
けれど、その自信は彼女を喪失した瞬間、どうなるか想像するだけで恐ろしい。
もっと話してたい。もっと傍に居たい。
そこにふと、彼女がいつもの疑問を落とす。
「心也君、私の何処が好きなの?」
「それは、全部ですけど。
いつも思うんですが、その質問……、何か意味があるんですか?」
「うるさい、女は常に愛情を感じてたいものなのよ。
なら、心也君が、私の全てで一番好きな部分はどこ?」
「そ、そうですね。その質問は答えるのが難しいですが、
やっぱり僕の人生の中で、一番僕をかまってくれる女性だからでしょうね」
「貴方……、寂しがりやかよ」
「孤独も好きですが、結局そういう事になりますかね」
「よし、じゃあ私の身体で一番好きな部分は?」
「お顔」
「即答かよ! なんだい! やっぱり女は「顔」かよ!?」
ヤブヘビになりそうな空気感。しかし、
「人間が人間を最も見分けやすい部分が顔だと思うので申し上げた次第です」
「でも、私の顔が良いから心也君は私を選んだだけでしょ!?」
なんで倖子君は今日こんなに自分を卑下する様な事を言うのかな?
なにかあったのかな? 生理かしら?
い……、いや、今はただ臨むのみ。
「いいですか倖子君? 一般的に見れば倖子君より美人は存在するでしょう。
しかし、僕の主観では倖子君より美しい人は存在しません。
その理由は、僕が倖子君をある時点で、この人しかいない、そう選んだからです。
いくら絶世の美女があらわれても、中身に触れられなければ、
誰だってなかなか命まで投げ出す事はできません。
お互いが命を天秤に掛けられる行為そのものが、
「恋」から「愛」に移行する明確な線引きだと僕は考えています。
「恋」はおそらく誰にでもできるでしょう。
けれど「愛」は覚悟がなければ、その入り口にすら立てません」
早水家に……少しの間沈黙が訪れました。
僕は恋はそれなりにしてきた。だけど愛を教えてくれたのは彼女です。
そして、それは恋愛になった。ですから彼女は僕にとって、最初で最後の女性だ。
「心也君の言い分は解った。でも納得してやんない」
「そうですね。それは倖子君の自由です」
「私は今から買い物行ってくるから、貴方は家でしっかり創作を進めなさい」
そう言う倖子君は、いつも通りに見えて、僕は少し安心できました。
………………
…………
……
愛ってありふれたものの中にしっかり詰め込まれていて、
空気みたいに、いつも心から感謝を捧げられるものじゃない。
少なくとも、僕にはとても難しい。
僕は僕を生きているから、僕の愛は偽物だって知ってる。
たとえそれが愛だったにせよ。僕は僕の愛に満足できない。
こうして文字を打ち込み、死が訪れるのを静かに待っている。
僕から見たら、せかいは天才だらけだ。
少なくとも僕の人生に、僕より明らかに劣っている人間が登場した事はない。
みんな何かの天才だ。だからこそ、みんな普通だ。
本当に普通って事は、あらゆる事を普通に行える力だと思っているから。
全知全能者こそが、真の普通。
僕に愛情と誠実さがあれば、どんな人生を送る事も倖せだと思うけれど、
ないものねだりをしても仕方がない。このままゆこう。
「愛してる」って言葉を口にするのは簡単だけれど、
それを本物にするか偽物にするかは、
どれ程少なく見積もっても、一生はかかるだろう。
薄氷の上を、
君の見える景色がなくならない様に、
君を想っている安らぎを憶えておける様に、
壊さない様に、壊さない様に、壊さない様に、
ただそっと、それだけの、必死な祈りだ。
ご飯を頂く事は並大抵にはいかないが、
文字がある程度解れば作家には誰だってなれる。
誰にだって、言葉で「愛してる」とは打ち込める。
その文字に命を刻み込めるかどうかが問題だ。
素晴らしい詩歌に触れると、ものの数秒数分で、
僕の文章なんてまるで役立たずだと思わずにはいられない一日もある。
しかし、僕の創作の原点は、愛し続けたい女性への恋文だ。
それを忘れると、いつの間にか余計なものがくっついてくるのが困る。
行動に表せない「愛してる」なら、黙っておく方が余程マシだ。
「愛してる」は、自分にとって都合の悪い時に使う為の免罪符じゃない。
言葉は、感情を正確に伝える為には、あまりにも不完全で不誠実だ。
けれど、嘘があるから、人生は楽しめる。
僕が倖子君そのものなら、僕は僕を愛せない。
個人という壁が、戦争と平和につながる。
僕の知らない所で、今も終わりは始まっている。
「ただいま」
嗚呼、もうそんなに時間が経ってしまっていたのか……、
創作はもう止めて、
僕の幸不幸をいとも簡単に左右する女神様に、今日も薫陶を受けたいと願う。
「PCさん、おやすみなさい」
それが僕の日常、まぎれもなく掛け替えのないもの、倖せな一日の出来事。
ことばよりも
あいはこうどうです
ひにくひにく
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