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彼と私の、何もなかった五日間

作者:瀬月ゆな
 それは何の前触れもない、突然の出来事だった。

 午前中の仕事を終えて、午後からは何をしようかとアルフレッドと一緒に早めの昼食を摂っていた時のことだ。
 ドアが激しくドンドンと打ちつけられて、私はアルフレッドと顔を見合わせた。
 人目を避けて森の真ん中にひっそりと建つ、どちらかと言えば家と言うよりは小屋に近いここを訪れる物好きな客なんていない。
 最後に客がやって来たのは四年前、私がまだ十四歳だった時に亡くなった祖母の友人が弔問に来て以来だ。
 反応がないことに焦れているのかドアのノックはさらに激しさを増した。このままでは木のドアに穴が開いてしまう。ドアの修理は面倒なのだ。私は仕方なく溜息をつきながらオムレツを食べる手を止め、フォークを置いて立ち上がる。

「今開けますからドアを壊さないでー」

 私の哀願が届いたのだろうか。ドアを叩く音は途端にぴたっと収まった。物好きな来訪者が誰かは知らないが相手が聞き分けの良い人物で本当に良かったと思う。

 ドアを開け、固まる。
 目の前には果たして鈍い銀色に光るいかつい甲冑を着込んだ若い兵士が三人いた。全員が非常に険しい表情を見せており、好ましい用事で来たわけではないことを言外に色濃く匂わせている。
 何で? どうして?
 私はここで薬草を作って売ることを生業にしているけれど、然るべきところにちゃんと申請して販売の許可をもらっている。使ってはいけない、違法とされる材料だって何一つ使ってもいない。
 驚きで声も出せないまま三人の兵士をぽかんと見上げていると、その中でも比較的年長の兵士が一歩前に踏み出して声をかけて来た。

「突然の来訪を失礼致します。こちらは薬草師レベッカ・ベルリンデの自宅で間違いありませんね?」
「え、あ、はい」

 良く分からないが聞かれた名前は合っているのでおっかなびっくり頷くと、兵士は表情を緩ませた。

「我々はハインネリル侯爵家の使いとして参った者です。こちらにハインネリル侯爵家ご嫡男・ルーファス様がおいでになると伺い、侯爵様の命によりお迎えにあがりました」

 ……誰?

 名乗られたのに余計に混乱した。
 ルーファスって誰のこと?
 しかも、ここにいるってどういうこと?

 いやまさかそんな。
 でも、そうなの?

「レベッカ?」

 唯一の心当たりに行きついた時、背後から名前を呼ばれた。やりとりが聞こえたのか、私が戻って来ないことを気にしてくれたのか、アルフレッドが奥から来たのだ。

「ルーファス様!」
「よくぞご無事で!」
「侯爵家の皆様もとても心配しておりました!」

 案の定、アルフレッドの姿を見た兵士たちは一様に背筋を伸ばして敬礼しながらも、顔を綻ばせて歓喜に沸いた。

 やっぱりね。
 アルフレッドというのはそもそも、五日前に森の中で行き倒れた彼を拾って介抱した時に私がつけた便宜上の名前だった。
 頭を強く打って記憶を失っているようだったから、子供の頃に読んだ大好きな小説に出て来る男の子の名前を勝手に拝借したのだ。

 それにしても、私がアルフレッド――ルーファスと呼んだ方が良いのだろうけど――を助けてからまだ五日しか経っていないのに、もう居場所を探し当てるとはさすがは侯爵家と言ったところなのだろうか。
 お抱えの魔術師がとても有能なのかもしれない。
 アルフレッドと兵士たちと私の間に一気に膜が張ったように、ぼんやりとその様子を眺めながらそんなことを思っていると、年長の兵士が私に向き直った。

「このご恩は後日、落ち着いたら必ず侯爵家より致します。今日は一刻も早くルーファス様のご無事を侯爵家の方々にお伝えしたいのでご容赦下さい」

 ずっと一緒に暮らして来た家族がいて、とても心配している。
 そう言われては単に森で拾って、ほんの五日間を一緒に過ごしただけの私が「連れて行かないで」なんて口が裂けても言えるわけがない。
 当のアルフレッドも住み慣れた家に戻ることに異論があるはずもなかった。それはそうだろう。たとえ記憶を失っていたって、こんな何もない森の中の小屋にいつまでもいたいと思うわけがない。
 多分私は侯爵家のご嫡男を誑かして唆して家に帰さなかった悪女として扱われないだけ、ありがたいと思うべきなのだ。

 そうして、彼と私の何もなかった五日間はあっさりと終わった。





 あれは五日前の午後のことだ。
 私は薬草の材料になるハーブを採りに家の裏手を回って森の奥へと向かっていた。

 生まれてすぐに両親を流行り病で亡くし、森に一人で住む母方の祖母と暮らしていた私は、祖母の持つ薬草作りのレシピと少しばかりの魔術を教わっている。
 魔術の方は素質が物を言う分野であることと、しっかりと学ぶにはそれなりのお金が必要になることから、それで生計を立てられるような実力はない。せいぜいが天気を大まかに予測したり、重い荷物を少し運んだり出来る程度だ。
 一方、道具と材料と根気があればそれなりに何とかなる薬草作りは、祖母も亡くして天涯孤独の身となった私を支える大きな糧になってくれた。祖母の残してくれたレシピに自分なりに改良を加えてみたり、新しいレシピ自体の研究も面白くて、私の毎日は孤独を感じさせなかった。

 森を進んで行くと大きな物音がした。
 あれは馬の嘶きだろうか。森にいないはずの生命の声に遅れて、何かが落ちるような音がする。
 音のした方向は目的のハーブが生えている場所とは微妙に離れているが、私は迷わずそちらへ走った。

 と、木々の影から一頭の馬が飛び出して来る。
 馬に全く詳しくない私でも、その毛並みの見事さが分かる栗毛の馬だった。あわや跳ね飛ばされそうなほどの至近距離を駆け抜け、あっという間に見えなくなる。

 私は驚きで心臓をばくばくさせながら、先程の馬の蹄の跡を頼りにさらに進んだ。
 森の中、人が仰向けで倒れている。
 慌てて駆け寄ると息はあった。おそらく馬が急に暴れ出した弾みで振り落とされてしまったのだろう。
 どうしたものかと考えて、すぐ近くに泉があったことを思い出す。急いでハンカチを濡らしに行き、まだ倒れたままの人物の額の上に乗せた。

 良く見ると年齢は私と同じくらいだろうか。やや青みがかった銀色の髪はさらさらと顔に流れている。伏せられているから目の色は分からないけれど、カッコ良いんだろうなと思った。
 でも、いつまでもこうして観賞しているわけにも行かない。昼間のうちにハーブを採りに行かなければいけないのだ。
 かと言って、このまま見なかった振りをして放置して行くのは気が引ける。結局、私はなけなしの魔力を振り絞り、休み休み家まで運んだ。

 夕方、私が本来の目的であったハーブを採取して戻って来ると、タイミングを見計らったように彼が目を覚ました。話が出来る状態ではあったから聞いてみたが、どうやら頭をぶつけた衝撃で記憶を失ってしまったらしい。
 こうして、アルフレッドと名付けた彼とはじまった生活は、結果的に五日間というごく短い期間だったこともあって、本当に何もなかった。

 たとえば雷の音に驚いて怖がって抱きついたりとか。
 転びそうなところを抱きすくめられた拍子に唇が触れ合いそうになったりとか。
 同じ物を取ろうとして互いの指先が触れたりとか。

 そんな色気があることは何一つなくて、働かざる者食うべからずの精神で家事を少し手伝ってもらったり、それで朝昼晩と揃って食卓を囲んだくらいだ。
 けれど、男女の結びつきこそなかったが、祖母が亡くなって以来ずっと一人で生きて来た私にとって、誰かがいつも傍にいてくれるというのは何物にも代えがたい経験だった。

 薬草作りは面倒な手順が多いと愚痴をこぼしたり。
 庭の木に小鳥のつがいが巣を作っていることに驚いたり。
 朝焼けや夕焼けに染まる空の鮮やかさに感動したり。
 ご飯がおいしいと笑ったり。
 ハーブを採りに行く途中に咲いていた小さな花が綺麗だと笑ったり。
 泉に手を浸して水の冷たさに笑ったり。

 アルフレッドと他愛のないことを話し笑い合う時間は、まるでもう何十年も添い遂げている老夫婦の暮らしのようで、くすぐったく思えた。
 だから私は、人と人同士の結びつきが暖かく心地の良いもので、失ってしまえばとても悲しくて寂しいものだと、知らなくていいことまで知ってしまったのだ。




 アルフレッドがいなくなっても私の生活自体は変わらない。
 同じ時間に起きて、家事をして、薬草材料を取りに森の奥へ入って……アルフレッドの姿をそこに探して、いないことに落胆して家に戻って、薬草を作る。
 我ながら何をやっているのかと思う。
 だけどそれでも心の空白は埋められなくて、埋めようもなくて、何もなかった五日間は文字通り、私の心に何もない穴を残した。

 半年も経つ頃にはさすがに忘れようと自浄作用が働いて、良い思い出として記憶が書き換えられようとして来る。
 そんなある日、薬草の仕込みを終えてのんびりと紅茶を飲んでいると、ドアがノックされた。

 二月ほど前からだろうか。
 私の生活に些細な変化が現れはじめるようになった。
 いつも私の作った薬草を買ってくれるお店のおじさんが、私にお見合いの話を持って来るようになったのだ。
 私もそろそろ十九歳になる。世間では適齢期というものに該当するらしい。おじさんも、いつまでも独り身のまま森で暮らすことになりはしないかと心配してくれているのだろう。

「もーニコラスさん、何度言ってもお見合いなんかしないからね」

 その気持ちはありがたいのだが、恋なんて当分――この先一生かかってもできる気分じゃない。
 文句をつけながらドアを開け、そして固まった。

「お見合いするんだ?」

 アルフレッドが立っている。
 とうとう幻覚を見るようになってしまったのだろうか。無言で自分の頬を力強くつねると痛かった。どうやら幻覚じゃない。
 でも、それならどうして?

 何を言っていいか分からずアルフレッドを見上げていると、アルフレッドは私がさっき自分で思いっきりつねった頬に手を伸ばして触れた。
 初めて触れ合う肌は暖かくて、優しい。

「本日は侯爵家から、嫡男のルーファスを助けて下さったお礼を持って来たのです」
「お礼なんて、たった五日間だし、別にそんな」

 頬から離れた指先が恋しかった。思慕を募らせた途端の他人行儀な物言いが苦しい。
 きっと受け取った瞬間、本当にこれで最後になってしまう。もう二度と会うことのない他人同士になって、違う場所を生きて行くのだ。
 目の端に涙が浮かぶのが分かって俯いた。
 もう思い出になったと思っていたのに、改めて終わりを告げられるなんてあんまりだ。

 涙で滲んだ視界の中に青い箱が差し出された。
 これがお礼の品で、私はそれを受け取ればいいのか。
 ゆるゆると右手を出すとアルフレッドが苦笑する。

「レベッカ違うよ、左手を出して」

 まだ動けないでいる私の左手をアルフレッドが取った。
 そして薬指に、小さなダイヤモンドの光る指輪をはめる。

「僕はもう君のアルフレッドではないけれど、ルーファスという男でも良ければ結婚してくれないか」

 私は呆然と左手を見つめ続けていた。
 だって、一緒にいたのは五日間だ。
 それが半年振りに再会して、離れていた時間の方がずっとずっと長くて。

「返事を聞かせて欲しいんだけど」
「でも私、五日間しか一緒に」

 胸がいっぱいで上手く声にならない。
 その五日間で、どれだけ自分がアルフレッドに惹かれていたのか、そんなのは自分がいちばん良く分かっている。
 何もなかった。
 でも、何もない穏やかな日々は愛しかった。

「僕にとって君と過ごした五日間は今までの人生の中で、いちばん幸せで満たされた五日間だったよ」

 君は?と聞かれて、何度も頷くしか出来ない。

「よろしく、お願いします……っ」

 そうして、泣きながらアルフレッドの胸に飛び込んだ。


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