信頼
「エルンスト、起きて、あーさーでーすーよー」
今日もお仕事、メイド服を着てリッカを連れてエルンストの部屋に来ている。エルンストはうっすらと目を開けているが、覚醒するまでにまだ時間がかかるみたいだ。手を伸ばしてメガネをとろうとしているので渡してあげた。珍しく少し不機嫌そうな顔。
「昨日の今日でどうして襲われると思わないんですか」
「ああ、嫁になる話?……師匠が私に刃を向けた時だって本気で怒ってくれたでしょう?昨夜いろいろ考えたけれど、こうして屋敷にお世話になって、今までの事を思い返してみてエルンストは本当に私が嫌がることはしない気がする。それを信頼と言うなら、私はエルンストを信頼しているから、襲われるとは思わない」
にっこり笑って見せた。子供の笑顔は最大の防御だと思うんだ。結果、エルンストはすねるように負けを認めた。
「ずるいですよ……そんなこと言われたら手出しできません」
「だから寝ている間に髪の毛切って持っていったりしないでよ」
エルンストもリッカもきょとんとしている。リッカの顔が少しだけ赤くなっていく。
「え、襲うってそっちの方ですかー?いやだー私てっきりあっちの方かと思って聞いてましたー」
「私もあっちの方で言っていたつもりなんですが…アリシア?というかそれを言うってことは信頼していないって事なのでは?」
「信頼してなきゃ男の人の寝室に入って行ったりしないよ?」
二人とも顔を見合せてこそこそ話始めた。
「あれって絶対わかってて言ってるんですよね?かまととぶってるていうか小悪魔っていうか」
「あざといっていうか……そういえばロベルトの家にも普通に入ってきていて最初はびっくりしました」
「うわー子供ぶって無防備ぶって誑かしてんですかーご主人様ってば魔性の女ー」
そんなつもりはないのにリッカの言葉に殊更傷ついた。信頼しているよという事を伝えかっただけなのに周りから見たらそんなふうに見えるんだ。
「わかった。男の人は信用しないことにするよ。明日から起こしに来るのもやめる。メイド服ももう二度と着ない……着替えてくる。ああ、エルンスト」
今まで子供らしく振る舞うようにしていたことさえ、止めた。転生してからこちら、違和感のないように努めてきたことは既に染みついていて自分だと勘違いしていたが、いい機会だ。
「王位継承争いや派閥争いにはできるだけ関わりたくない。嫁云々に関しては国益優先だと考えているの。父上や上層部で決めた結果がエルンストやウィルへの降嫁、或いは帝国へ人質同然の嫁だとしても私は受け入れるつもりよ。私にそんな価値があるかどうかはわからないけどね。魔王になる可能性があるからこれからも一切恋愛感情は持たない。前々から決めていたことだから、貴方もそのつもりでいて」
言いたいことだけを言って、相手の反応も見ずに扉を閉じて自分の部屋に向かう。今まで、全部が全部演技だったわけではない。アリシアじゃない『私』の中にだって子供っぽいところはたくさんある。もう一度子供時代をやり直して、出来なかったこともたくさんやって。とても楽しかった。でも…リッカが違和感を覚えたならそろそろ切り替え時だ。うまく出来るか分からないけれど……。
ああ、今日はウィルを見送る日だった。こんな状態で大丈夫だろうか。
「ウィル、忘れ物は無いかしら?」
「うん、大丈夫だと思うけど。もしあったとしても取りに来れるから大丈夫だよ。アリシアこそ、大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ……何?どうかしたの?」
木々の葉は落ちてもうすっかり冬だ。年明けには高等学校入学のための試験もあるらしい。見送りにはリッカもエルンストもばば様もいた。手に持っている荷物は多くなく、歩いてそのまま親戚の家に行くらしい。ウィルは、私との会話に不自然さを感じたようで、怪訝な顔をしている。十二歳、人の言動にここまで機微を感じ取れるのは前世もちの私でもできない。
「何か悩んでいるんだったらばば様に相談してみると良いよ。心配かけるとか思わないでさ。いろんなものをため込んで魔王に成っちゃう可能性だって十分あり得るんだからね」
「うん……気を付けるわ」
「取り敢えずこの屋敷にいる限りは身の安全は保障されるみたいだから、あまり出歩かないようにね」
「ええ。……何だか師匠に言われているみたい」
クスクスと笑いがこぼれた。ウィルはばば様たちに向き直った。
「ばば様、リッカ、エルンスト。アリシアをよろしく頼みます」
ばば様は頷いたが、後の二人は目をそらした。私が必死になって心配かけない様にしているのに台無しだ。
「二人とも、アリシアに何したの?」
笑顔のウィルがリッカとエルンストに詰め寄った。飛んで逃げようとするリッカを鷲掴みにするウィル。
「いやぁー怖い怖いご主人様助けてぇー」
「言葉づかいまで変えて無理しているじゃないか」
「おそらく無理を止めたんじゃと思うぞ、のうアリシア?」
ばば様は流石お見通しだ。伊達に十年間一緒に住んでいない。ウィルはリッカを放し、私に視線を向けた。どちらの言葉が「無理」なのかは非常に微妙なところだ。昨日エリーゼと話していて思ったが、防衛本能によって子供でいなくてはという考えと、王女としての言葉遣いをしなくてはという考えがぶつかり合っているのだ。丁寧な方で統一しようとしているが、時折前者の考えが出てきてしまう。
「うん、村に居た頃は子供でいられたし、それは苦でなかったけれど、王都に来て、立場を痛感して変わらなくてはって思ったら、子供でいることの方が無理になってきたのよ。リッカに子供ぶって誑かしてるとか言われてしまったし……」
転生の事をこの場にいる中ではウィルだけが知らない。辻褄はあっているだろうか。
「中身までそんなに変えることなんて出来ないからね。安心して。私は私だよ」
「言葉、元に戻ってるよ」
「…私は私ですわ」
私が言いなおすとウィルはふっと笑った。顔の力が抜けたようなそんな表情で思わず見とれてしまう。腕を引っ張られ、次の瞬間にはウィルの腕の中に納まっていた。はっと我に返った私は、逃れようとじたばた暴れる。
「ウィル、ちょっ人前で何や……」
「へぇ、子供を止めたアリシアはこんな反応をするんだ。大人になるんじゃなかったの?」
く、黒い。からかうような口調で周りに聞こえない小さな声で耳元でささやく。離れたウィルはにっこりと無邪気な笑顔で「じゃあね、アリシア」と言って門を出て行った。か、勝てない……。本当に十二歳?
「ご主人様ー顔が真っ赤ですよー」
「こ、これは言葉づかいが直せなかったのが恥ずかしいだけであって、恋愛とかそういうのでは」
「はーい、そうですねー」
「どうしてウィルは良くて私がダメなんですか」
「わしやロベルトが許さんからじゃ」
ウィルを見送った日の夜、ばば様と二人で話をした。
「わしが言葉づかいを変えたのは村に行ってからじゃ。店を止めたというのに、現役のころを知っている連中からひっきりなしに声が懸って、隠居したという事を知らしめるためにこうなった。時々じじ様とふざけて言っていたからのう。あまり大変ではなかったが……」
「じじ様も年寄り口調だったの?」
「いや……出身が東京の下町で江戸っ子口調じゃった。ずっと変えることはなかったのう。アリシア、子供を演じるにしろ大人になるにしろ、あまり無理をして心を壊してしまう事の無いようにな」
「うん、わかった」
ばば様の前では子供になっている自分がいる。これは防衛本能によるものではなくて、素直にばば様の孫でいたいという気持ちなのだろう。
ウィルまで退場してしまいました。次話は早送りのお話です。




