森
「ばば様、木苺採りに行ってきまーす」
「あぁ、行っといで」
木製の扉を開ければ周りは全て森。広葉樹も針葉樹も、低い木も高い木も、草花や菌類に至るまで、様々な植物がこの森には生えている。この辺りは日の光が届いているが、奥まで入り込めば昼でも明かりの必要なほどに暗い。
葉擦れの音が聞こえる。頬を心地よい風が撫でて、黒い髪を揺らしていく。深呼吸して木々の香りを吸い込んで……
「けほっぅえほっ」
吸い込み過ぎて咽てしまった。気を取り直して森の中で目を閉じると、まるで座禅をしているかのように心が穏やかになっていく。
私の名前は、アリシア。前世の記憶をもっている。
現世では記憶を持ちながら生まれてきたので魔王云々の話も聞いていた。ばば様に預けられた経緯も。
日本語しか分からない筈なのにどうして理解できたのか、そのあたりは全く分からないのだけれども。
言葉が分かることから和風ファンタジーな世界かと思いきや、生まれた城は洋風だった。両親共に洋装だった。そういえば、父様の髪の色は栗色だったけど母様の髪は藤色だった。顔は……流石に六年も経つとぼんやりとしか覚えていない。もしも再会できたとしても分かるかどうか……
前世の記憶も時間が経つに連れて薄れてきている。少し怖い。生活習慣などは覚えているけれど体験した出来事の記憶に少し穴があいている。死んだ瞬間を覚えていないのは救いであるかもしれないけれど。
生活習慣といえばここの暮らしは前世の日本と比べてもあまり差がなかった。蛇口をひねれば水が出て、スイッチのようなものを捻ればコンロから火が出る。夜になったら炎ではない明かりをつけて、シャワーもお風呂もついていて、冷蔵庫の様なものもあった。無いのは電話やテレビやパソコンなど通信や映像に関するものだった。
どういう仕組みなのか、そろそろ尋ねてもおかしくない年齢になったかな。
「木苺見ーっけ!」
目当てのものにたどり着く。持ってきた籠の中の入れ物にいくつか採りながら、摘まみ食いをした。
口の中に咽てしまいそうなほどの強い酸味が広がる。
「すっぱーい。ジャムかな、これは」
森の歩き方を教えてくれたのは、ばば様だ。食べられる木の実、調合に使う薬草、鳥の種類、毒キノコの見分け方。ばば様は私が生まれた時から白髪頭だった。今時そんなしゃべり方する人いないよって位の年寄り口調で少し低い声で話す。手はしわしわだけどふっくらしていて、ときどき私の頭を撫でてくれる。
危うく生まれてすぐに殺される処だったのだ、贅沢は言うまいと思っていたけれど、ばば様はそれ以上のものをくれた。おそらく、お城にいたままでは到底得られないものだ。
ばば様には転生したことは黙っておこう。余計な負担はかけたくないもの、ね。
「ただいま、ばば様」
「おかえり、アリシア。ほれ、誕生日おめでとう」
「うわぁい、ケーキだぁ」
私を出迎えたのはばば様と果物いっぱいのショートケーキだった。
ばば様のケーキはおいしい。本当においしい。涙が出るほどおいしい。使っている材料は素朴な物なのに、パティシエが作ったみたいに洗練された味がする。魔王の卵扱いされるかもしれないこの世界で、こんなにおいしいものが食べられると思ってなかった。
……魔王になんかなりたくないよ。ずっとずっと平和な世界が続けばいい。
何から頑張ればいいのか分からないけど何でもいいから頑張ろう。食べながら私は密かに固い決意を決めた。
ケーキを食べてご機嫌になった私は、お皿を片付けながら適当な節をつけて歌を歌った。
「わーたしーはあーりしーあろーくさいーですー
くーろかーみあーかめーのよーうじょでーすー
きょーうはたーのしーいたーんじょーびー」
私のヘンテコな歌を聴いていたばば様がぼそりと呟いた。
「そなた、転生者じゃな?」
あんぐりと口を開ける。なぜばれたっっ?
「普通の子供は自分のことを幼女だとか言わん」
……確かにっっ。
なんだかアホの子になった主人公。こんなはずでは……