第7章 光陰
彼女はすぐさま拳銃で銃弾を連続的に穿って行く。
それらは全て憎きオルタナへと向けられたものであるが、彼女は反射的に反重力装置を展開させ、そのまま空中を舞った。
地下鉄の駅であるために天井が極めて低く、彼女は天井を踏み台にしては剣でゲシュタルテに向かって斬りかかった。だが其れは彼女の拳銃で防がれてしまう。
一瞬、剣と拳銃が触れ合った際に発生した火花が迸り、閃光をも走った。この時、遠くに居たヘテロが拳銃をゲシュタルテに向けて発砲したのである。
その銃弾は、オルタナに気を取られていた彼女に直撃し、左脇腹を中心とした箇所が出血する。
咄嗟にオルタナは離れ、ヘテロの攻撃を蒙った彼女を遠くでみた。項垂れ、絶望の淵に佇むゲシュタルテの様子は、怨念、憎悪が死体を動かしていると言った感じであった。
「…過去の行為の一切を忘却し、暢気に息してるお前の姿、佇まい……見てると怒りが収まらねえんだよ!!」
攻撃を受けても尚、彼女は俊敏に襲撃を図った。
不意を打たれたオルタナは、至近距離まで迫っては持ち前の剣で襲い掛かってきた彼女の攻撃を茫然と見ていた。
しかしヘテロが反応し、拳銃で一時的に受け止めた。すぐさまオルタナは動こうとするも、身体が硬直して動けない。
睨むゲシュタルテの顔、憎悪に駆られ、復讐鬼と化した彼女の様相を眼界に映しているだけで、身が凍えるように震え、思うように動けないのだ。金縛りにあったようにも思えた。
代わりに攻撃を受け止めていたヘテロが、そんな彼女に必死な視線を送るも、応えられずにいた。いや、応えられなかったのだ。
唐突に襲い掛かった、眼前の宵闇。恐怖の体現化とも言える具合のそれを、彼女は悶えていた。苦しく、息さえも出来なかった。辛苦の感情が身体を覆い尽くし、持っていた剣を地面に落としてしまう。
落ちた音が地下鉄駅の空間で木霊し、目を開けっぱなしにしてはゲシュタルテを見ていた。徐々に頭が痛くなり、吐き気をも催した。謎の苦痛が、オルタナを嗤っているようであった。
「……オルタナ、どうした!?」
「―――まさか、恐怖で怖気づいた?…情けない」
ゲシュタルテは力押しして、ヘテロを押しきった。
そのまま彼女はホームに転がり、其れを尻目に彼女は、立ち竦んでしまっていたオルタナの方に足を進めた。
唖然とするヘテログロジアの眼差しを、オルタナは視た。しかし動けない。何故だ、何故だ―――ドウシテ―――反芻させるように彼女は自問した。
やがてゲシュタルテは、銃口の先をオルタナの額にくっつけた。人差し指を引き金に掛け、怒りと笑いを複合させた表情を口元に浮かべている。
「……お前によって、私の家族は滅ぼされた。快楽殺人によって一家を全滅させられた者の気持ちを、お前は分かるのか?」
ワカリタクナイ、ワカリタクナイ。ソンナノ、ダレダッテツライ。
ワタシは、そんなコトやった覚えなんか無い―――頭がイタイ―――イタイよォ―――どうして……思い出せないよォ……。
彼女に不倶戴天の仇敵としてワタシを実存させ、言明させるコト―――そんな事実も思い出せない―――何故ダ、何故ダ―――。
雨が降って、雨が降って―――そして泣いて―――ワタシは……ドウシタ………?記憶、ナイ―――ナイよォ―――。
あ、ああ、あああ、ああああ……動けない…動けない……ワタシは…ウゴけない……。
眼前の恐怖が、相容れない神理が、ワタシを覆い込んで、覆い隠して、そして……覆い消えたンダ―――何デ、何デ―――?
ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ……あああ、ああああ、あああああ………。
「…ヤメテ、ヤメテ、ヤメテ………!!」
その瞬間、それは意識裡のうちの大事であった―――彼女は剣を取り、目の前の彼女の拳銃を落とし、腹部を貫いていた。
刀身が血色に染まり、身体を媒介して別の空間に突出している。吐血させるゲシュタルテに、オルタナは無心のままであった。
そのまま刺し抜くと、血が溢れた。ゲシュタルテはホームに崩れ落ち、両膝を地面に付かせ、そのまま座り込んでしまう。
過呼吸に陥り、血の水たまりが出来上がっていたホームに目を投げ落とし、レリーフのように身体を固まらせては、オルタナは何も知らない、知りたくないの思いでその場から離れた。
続いてヘテロも其の背を追うが、オルタナに逃げられた彼女は立ちあがりながら更なる復讐の想いを、その心に焼き付け、刷新させること無く絶望に打ちひしがれたのである。
「覚えてろよ……オルタナァ………!!」
◆◆◆
駅での戦闘もあって、オルタナは一種の鬩ぎ合う恐怖に襲われ、まともに本を買う事が出来なかった。
確かに巨大な本屋は幾多も存在していたが、何処も入る気になれず、気が滅入ってしまっていた。
そもそも諸々の一般的感情は理解していたつもりでいて、非人道的なゲシュタルテの被害の犯人が自己である自信が持てず、しかし良心が暴れるようになり、途中で何度もトイレで嘔吐した。
朝に食べたものが逆流して吐かれ、それでも彼女は自己として確立されることに耐えた。
連綿的な嘔吐を彼女に襲い掛かっても、精神だけは保とう、精神だけは保ちたいと揺るがぬ信念が、オルタナと言う存在をを生き続けさせた。
何度もヘテロが心配そうな顔で状況を問うが、大丈夫とだけ言うオルタナは重い影を伴わせていた。
一回休憩として、彼女達は神保町にあるファミリーレストランに入った。
気を保たせた彼女から嘔吐の脚気は無くなり、ゲシュタルテの事を忘却させた。思い出せない事実に、彼女は飲みこまれていただけ―――被害者面を内心気取らせ、体調を整然させたのだ。
みるみる元気になったオルタナに、ヘテロも安堵の息を漏らしたが、やはり気がかりで致し方ない。何せゲシュタルテは嘘とも言い難い真剣さで、オルタナに言っていたからだ。
無論、オルタナも其れは分かっていた。把握していたのだ……しかし現実と言う利己的なものが其れを許さない、聴許されないのだ。
誰彼が其れを否定させても、自己の中では其れが延々と残り続けるのだ。霊性とも神秘性とも言える何かを憑かせ、心の中で徘徊するのだ。
「……何とか、気分を戻らせた。メイワクかけて済まない、ヘテロ」
「私は平気だけども、大丈夫か、オルタナ?何度も吐いた後に飯なんか食べても」
「軽食さ。其れに今は吐き気の気配は無くなった。メイワクかけたお返しに、何か奢るからサ」
彼女たちは簡単な軽食として、朝ご飯の少々とドリンクバイキングを頼んだ。
運ばれてくる軽食を食べながら、話に更ける。そうしていくうち、先程起こった出来事は忘れられようとしていた。都合主義の事実が顕在化させていたが、オルタナは気づかなかった。
やがて軽食を食べ終え、会話を続ける2人。オルタナの脇には、大好物のコカ・コーラが置いてある。氷が綺麗に光を反射させ、炭酸溢れる黒い液体の中で浮かんでいる。
「……どうでもいいけどさ、何か御勧めの小説、ある?」ヘテロは聞いた。
「御勧め?どんなの」
「私は海外小説家が執筆した小説系、かなぁ。海外小説ってジャンルのやつ」
「なら私が昔読んでた、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』と、ジョージ・オーウェルの『1984年』とか『動物農場』とか、かなぁ。王道過ぎるかなァ。もっと言えば、フアン・ルルフォの『ペドロ・パラモ』、ゲーテの『ファウスト』だよネ」
「よく知ってるね、流石は読書好きかな」
ヘテロは置いてあったメロンソーダを飲み、そして置いた。
「…で、オルタナは何が欲しいの?」
「……今度はトマス・ピンチョンって人の小説が欲しいなぁって。どの小説も評価が凄い高い人で、興味あるんだ」
「ピンチョン…聞いたことがあるなぁ。で、小説名は?」
「『逆光』。……まあ良くは分からないんだけどさ、名作だって聞くんだよね。だから読んでみたいなあって思ってサ」
彼女たちは他愛ない会話を終え、再び神保町の街に繰り出した。
先程まで体内で暴れていた嘔吐の虫は消えていたが、やはりゲシュタルテの言った事は頭の中で回り続けていた。
多くの本屋に寄っては面白そうな本を探すも、『逆光』は見当たらない。此処でヘテロが何冊か購入していたのを、オルタナは知った。
不思議な意固地たる性格が湧き出てくる。しかし焦燥に駆られても仕方ないだろう。
彼女は本棚で長い事眠っているであろう本を手に取って、其れを買った。と言う、幻獣辞典と言う、彼女が聞いたことの無い本だ。
作者はホルヘ・ルイス ボルヘス―――ああ、伝奇集の著者か、とオルタナは咄嗟に理解した。結局、神保町の本屋街で買ったのはそれだけであった。
◆◆◆
夜になって、オルタナとヘテロは東京大同病院に帰ってきた。
寒い地に行くとあって、彼女たちは数多くの防寒具たるものを購入し、また、暇つぶしや趣味などのものを買ってきたために、バーゲンセールから帰ってきたようにも見えた。
両手に詰まった手提げ袋を持ちながら、2人は既に疲弊しきった身体でオルタナの病室に姿を見せた。
そのままヘテロは手提げ袋を机上に放り投げるようにしては、オルタナより先にベットに飛び込んでは大の字に寝た。
寝る場所を占有されたオルタナは致し方なく椅子に座っては、置かれていたテレビを付けた。案の定、都営三田線の神保町駅ホームで起こった傷害事件が報道されている。
しかし其処まで大きなトピックとしては描かれておらず、どうでも良さげな空気がマスコミの編集によって醸されている。
オルタナはゲシュタルテの言っていた事を忘れかけていたが、やはり、どうにも忘れられずにいた。
過去の自分がどんな罪をしでかして、良心に終わりなき侵蝕を与えたのかは知る由もない。
だが、どうにも自己の知らない、意識裡の世界で―――迸る隨縁、因果たる意識的トラウマが何度も何度も蘇りそうな気がして、気がして―――おかしくなりそうであった。
精神が震い、どうも包摂出来ない自己知己を我侭に扱おうとする自分への天罰みたいなものなのかもしれなかった。
やおら落ち着いては、彼女は画面が遷り変って大々的にテレビで報道していたニュースに目を向けた。其処には見た事があったような顔立ちが3つ、存在していたのであった。
――――今日の午後5時頃、全日本零人理研究会会長のオーウェン氏が論文を発表。『200年後の地球はヴェルサスの身体を持たないと汚染に耐えられない』
――――これによって論争が勃発、ヴェルサス肯定派に副会長のカミル氏、書記のウェーバー氏、著名科学者の藤原妹紅氏。反対派に書記の霧雨魔理沙氏、前期会長のノーエンデイル氏。
「…さりげなくマリサが居るな」オルタナは呟いた。「それよりもヴェルサスって何だろう」
「何か雑誌で聞いたことがあるなァ。『ヴェルサス抗体』ってやつがあって、其れが人間の抗体を全て駆逐しては刷新し、新たな抵抗力を得れるものじゃなかったっけ。ウイルス性で、感染すると忽ちヴェルサス体になる。噂だと、抗体だけじゃなくて細胞とかも全て刷新されて、ヴェルサス体になった人間は最早原型を留めていないらしいよ」
「…しかし、200年後ってまだまだ先だよなァ。確かに先を見るのは大事だが、そんな危険なモノを人間に用いていいのダロウカ」
「危ないよな。そんなものを暴走させてみろ、人間はあっという間にヴェルサス化する」
此処で部屋ににとりが入ってきた。
彼女は2人の帰還を待っていたようで、暢気に過ごしていた2人が会話していた内容を聞きつけてやって来た。
「ヴェルサス体ってのは今ヘテロさんが言った事が全てだね。反対派は未だ安全な用意法が進められてない現状でそんな危険性の或るものを用いてはいけない、と言う考え。逆に肯定派って言うのは、絶え間ない汚染への対抗策として強硬的な手段に出た訳さ。まあ飽くまで論文上の話だけどね」
「しかし200年後、って。どれだけ先の話を考えているんだ?」ヘテロが言った。
「先進科学の世界とは常に未来と向き合ってるのさ。温故知新とも言うように、新しきを知らなくちゃ何も始まらない。だから科学は人間に何かを与える存在にもなるし、逆に滅ぼしかねない存在になる」
にとりは改まって言った。
「零人理とて同じコトさ。未だ解明されないサーカムフレックス体の神秘、其れを活用して今の我々を良くしていこうと言うのが零人理部の最終目標。結局、科学に行きつく先は無いんだよ。……明日は早いから、早く寝るんだよ。ヘテロ用にも部屋は用意してあるから…隣の部屋ね。じゃあ」
◆◆◆
オルタナは朝の五時にセットした目覚まし時計―――と言ってもスマホのアプリに過ぎないが―――で起床した。
すぐさま着替えて、行くための準備をする。血が染みついた剣は既に燦然たる刀身を以てしており、防寒具も完璧であった。
階下の玄関口に降りると、既に魔理沙とアリス、にとりが来ていた。3人は他愛ない会話を受付口のベンチに座りながらしており、準備の良かったアリスはマフラーなども完備していた。
オルタナの姿を見つけたにとりはすぐさま駆け寄り、魔理沙は笑顔を浮かべた。だがアリスは嫌悪感を示していた、其れをオルタナは見た。余り好感持てなかったのか、オルタナを毛嫌いしているようにさえ思えた。
3分後ぐらいに、皺くちゃのスーツ服を着た白河が来た。彼はぼさぼさの頭で、魔理沙に髪を梳かしてこいと追い返されてしまった。
やがて再三登場した彼の髪はしっかり整っており、身だしなみも良くなっていた。
しかし、ヘテログロジアが一向に来ない。既に玄関の掛け時計は4時55分を示していた。
此処で彼女は慌てた様子を見せてやって来た。聞けば寝坊したようで、集合時刻の10分前に起きたというのだから、これまた早い準備である。
アリスはヘテロに対しても嫌悪感を示していた。零人理部総括のくせに何故サーカムフレックス体を侮蔑するような態度を見せるのか、これまたオルタナの心に蟠りとして残った。
すぐさま中目黒駅へ向かった一行は、日比谷線に乗って恵比寿駅に行く。そのまま山手線に乗り換えて大崎、品川と過ぎて東京へ着いた。
乗り換え時間が少ししか無かったものの、此処から新幹線―――上越新幹線に乗って一気に飛ばすのだ。だから、まだ食べていなかった朝飯を買いにオルタナは疾走した。と言うのも、目を真っ赤にして駆け抜けて言ったヘテロと魔理沙を追いかける形であったが。
駅弁屋で駅弁…新鮮な魚介類が詰まった丼を購入し、アリスが事前に買っては管理していた切符を配給させて貰い、改札を通った。
だけれども、オルタナが切符を入れた時に改札が光り、音が鳴った。―――『こども』の合図であった。身長は既に大人並な彼女がこども扱いされた…顔を潰された心地であった。続いてヘテロも同じように鳴り、彼女は顔を真っ赤にしては笑っていた。
―――タンラクテキなヤツ。そう思い込んでは、髪の奥からアリスを睨みつけた。キッ、と眼光を走らせて、睥睨したのである。アリスは知らん顔でホームへ続く階段へと歩いて行き、睨むオルタナの存在を察知していないようにも思えた。
この、新手な嫌がらせに、オルタナはひどく傷つけられた。冗談なんかでは無く、また、決して賃金を誤魔化そうというスタンスでは無いのは洞察していた。
彼女が、サーカムフレックス体に何らかの恨みや瞋恚を抱いている、そうとしか考えられなかった。
上越新幹線ときに乗って、一気に浦佐駅まで向かう。
途中、大宮や高崎と言った駅に停車しながら、そのまま国境越えをする。やがて長いトンネルを抜けた後、東京では見られなかった積雪が徐々に観測出来るようになる。
一番窓側の席に座るオルタナは、車内で映り行く風景を肴に、駅弁を食す。蕩けるようなイクラが口の中で一つ一つ膜が割れていく快感が堪らない。やはり此の駅弁を選んでよかった、と彼女はつくづく思った。
隣ではヘテロが雑然と菓子を食べていた。其れをヘテロを挟んだ反対側の席のにとりがこっそり取っては食べているのを、ヘテロが気づかないというのもまた、面白かった。
浦佐駅の一歩手前、越後湯沢駅に到着するとの旨の放送が入った時、見慣れた景色が窓の向こうに見えてきたヘテロは自慢げにオルタナに言った。
「今まで私は此の町にあるホテルで働いていたんだなよなぁ。なんか、懐かしいな」
「…スキーは上手いの、ヘテロ」
「これと言って上手くは無いんだがな。もしよかったら、今度私が働いてたホテルに泊まってはスキーやらないか?面白いと思うぞ」
「……考えトク」
やがて乗っていた新幹線は浦佐駅に到着した。ヘテロが食べていた裂きイカの匂いが充満する車内から足早に彼女は退却した。
冷えた空気が肌に触れる。やはり山間地に来たとだけあって、寒さは油断できないものだ。既に息が白くなって空中に還って行く。
しかし、依然として只見までの道のりは遠かったのであった。