第5章 逆光
彼女と再会すること、其れはウレシイことなのか―――?ワタシは、ワカラナイ。何が自分にとって最大幸福であって、何が自分にとって最低不幸なの―――?
ワタシはワカラナカッタ―――此の、ハカイされた公園を見て、偽善とも偽悪とも言うべき賤しい行為に恥じを感じずにイラレナカッタ―――何デ、何デ…。
自己の本質的な心情が、其れを咎めているのは分かっている―――呵責とも分かっている―――だが此れだけはワカラナイ、ワカリタクモナイ―――。
見窄らしさが遍く露呈した……天地を覆す大噴火、大雷雨、大海嘯、大地震の火煙、土煙、火砕流、大竜巻―――あらゆる天変地異より勝ったソレを、ワタシはドウシタノ―――?
間歇的に、内なる秘めたソレが冷笑し、ワタシの前に矜持を以て立ち塞がり―――ワタシは―――ワタシは―――コワレタ…コワレタニチガイナイ―――そうとしかカンガエラレナイノダ―――否、それしかカンガエラレナカッタ―――。
……こういうのを夏炉冬扇とイウのは重々省察はしているし、尸位素餐に佇むソレをワタシは許すコトもないだろう―――だけどワタシは―――罪を、犯して、しまった―――意馬心猿なのかもシレナイ―――それだけで…ナサけなく感じた―――。
ワタシは―――あらゆる意味でのこうした「ソレ」に付随する勃然的な所以たるものを見逃した―――感心した。見た。聞いた。驚いた。自己の呆れるまでに愚かな真理を―――。
…………無中心化し、動物化し、自涜化し、神経衰弱化し、形骸化し、変異化し、堕落化し、天変地妖化し―――――フラフラフラと……ワタシは……シズんでいった……。
気が付けば、ワタシは3人で恵比寿駅に来ていた。ヘテロとにとりは互いに紹介を済ませ、すっかり意気投合していた。にとりに至っては、新たなサーカムフレックス体に出会えてうれしい様子であった。
警官に執拗に事を聞かれ、公園で起こった一切を問われた―――ワタシは慨嘆した―――だが監視カメラの証拠が決定打となって、ワタシは解放された。
身を守る事は罪なのか?…そう何度も反芻させて自問すると脳裏が痛い、イタくてイタくて仕方が無かった―――。
ワタシはにとりとヘテロの2人と共に、恵比寿駅近くのカフェに入り込んだ―――東口の小洒落た、全国展開するカフェだった。ワタシはそこで適当に注文した。
窓際の、背凭れの無い丸型イスに3人揃って腰掛け、美味しいと評判のクロワッサンを頬張った―――暖かく、口内で蕩けるような生地に普遍的な「美味」を感じた。
これが「オイシイ」―――彼女は一体何が何だか、幻想と現実が絡み合って、重力に薄引かれたようであったが…やっと何か目を覚ましたようであった。
他愛ない会話が、窓際で繰り広げられる。
「……アイツは一体なんだったんだ?突如として公園から姿を現した機械…アンティキティラ型に見えたが」ヘテログロジアが云う。
「…ワタシは見た。アンティキティラ型サーカムフレックス体、ジョン・L・オースティン……これがアイツの一般呼称名だと思う」
「アンティキティラ型…ジョン・L・オースティン―――何処かで聞いたことあるような、ないような」にとりが疑念を抱きながら発言した。
「…聞いたことがある?」
「え、うん、まぁ。アンティキティラ型ってのは一般論として巨大なサーカムフレックス体…それこそ作業用、掘削用、様々な用途に用いられる形体でね。そもそもサーカムフレックス体そのものがロストテクノロジーだけど、アンティキティラ型だけはどうも最近の技術が付け加えていられる形跡がある微妙な立ち位置なんだ」
「つまり、純粋血統のサーカムフレックス体とは、言えないのか?」
「そういうこと。其れが暴走を起こしている…到底裏が無いとは考えられない。しかも狙いを付けていた―――オルに」
にとりは此処でオルタナを見た。
彼女はコーヒーを片手に、窓の向こうの世界を見つめていたのであった。しがない気分と共にあって、黄昏ていた。
「……そうだ、聞きたいコトがある。先程シラカワが言っていた「一つの場所」って、ドコ?」
「此処からは遠いけど、只見ってとこさ―――其処にある遺構みたいな場所に、元あったサーカムフレックス体の意識系列が発掘されてきている。…其処に何かあるかもしれないって訳さ」
「只見?只見なら越後湯沢から若干距離あるけど近いじゃない?」
ヘテロが自慢げに2人に言った。実際、只見とは何処なのか、オルタナは知る由が無かった。
彼女もまた、スマホを持っており、其れで検索をかけると、どちらも越後地方に存在する町であり、直線距離で測れば近いとも言えた。
しかし、険しい地形に囲まれる両方の町で、越後湯沢には新幹線が通ってるからこそ行きやすいが、只見は只見線と言う電車しか走っていない。
更に調べれば、只見線は"極めて列車本数が少ない"。果たして此れで行き易いとは言えるのか?…言えないだろう。
オルタナはその事を知って、幻滅さえした。しかし、其処まで行き難い町に何か秘密が眠っているとさえ考えると―――興味さえ湧いてきた。
「……しかし、此処に私たちサーカムフレックス体の神秘が眠ってるのか?本当に?」
「てか此の話は余り大声では言えないけど、只見の遺構は全国の零人理研究者にとって話題に上がる事は少なかった。そもそもサーカムフレックス体が現存するかどうかでさえ有耶無耶だった」
「…オルタナと私の存在は、元来仮定されてきたのか…。良い心地はしないが、私の真理が気にならないとは言わない。複雑だ」ヘテログロジアは、一旦間を置いてコーヒーを飲んだ。
「…多分、オルタナを解析して得たことは論文化されて提出されると思う。その時、学会がごぞって只見を訪れるのが目に見えてる。先ずは東京大同病院だけで、秘密裡に進めたいが、何せシラーの英雄主義がなぁ…」
「…シラーって誰だ」
「シラカワ・ヒデキ。…にとりの友人さん」
「あんな奴を友人呼ばわりするのは御免だね、オル」にとりは続けた。「少なからず、シラーには話を通す。きっと病院も分かってくれると思うし、もしかしたら同じ考えかもしれない」
◆◆◆
夜が更けてきた。
段々と薄暗くなっていって、月が燦然として空で輝き始める。誇示する月の姿は、美貌そのものであった。
彼女は戻った病室で、一人孤独にベットに腰かけ、窓から見える月を見続けた。部屋の蛍光灯の光に反射する自分の姿が、窓にうっすらと映っている。眼帯をし、髪が長い顔であった。
そのままオルタナは寝転がった。寝転がって、机の上に置かれた本を手に取り、買った時に付属していた広告の入った栞が挟んだページを開く。
「胎児の夢」―――――人間の胎児によって、他の動植物の胚胎の全部を代表させる。――宗教、科学、芸術、その他、無限の広汎に亘るべき考証、引例、及び、文献に関する註記、説明は、省略、もしくは極めて大要に止める―――。
胚胎は人間の対峙によって代表された、されたのだ―――彼女は読み進めた。時間が刻々と過ぎていき、やがて時の経過を忘れた。
机上にはもう一つ、食べ終えた病院食のトレイと空の茶碗などが置かれていた。
彼女は静かに本の後ろに誇って存在する蛍光灯を、まじまじと見つめた。
ただ、ただ光り続けていて―――その様子は―――眼前を遥かに凌駕する意識体にも類似していた気がした。
彼女は読みながら考えた。
今日の昼に襲い掛かってきたサーカムフレックス体は、一体何だったのだろう―――地下の下水道などを破ってまで公園から登場させ、<顕示欲>を見せつけた彼奴の正体が、分からなかった。
ジョン・L・オースティン…ジョン・L・オースティン…一体何者なんだ?直示的に、自己を見せつける奴の姿、佇まい―――。
彼女は考えるのを止めた。思考が、奴の存在的な意義に付いていけなかったからである。
ブックカバーが付けられた文庫本をベットに置き、大の字でベットで寝た。電気が付いたままであったが、眠気が襲い掛かってくる。
懐のスマホが揺れた。手に取ってみれば、ネットニュースの速報だった。
―――――新潟出身の有力零人理科学者、藤原妹紅氏が今日の恵比寿で発生した事件についてコメント。
―――――「鎮圧させた人物はイシュゾルデ系列のサーカムフレックス体に違いない」全国手配で捜索開始
ややこしい事をしてくれたな。
彼女はそう思い、そのまま眠りに耽った。時計の針は、静かに11を示していた。




