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第19章 兵隊島の炎

寝ていたところにやって来た客がおり、ベッドから起き上がった彼女はその来訪を視界に捉えた。寡黙にして漆黒を纏う存在、それは全てを畏怖嫌厭しているようにさえも見える者―――カイアス博士であった。

彼は何も喋らず興味を持たずの人柄であったのに、わざわざ自ずから部屋にやって来たのである。オルタナにとっては一驚に馳せるのは容易な話だった。格率に沿って生きろ、合理的に生きろ、論理と倫理の狭間で息を潜めろ―――確かに"生"と言うのは重苦しいものであったが―――初めてだ、とオルタナは感じ取ったのである。その潜在的な第六感が、彼の到来の面影を悟ったのだ。こうやって誰かの部屋に、自らの興味や考えを翻訳して足を運ぶような事――その影は語っていた。否、これこそ汝の"幻影である"、と。


「……何の用デスカ」


彼女が声を偶像のような存在に投げかけると、窓から漏れて来る風が黒の外套を少し吹かせた。黒が靡く。彼は顔を隠していたシルクハットを少し浅くしては、眼前の彼女に向かって微笑んだ。硬い笑みである。

そして口に笑いの後味を含ませては、再びシルクハットを深く被って静かに呟いた。


「お前と言う存在に、さっき会って初めて感付いた。お前、人を裏切って楽しいか?」

「何を言うんだ、イキナリ」

「先ずは私の質問に答えて貰おうか。こんな真似はユダやカッシウスでもしないぞ」

「先決の御質問ですが、内容がとてもと言う程吟味されていないものは答えるに如かず、ですノデ」


彼は依然として姿佇まいを変えず、而してオルタナに不条理な怒りを露にした。一つ一つの音韻が、静かながらも荒ぶっていた。オルタナは純白のシーツがかけられたベッドの端に座っては、苛立ちや憤懣を内奥にひた隠す彼を睨みつける。彼は彼女の答えが案の定のものである、とでも思ったのか、突然に笑い始めた。

しかしその笑いは先程とは異なって、露呈しそうになった感情を慌てて不自然に韜晦させる役割だけのものであった。彼女にはその不自然さが見え、余計に不穏さを掻き立てていた。


「質問に答える価値は無い、そう言いたいのか?」

「ワタシはコキュートスへ行かなければならない義務なんて無いカラ」

「地獄なんて存在しないさ。…あんなものは神を信じる者の脳内だけで結構だ。ただ、カインのように、否、カイン以上の苦しみを味わう事になるかもな。お前は」

「地獄を信じないのに創世記ジェネシスは信じるノカ」

「真理を求める以上、此の世界が作られた所以ぐらいは知らなければならないね。比喩やアイロニーとしては格別な価値を見出せるが、実話としては無そのものだ」


互いに掴みどころを見せない押し問答の繰り返しで、全体的に文面が飄々としている。しかし2人は自体それぞれの意思に従う姿を見せ、しかし阿諛追従のような愚は犯さないでいる。

立ち上がって、沈黙を正義だと語られていた来賓と口話を続けるオルタナ。窓からは暖かな日差しが入ってきているが、彼女はそれをカーテンで覆い隠した。日差しは聖寵のように清らかなものであったが、遮蔽された世界は辺獄のように何もない。


「やっぱり『最も真理に近い存在』と言う仇名は嘘では無かったらしいですね。今でも真理を探し求めてるのカ?私をユダやカッシウスに喩える以前に」

「……それでは遅すぎた、では済まされない」

「予定調和論を信じないのですネ。まあワタシとてニーメラーの詩に表されるようなナチズムの表敬者ではありませんし。…それにワタシは貴方のヌーメノンでは無いし」

「お前がワタシのヌーメノンだと言いたいのか?馬鹿は休み休み言え、そもそも裏切りの代償は大きい事実に先見の明を通したらどうだ。お前の勿体ぶった知識よりも自分が大事では無いのか」

「自分は大事サ。でも、それに見合うだけの明がナイ」


すると彼は大きな溜息を一つ吐いた。魂さえ漏れてしまいそうな程度の大きさであった。そして彼は、何食わぬ顔で反論している彼女の胸倉を掴んだのであった。黒から纏い出る手がオルタナを宙へ引っ張った。

斜めになっていたシルクハットの下の暗闇から、真っ赤に染まって充血した左眼が彼女を至近で凝視した。鷹も恐れ、蛇さえ怯み、神さえ逃げ出すような超人の眼差しである。全てを殺すその眼に、オルタナの「良心は」懼れ慄いた。しかし彼女の身は全く動じない。否、動じても仕方なかったのだ。そして、血塗れた彼女の裏がオルタナの顔の左半分を染め上げた。

忽ちカイアスは手を離した。そのままベッドに大の字で倒れこむも、すぐに起き上がる彼女。だが左眼は多くの死を見届けてきた残虐な眼を浮かべていた。水色の髪の下から浮かべる、狂気の輝点。

今度は扉に向かってカイアスを蹴りつけた。怯む様子を見せながらも、彼は扉の前で磔になるように寄り掛かった。その姿を見て、彼女は嗤った。無様な姿を見せる男の、情けない意思を見て。


「……裏切り者?一体何の事を言ってるのかサッパリだよ…あはははは」

「その狂悖に満ちた嗤い、まるで神は死んだと謂いたいような殺戮狂の眼。やっぱり私に見間違いは無かった。…まだ私の正体が分からないかい?」

「分からないね」

「……教えてあげよう、シモーユ…シモーユ・ヴィナンツェ!!お前と言う存在が裏切った存在―――そして多くの存在を殺して来た殺戮狂を見届けた存在……私の名はゼヴェロン・ゲシュタルテ!!!それでも思い出せないのか、大馬鹿が!」


この時彼女は完全に良心を捨てた、別の意思に為っていた。元あった優しい彼女は消えた。そして立ち向かわんとするカイアス…否、ゼヴェロンに対し、彼女は徐々に近づいたのであった。

そして右手で彼の首ねっこを掴むや、其れを腕力で締め上げた。辛苦の声が漏れる。しかしオルタナは止めない。彼女は締め上げながら、静かにこう言ったのであった。


「…大正解パーフェクト。にとりに連れ出された時、正直悩んだんだヨ。でもそうした方が都合いい事に気付いてね」

「……どういう事だ」

「私は誰かが破滅する姿を見るのに快楽を覚えるんだ。魔女狩りの前、私は城の門番を務めていたり、暗殺者の役目も果たしていた。それも、誰かの親切の受け渡しで、サ。するとどうだ、味方が籠城してる城に攻め込んできた敵がワタシに開城するよう言って来たらすぐ明け渡したり、金も無い町人が略奪、殺人された復讐としてワタシに暗殺させたり―――換言すれば、人が死ねば別に何でもよかった。兵士になって好き放題やったし、処刑人になって自分で殺す事を合法化させたり。別に何だってよかった。同じ死の前では身分や価値なんて関係ないから」

「……清々しいまでにゴミみたいな性格だな」

「魔女狩りの体裁も、ワタシに殺されそうになった奴らの下らない復讐だろう。そうしたら神の加護を得てこのザマさ。サーカムフレックス体?罪を贖え?知らないね。そういや神様に会った時、私の良心は「大いなる変革を」ワタシじゃない誰かが引き起こすものだと張り切っているよ。でも本当は<灯台下暗し>、すぐそこに居るのにね――――。まさか自分がヴェルサス爆弾を落とそう、だなんて考え無いだろうし」

「ヴェルサス爆弾?お前正気か?」

「正気だよ。曾て魔女狩りの際、「101号室」と言う拷問部屋で拷問を受けていた時から―――ね。ワタシ、こう見えても頭脳明晰なんだ。当時は分かっていなかった原子単子は当たり前、相対性理論だの地動説だのフェルマーの最終定理だの、基本は理解していたつもり。これが一種の『明』ってやつ?その明を活かした爆弾……ヴェルサス爆弾は既に着工してある。保管場所は言わないけど、皮肉なことに『当人が知らない』のだからね。そして毎回、うなされるのさ。過去の夢…別の自分が犯した夢に、さ。こんな滑稽譚は中々無いと思うね」


「―――お前と言う存在は、此の世界に於ける癌みたいな作用だな」


呆れ果てた彼は、一呼吸置いてから彼女を罵った。しかしもう一つのオルタナにとって、そんなのはどうでも良かった。別に自己の知己が蔑まれ、侮辱されようが知った話では無かったのである。

彼女の中に最早哲学や流儀は無かった。否、最初から無かったのかもしれない。彼女の中の神は死に、今や死体となって寝転がっている。恩寵も届かない。背中に煌めく火影は地獄を嘲笑う彼女の意思の具現化である。其れは彼女が殺して来た人々の血を燃料として、優艶に燃え盛っている。


「今は全人間零倫理研究会がワタシを捕まえんとしてるけど、あんなのは只の大義名分だよ。本当は"ワタシの正体を知っている奴がいる"。恐らくはオーウェンか藤原妹紅だろうな。其処まで固執する訳は無いのに執念深く追ってくるのは、ワタシを止めようとしている」

「しかしお前の仲間はお前を助け、しかも研究会に歯向かっている」

「…きっと向こうに捕まった魔理沙や白河はワタシの武勲について嫌と言う程聞かせられ、そして向こうの味方になるだろう。やがてワタシ1人だけが孤立しても、もう遅い。世界はヴェルサス抗体に侵され、蝕まれる」

「全て計算の内だったのか」

「偶然も計算に入るならね。毅然として一画の表体に顕わした計画に則ってワタシは動いているまでで。其れを貴方たちがどう呼称するのかは任せる。でも、もう遅い。ニーメラーの意思はもう届かない」


彼女は両手を広げた。薄気味悪い笑みと共に、暗闇の中の真理に向かって、その恐ろしい牙を差し向けた。


「研究会は憐れなこった。ワタシ1人を捕まえるのに苦労しているのだから。きっと此れからもワタシを追い続け、やがてワタシの仲間は減っていくだろうね。まるで兵隊島のように。だけど、其れが一体何なんだと言うのか。前述したとおり、『同じ死の前では身分や価値なんて関係ないから』」

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