第13章 絶望の具視
ヘテロが運転するワゴン内で眠りに耽っていた天子もあって、オルタナは1人薄暗い外の景色を見つめていた。何も見えなかった。否、彼女が見ようとしなかっただけなのかもしれない。ただ、うっすらとした、そして、ぼんやりとした景色は熱せられたマシュマロのような造作、形態を醸し出していたので、彼女がただ見なかっただけなのかもしれない。無駄に響くエンジン音。宵闇は静かだ―――誰彼が寝ていて、しかしV2ロケットが落ちてこないとも限らない―――彼女は目を瞑った。視界のレティクルが消えようとしていて、代わりに自己が投影させたもう一人の自己を転換子の構造を持たせた。暗闇が牙を剥いた。牙が抉った彼女から流れる深紅はやがて眠気へと変化し、そして………。
目が覚めると、其処には大きな顔で映えたヘテロが居た。叩き起こされるように起き上がった彼女は、一つ眠たそうな欠伸を浮かべた。遠く、うっすらと橙色がかった空が「夜」を攻めようとしている。足音すら立てないように、彼女は降り立った。暗闇の中であったが、眼前には巨大な建物…其れは脱構築を指標としたような、荘厳で、それでいて奢侈な性分を残さないような公会堂であった。彼女は括目した。其の場に在り続ける存在の中で犇めく、感じ取れない感覚。思い出せそうで思い出せない記憶の曖昧さに類似した其れを、彼女は投げた。捨てた。結果、オルタナに残ったのは無我の自己世界と憎悪のゲシュタルト。彼女はおかしくなって…イヒヒヒヒ……イヒャヒャヒャヒャ……。
―――不思議で堪らない感触が、自分の身体をムシバんで行き、そして朽ち果てるのを待つだけなのだ―――死んだも同然で、其処には何も残らないのだ―――ワラった。ナいた。結局、死んだ。アハハハハハハ―――――。
着くまで運転しながら車内で作戦を立てていたヘテロは、元気溌剌な天子と寝ぼけ眼のオルタナに実行する内容を言い聞かせた。概要はこうであった―――此の公会堂には裏側に業務用のシャッターがあり、其処は常に開放されている…と言うのも、夜間にも此の建物を使う零人理科学者が居て、其れは中に在る研究材料の調達…と言う大義名分はどうでも良かったが、其れを用いて中へ潜入。何処に捕まってるのかは不明だが、後は此れの証明を取って、警察に通報すれば良い―――と言う、短絡的なのか複雑的なのか分からない混成性に満ちた其れを提唱し、天子が快諾して見せたので、オルタナも避ける訳には行かなかったし、避けたところで何をするか分かったものでは無い。
「足音立てるなよ」ヘテロは言った。
「オーケー、オーケー。私、頑張っちゃうから」
「常に頑張れよ」
「そう辛辣なコト言わないでアゲテ」
三者鼎談していた3人は、本題として公会堂を改めて見上げた。立派な佇まいを浮かべている。その裏口に在るシャッター目指して、無駄な音すら立てずに進んでいく。柵と建物の間の、僅かな狭間。草叢が茫々に生い茂っていて、しかし足は其れらを圧倒する征服者かのような巨人になっていた。やがて、光さえも見えない中での公会堂裏口シャッターに、3人は辿り着いた。忍び足で中へ足を進めると、焦げ臭さが鼻に付いた。外装とは差異あって、内装は地味な倉庫そのもので、裏口と言う事もあるが、誰もいなかった。其処には段ボール箱が山積みになっており、格好の隠れ場になっていた。
3人は更に奥へ進んでいくと、扉にたどり着いた。扉は金属製の重たいもので、其れをこっそり開けると、大広間に出た。全面が板張りで、学校の体育館のような風装を思わせる。何処と無い懐かしささえ感じさせた。其処の一段高い場所のカーテン裏に3人は来ていて、真下を見下ろせた。電気の一つさえ無い広間に、彼女たちが探し求めていた仲間の姿があった。
闇の中で目を凝らして見てみると、にとりやパチュリーの姿があった。しかし魔理沙とアリス、白河の姿は見えず、他に隠し場所があるんだと言う確信が持てた。だが、唐突に3人の居た広間に明かりが点灯した。オルタナたちを待ち侘びていたかのようにスポットライトが3人の元を照らした。気づかれた。そう、白羽の矢が立ったのである。背後から充てられた強い光に、彼女たちは戸惑いの色を見せた。
「これは暢気にやって来ましたね、"救世主"」
皮肉めいた言葉が、公会堂全体に炸裂する。マイク音源とあって、かなり声は拡張されていた。
「しかし我々が何時もこんな手薄警備しているとでも?我々の罠に嵌ったんだよ、お前らは」
「誰だ!?私は私たちの仲間を助けに来ただけ!早く開放して貰う!」
「其れは聞き入れない内容だ。我々は其処まで愚かでは無いのだ」
「じゃあ何故に皆を捕まえた!?」
「其れは"2匹のサーカムフレックス体"をおびき寄せる為の餌にする為さ!!」
その瞬間、3人を取り囲むようにマシンガンを装備した武装兵たちが現れた。その数は多数で、3人が力伏しで勝てるような相手数では無かった。敢無く手をみすみすと上げるオルタナたち。屈辱の意が浮かぶ中、マイク越しのアナウンスは兵士たちに命令を入れた。
やがて彼女たちはパチュリーたちが捕まえられていた場所に連れてこられた。パチュリーたちは目隠しをしており、何も見えない中で、しかも口に縄を巻かれ、何も言えない状況にされていた。
3人の前に、にとりたちの中を掻い潜って姿を見せた科学者。彼は白衣を纏っていて、改めて吐き気を催すような悪寒が忽ち背筋を通った。
「…私の名ぐらい知ってるだろう」
「―――オーウェン」
「正解。…流石はイシュゾルデ型のサーカムフレックス体、殆ど人間と大差ないじゃないか」
「…別に人間と捉えて貰って結構だ」
「いやいや、サーカムフレックス体と言ってもアンティキティラ型とかノルヴィル型と言った純粋知性を持ち合わせていない奴らも居るからなァ……一緒くたに見ることは出来ない」
此処でオーウェンは右手を制した。その瞬間、天子とサーカムフレックス体2人は兵士たちによって分断され、そのままオルタナたちは兵士たちによって連れ去られてしまったのであった。
更なる地下へ向かう2人。失望にひし暮れた中、背後では天子の喚く声とオーウェンの声が聞こえてくる。それさえも消えて無くなると、眼前に聳え立っていた暗闇が君臨した。絶望の呼称でもあった。彼女は其れをしっかりと見据え、そして逃げられる事の無い闇に身を漂泊させていた。
言葉を発しようとしても、頭にマシンガンの銃口を押し付けられるだけであった。喋る事も封じられ、どうしようも無くなった身に、鉄格子の牢獄が姿を見せた。オルタナは其処に放り投げられるように入れられ、ヘテロはまた別の牢屋に入れられてしまった。
牢屋の前を、兵士たちが過ぎ去っていく。まるで役目を終えたかのような清々しさを伴わせていて、苛立ちさえ思わせた。地面は金属で張り巡らされていて、手で触れてみると冷たい。彼女はどうする事も出来なくなったので、暫く思索に耽った。脳裏に焼き付く影―――其れは人型で、オルタナに対しては憤怒に濡れていた顔だち―――襲い掛かる悪夢。宵闇の焦燥。消えた露雫……。
彼女は不意に怖くなった。どうしようもない悪夢が襲い掛かってきて、恐怖さえ感じた。此処で不意に懐が揺れて、スマホを手に取ってみるとヘテロからの連絡があった。どうやら白河と連絡が取れたらしく、彼は別の場所で捕まっているという。
どういう意味だと更に聞いてみると、どうやらアリスが相手側のオーウェンと結びついていたらしく、情報の全てを垂れ流しにしていたという。つまり、だ。彼女が流していた情報を元に、かのアンティキティラ型サーカムフレックス体による只見線襲撃やウェーバー、オーウェンによる来訪も、全て予定調和していたのだ。この瞬間、身を翻したくなるような雪辱が襲い掛かり、ただ、思惑は正しかった、とだけ後悔した。
なけなしの後悔。身が滲むほどの懺悔。アリスの顔面が、脳髄を経て醜い豚のような愚悪な存在に為り行く。ああ、そうだ。常に〈ワタシ〉は身を蝕まれてきた。今更何をイウカ―――ははは、と彼女は吹っ切れた。美的感情さえ無くした笑みだった―――。しかし、どうでも良かったのだ。其処に在った実在性も、普遍性も、敵愾心を露呈させた害獣に他ならないし、オルタナの邪魔であった(派外的な作用性もあったが)。劣悪的実在性、侵害的普遍性とでも言いたげな真理に、最早「逆光を」当てる必要も無い。後悔は実在の端女?ああ、そうだ。その通りだとも―――全て剃刀で剃ってやるまでで、さ―――。
「……よお」
牢獄の外では、一人の兵士が突っ立っていた。白衣を身に纏い、研究会の奴らの一人として存在していて、しかも馴れ馴れしく話しかけてきたので、オルタナは悪寒感情を外に出すように睨みつけて見せた。真っ暗闇で彼女は睨めた。彼は表情を変えなかった。ただ其の場で突っ立っているだけで、何もしなかったし、何もしてこなかった。
「誰ダ」
「元気ありそうで良かった。お前の噂は耳にしていたからなァ」
「馴れ馴れしく話しかけてくるナ」
「そんなん知ったことでは無いね。俺は何も嫌な思いしてないからな」
彼はそう言うや、彼女の居た牢獄の扉を開放した。手元には円環に連なった鍵があって、そのうちの一つを使ったまでであった。オルタナは唖然として、ただ整合性の辻褄を合わそうとした。すると彼は彼女の臆面性を垣間見たような気がして、少しだけ笑顔を浮かべた。その顔立ちは、闇の中でも分かった。
ほらよ、と短絡に物事を言う彼であったので、オルタナは流れに身を任せて牢屋から出た。僅か数十分の捕縛であった。彼の背に付いて行くようにしてオルタナは足を進め、誰も警備の居ないヘテロの牢屋も開放し、彼女も助け出した。此処で彼はフロア全体の明かりを付け、徐に2人に向けて言葉を発した。
「よう。元気か」
「―――だから、さっきから『誰ダ』とワタシは聞いている」
「覚えてないのも無理ないよな、オルタナにヘテロ。とっくに"零期回生"は来たのか?」
「零期回生……?」
「それさえも知らないのか。まあ、零期回生直後ならムリも無いのか」
彼は改めて自己紹介と言う名の説明会を行った。
「…俺の名はノーエンデイル。まあ、言うところの零人理研究者。それでいて2人の"かつての"知り合い」
「かつての?」
「そうだったと自負してるつもり。でも、2人は零期回生を遂げて記憶が無くなってるみたいで」
「だから零期回生というものが一体何なのか私は聞いてるんだけども」
「相変わらず強情だな、ヘテログロジア。まあ俺はお前のそう言う部分も知ってたけど、感情は零期回生も侵蝕出来ないみたいで安心した」
彼は白衣を空中に脱ぎ捨て、漆黒のスーツ服が露見した。しっかりとネクタイを締め、丁重な服装をしていた。彼は両手を寒そうにポケットに突っ込み、2人に対して話をした。
「…先ず、零期回生ってのはサーカムフレックス体で言うところの"記憶リセット"だ。お前らイシュゾルデ型は余りに人間染みた解析回路を持っているために、その膨大なデータを集積しきれなくなる。其れを回避させるために、定期的に零期回生が行われる。謂わば記憶の新調。元の記憶は消えるけど、零期回生は何百年に一度しか行われないからなぁ」
「何百年に一度?」
「そう」
「じゃあ、仮定的にお前と知り合いだったとして、何百年も経ったってこと?」
「そう言う事になるなぁ」
彼はすっとぼけて言葉を続けた。
「そもそも、俺もお前らも、生まれは同じ15世紀じゃないか。今は確か…2017年だっけ?」
「15世紀……!?」ヘテロとオルタナは顔を見合わせた。
「そう、15世紀。俺も同じサーカムフレックス体…まあお前らとは違ってノルヴィル型だけども」
「色々聞きたいことがあるけど、アナタは一体何者なの?どうしてワタシたちの過去をシッテイル?」
「だから顔馴染みだと言ったばかりじゃないか。俺らは同じ"罪人"なんだよ」
「罪人……」
この時、オルタナは思い出した。只見で聞いた、不思議な声の言っていたことだ―――声も確かオルタナを罪人呼ばわりしていた…そうだった……背筋が凍った思いだった。
其れを受けて、さりげなく話すノーエンデイルの顔と見比べると、更なる闇が見えた気がした。其れは神聖さ、現代戦争論や陰謀史観を持ち合わせているので、余計怖気づいてしまう。
「…そもそも、サーカムフレックス体の論理さえ分かっていなさそうだね。俺らサーカムフレックス体は罪人と言う名の…レッテルを貼られた奴らの末路さ。それも、神が与えた不死身の肉体だ―――何たる皮肉かなァ。神にさえ憐憫に思われたのかどうかは知らない、しかし、俺らが第二の羊なのは明白なのだ」
「…どういう意味?」
「…15世紀半ば、マレフィキウムと言う概念体が野雀のように跋扈し、各地で懼れられた。俺らはそのマレフィキウム…今で言う悪徳魔術に食い破られ、魔女の看板を首から垂れ提げさせられて、そして裁判にかけられて焚刑に処された。その無実を見た神は、俺らに不死身の肉体を捧げた。これがサーカムフレックス体のロジックだ」
「でも、魔女狩りって…私たちはともかく、アナタは男でしょ?」
「魔女狩りってのは対象が女だけ、と言う訳じゃない。俺はとある奴に貶められて魔女裁判にかけられた。まあ政治的な理由だ。納得はし難いが、こうして今を生きてるんだ……どうも思えないけどな」
彼は静かに溜息を吐いた。
「実を言うと、此の世界にサーカムフレックス体は沢山居る。しかし皆が皆、人間のような立ち振る舞いをしていて、しかも零人理研究者は極端に少ない。俺は敢えて敵陣の中で堂々と過ごす事で、俺の過去を調べていたのさ。俺が話したことも、全て此処で手に入った情報。因みに俺がお前らと出会ったのは、確か魔女裁判に掛けられて死罪が確定した後の牢獄だった。同じ牢屋に入れられて、お前らがみすみす泣いていたのを覚えているし、此の後サーカムフレックス体に転生するとは思わなかった」
「私たちは一般の平民で、お前は高貴な身分だった、とでも言いたいのか」
「同じ火の前に身分は関係ないんだよ…俺は分かってるさ」
「…しかし、ノーエンデイルの零期回生はもうすぐなのか?」
「俺の零期回生は敢えて来ないように設定してある。人間で喩えるなら延命措置がいいところか。まあそのようなメタファーは似てる似てないにせよ、零人理は特殊すぎた。オーウェンが言ってきたハズだ、『死は怖いだろう』って。奴は零人理の死を超克した姿に嫉妬しているだけなのさ。もし蓑虫が死なない構造をしていたら、奴は蓑虫にでも為ってたハズなのさ」
最後に、吐き捨てるように彼は言ったのであった。
「…あの頃は、無駄な雑学が蔓延っていて、しかも言語的ノエマが当たり前のようになっていた。神が絶対的象徴と化されていて、それでいて真理を異端と跳ね除けた。宗教観が哲学の王とでも言いたげにしていて、邪魔者は魔女狩りで殺される。愚衆も愚衆でいいところだ。お陰様でこんな身体になってしまったし、後悔だらけだったが……お前らと再会出来て良かったと思っている」