第八話
この日、俺はゴブさんと掃除をしていた。毎日掃除や、蛍光灯を取り替えたりしかしていない。
楽な生活をしている気もするが、仕事なのだからしょうがない。
だが一年後、俺はどうなっているのだろう? そういった不安は常に付きまとっていた。
「はぁ……」
「どうしたオーヤ?」
「いえ、一年後の自分が想像できなくて」
ぽろっとゴブさんに言ってしまった。言ってどうなるものでもないとは思うのだが、ゴブさんはうんうんと頷いてくれている。
上に立つという立場でもあるし、もしかしたら良いアドバイスがもらえるかもしれない。少しだけそんな期待を込めて彼を見る。
ゴブさんはその期待を裏切るつもりはないらしく、ギヒッと笑った。
「今、やりたいことはあるか?」
「うーん、特にないです。今は掃除しかしていないですし、それでいいのかなって焦りだけがあります」
「なるほど、なら嫌いなやつはいるか? ギヒヒッ」
嫌いな人? どこからその話に繋がったのかは分からないが、真剣に聞いてくれている。ならば、聞いた以上ちゃんと答えなければならないだろう。
嫌い嫌い嫌い……。ぱっと一人浮かび上がった人物がいる。それは会社の社長だ。
そもそもあの人が逃げ出さなければ、仕事を探すことにはならなかった。……だが、そのお陰で三人とも出会えたんだよなぁ。
でもやっぱり、社長のことを許せない気持ちがあった。うん、これを伝えてみようかな。
「前働いていたところのトップですかね」
「とりあえずそいつを殺して来い。終わったら、次に嫌いなやつを殺す。どんどん殺せば……気づいたときには、今よりいい環境になっているさ。ギヒヒヒッ!」
「いやいやいやいやいやいやいや!」
うん、相談相手が間違っていた。なぜゴブさんに……というか、三人に相談しても駄目だ。
だってこの人たち、二言目にはぶっ飛ばすとか、ぶっ殺すって言う。考え方が違い過ぎる人に、こちらの世界のことを相談しても意味が無い。
それが分かっただけでも収穫だった。
俺はそう思っていたのだが、ゴブさんは釈然としない感じらしい。ぶつぶつと「オレはそうやって成り上がったがなぁ……ギヒッ」と言っていた。異世界やばい。
一年という時間は、あっという間に過ぎ去ってしまう。なんでも年を取ればとるほど、人は時間が短く感じるらしい。
まだ若いと言われる年齢だが、ほのぼの生きていれば、すぐに一年だ。
とはいえ、まだここで生活を初めて二週間。もう少しゆっくり考えよう。俺はそう思い、とりあえず掃除に精を出すことにした。
掃除が終わった俺は買い物に出た。最近、四人で食事をすることが増えている。
とはいえ俺も簡単なものしか作れないので、キューさんが残した紙を見ながらの買い物だった。
作る担当の人のため、買い物をする。これも手伝いのうちであり、仕事の一つだと思う。
ちなみにゴブさんには家に残ってもらった。さすがに連れて歩くのはまずいからね。
頼まれた買い物を終わらせ、適当にデザートを買う。
お金についてだが、爺さんに任された金庫の中には恐ろしいほどの大金が入っていた。金だけでなく、貴金属まで入っているのから不思議だ。
どこで稼いで来たのかは分からない。本当に謎の多い爺さんだ。大量の金塊なんてどこで仕入れたんだ?
しかし、生活費に頭を悩まさなくていいのは助かる。
俺の給料については聞いていないが、最低限は使わせてもらうことにしていた。欲しい物については、貯金を崩している。まぁ一年なら持つだろう。
だらだらと本を買って読めるし、ゲームをする時間もある。もしかして、俺はハッピーなんじゃないだろうか?
社会の歯車に戻れる自信が無くなりそうだ。もしかしたら、そこら辺も俺を焦らせている原因なのかな。
そこはかとなく不安を覚えつつ家へ帰ると、ゴスッゴスッと聞き覚えの無い音がした。
どうやら居間のほうから聞こえているらしく、扉を開いてみて俺は驚愕する。
壁に向かい、大型のナイフを投げているゴブさんがそこにはいた。
「ゴブさああああああん!?」
「ギッ? おぉ、お帰り」
「お帰りじゃないっすよ! なにしてるんですか!? 壁に穴が空くじゃないですか!」
本当に何をしてくれているんだと近づいて触って見ると、ナイフが刺された後が大量にあった。
爺さんたちが帰って来たら、これも俺の責任になるのか? 勘弁してくれ……。
項垂れていると、ゴブさんが俺の肩を突いた。反省しているのかな? そう思ったのだが、全然違った。
「よく見ろ。これはオレがマオと作った的だ。壁に穴は空いていないぞ」
「んん……?」
ゴブさんに言われてよく見てみると、壁に何か埋め込まれている。丸くて分厚くて広い円形の的だ。
勝手に壁へ埋め込んでいるのは問題だが、これくらいならいいだろう。……いいと思ってしまうのが、自分も毒されているように感じる。
しかし壁に穴が空いていないのは、ほっとした。問題はまだあるけどな。
「ゴブさん、外したら壁に穴が空きますよね?」
「ギヒヒッ、オレが外すわけないだろ。投げ斧のほうが得意だがな」
もうこれ以上言っても無駄な気がし、俺は説得を諦めた。家をふっ飛ばしても直せる人たちだ。壁くらいどうってことないんだろう。
買って来たものをしまったので、ゴブさんの投げナイフを眺める。
彼は真剣な感じではないのに、的を外すことは無かった。
ちょっとだけ、俺もやってみたくなってしまう。……いやいや駄目駄目。絶対に俺は外してしまう。
だが、そう思っていたことがバレていたのだろう。ゴブさんは、俺を見てにやにやとしていた。
「ギヒッ、やってみるか?」
「だ、駄目ですよ」
「まぁまぁ、一回だけならいいだろ?」
「……一回だけならいいですかね?」
なんとも弱い精神力であるが、許していただきたい。人を傷つけたいとは思わないが、ナイフを一度投げてみたかった。男ってのはそういうものなんです。
俺はゴブさんに投げ方をしっかりと教わり、的へ向けて構える。何度も素振りをするが、外したときのことを考えて投げられない。
的を外したら? 失敗して跳ね返って来たら? 考えるだけで恐ろしく、手からナイフが離れない。
やっぱりやめておこうかな。そう思ってゴブさんを見ると、彼は俺の肩を揉んだ。
「肩の力を抜け」
「いや、やっぱりやめておこうかなって……」
「大丈夫だ、落ち着いて投げてみろ。ギヒヒッ」
不思議な物で、ゴブさんに言われると心がすぅっと落ち着く。今なら大丈夫、うまく当てられる気がする。
息を細く吐きながら、的の中心をしっかりと見た。少しだけ振りかぶったナイフを、俺はとても自然に投擲する。
ガッと音がし、ナイフは的の中心よりやや右上へ見事に刺さった。
「おぉ……」
「ギッギッギッ! 才能があるな。もう一回やってみるか?」
「えーっと、じゃあもう一回だけ」
その後、俺は二人が帰って来るまでナイフ投げに没頭する。
才能があるからなのかは分からないが、実際ナイフを的から外すことは無く、自分でも驚いた。
これを何に役立てられるのかは分からないが、有頂天になった俺はナイフ投げにはまってしまう。
途中で帰ってきた二人も交え、四人でやるナイフ投げはダーツを投げるような気楽さで楽しい。
……俺、本当に大丈夫だろうか? 自分の変わりように戸惑いを隠せないまま、俺はその日眠りについた。
深夜、なぜか目が覚める。自分でも理由は分からなかったが、とりあえずトイレへと向かった。
トイレを出ると、ギシリと物音が聞こえる。二階のほうだったので、ちらりと目を向けた。
黒い物陰が動き、すぐに視界から消える。一体なんだろう? 小さい物陰だったので、ゴブさんだと思うんだが……。
一声かければいいのにと、不思議に思いながらも俺は二階へと上がった。
すでにみんなは眠っているらしく、俺が二階へ上がっても出てこない。
気のせいだったのかもしれない。そう思い一階へ降りようとしたとき、暗い廊下の先に何かを見つける。
近づくと、それは手術跡が大量にあるうさぎのぬいぐるみだった。なぜかそれは浮いており、とても不思議だ。
どうせ誰かの悪戯だろうと思っていると、うさぎのぬいぐるみが俺へと近づいて来る。
よく見るとぬいぐるみは抱きかかえられており、現れたのはゴブさんと同じくらいの身長をした、黒髪の少女。片目は髪で隠れており、黒いワンピースを着ている。
うさぎのぬいぐるみをしっかりと抱いている少女は、俺のことを片目で見据えていた。
一体誰だろうと思いながら見ていると、少女はくすりと笑う。俺もつられて笑ってしまった。
「あなた……狙われているよ?」
「え?」
「くすくす……」
不吉なことを言い残し、少女は暗闇の中へ消えて行った。
慌てて後を追ったが、そこにあるのは壁だけ。背筋が一瞬ぞくりとしたが、寝ぼけていたのだろうと思い、俺は部屋に戻って横へなった。
だが目を閉じても、妙な気配と悪寒は消えない。あれは一体なんだったのだろう……。




