第四話
爺さんの家に来て一週間が経った。
まだまだ打ち解けたとは言えないが、少しずつ仲は進展している。
俺を威圧するよう伝えていた爺さんに言いたいことはあるが、電話は繋がらない。代理店へ連絡を取ることも考えたが、落ち着きを取り戻していたのでやめておいた。
その日の朝、冷蔵庫を見た俺は声を上げた。
「あー! 俺のプリンが無い!」
うん、割とすぐに打ち解けていました。
さて、それは置いておくとしよう。
昨日買っておいたプリンが無くなっており、周囲を見回してみる。誰もいないように見えるが、ソファの辺りで物音がした。
誰がいるかは見なくても分かるので、ソファの背へ近づき覗き込んだ。
そこには予想通り、ゴブさんがいて呑気に欠伸をしていた。
「ゴブさん! 俺のプリン食べたでしょ! 名前も書いておいたのに!」
「ギヒッ……? いや、オレは食べてないぞ? 自分で食べたんじゃないのか?」
「えー? でもゴブさんが言うなら嘘じゃないだろうし、俺が食べたのかな」
この数日でゴブさんとの仲も進展していたので、俺は彼の言葉を疑わなかった。
昨晩、気付かないうちに食べていたのだろうか? 全く思い出せず、釈然としない。
しかし食べていないと言うゴブさんを疑うわけにもいかないし、俺が食べたと言うのならそうなのかもしれない。
少しだけがっくりしていると、胸元が大胆に開いており、素足を見せている狐美女が現れた。浴衣一枚羽織っているが、乱れていてとてもエロい。
「どうしたどうした、朝から騒がしいぞ? たかだが栗のクリームが乗ったプリンが一つ無くなったくらいで、そこまで騒がないでもよいじゃろ」
「キューさん、なんでモンブランプリンだって知っているの?」
「……」
俺はプリンとしか言っていない。彼女が、たまたま冷蔵庫に入っているのを見ただけかもしれない。……だが、怪しすぎる。
じっと見ていると、キューさんは目を瞑り腕を組んだ。胸が腕の上で少し揺れた。すごい質量だ。
食べていないと言われれば諦めた。また買ってくればいい。
そう思うのだが、怪しいので問い詰めてしまいたくなる。
こちらから切り出すべきか悩んでいると、ふっと笑ったキューさんが目を開いた。
「妾が食べた!」
「やっぱり! 人の物は食べたら駄目ですからね? まぁ一言もらえれば、もういいですよ」
「プリンと栗の組み合わせは美味じゃった!」
「そうじゃないですよ!?」
謝罪を要求したつもりだったのだが、なぜかキューさんは自慢げに味の感想を述べた。
そもそも、俺は三人にもデザートを買って来たのだ。同じくらいの値段で選び、四種類。おいしそうなのを吟味したんだ。
俺はどれでも良かったので先に選んでもらった。……そこまでやったのに、二つ食べたとか許せない。
じとっとした目で見ていると、キューさんはわざとらしく、もじもじとし出した。
「どうした? 発情期か? 朝からお盛んじゃな」
「そう思うなら、服をもう一枚着てください。後、一言謝ってください」
「……良いかオーヤ。妾は数万の妖怪たちの頭領、九尾の狐じゃ。服はこれ以上着ない」
「全然服と関係ないですけど、とりあえず勝手に人の物を食べたんですから謝ってください」
キューさんはまた「ふっ」と笑い、胸を張り出した。ボリュームある胸が服から零れそうで、少し後ずさってしまう。
一言伝えてもらえればいい。俺だってガキじゃない。また買ってくればいい。
本当にそう思っているのだが、彼女から出た言葉は真逆だった。
「妾は謝らない! 偉いから!」
「次は、キューさんの分を買って来ません」
「妾は悪くない! 食べても許される! もっと広い器を持てオーヤ!」
自分の世界では偉いのかもしれないが、こっちの世界では通用しない。というか、俺のプリンを食べて謝らないことが許せない。
なので頑なに譲らなかったのだが、キューさんは戦法を変えてきた。
俺へと近づき、腕に柔らかい胸を押し付け、足と足を絡ませる。……ハニートラップだ!
分かり切っていたので、譲る気はない。絶対に許さないぞと、強い意志を持ってキューさんを見た。
「なぁオーヤ、妾は謝れないんじゃ。トップが謝ったら、非を認めることになるじゃろ? そう思わぬか?」
「悪いと思っているのなら、謝れば終わりじゃないですか」
「できないんじゃってー、分かるであろう? 言葉にせずとも、態度で伝わるものじゃ」
ぷよぷよと腕にキューさんのプリンがが押し付けられる。こ、こんなことで俺は負けたりはしない。
食べ物一つでみみっちいと思われても、謝罪を述べさせたい。だって、俺は一切悪くないからね!
気合を入れ直し、しな垂れるキューさんへ弱く告げた。
「……つ、次からは食べないでくださいね」
「約束しよう」
「オーヤも男だな。ギヒヒッ」
笑うゴブさんへ、俺は何も言い返せなかった。男ってこんなもんだから、しょうがないんだ! でもぐやじい!
マオさんとゴブさんを、地下へと見送る。そして俺は今日の仕事を始めることにした。
まずは居間で円形のお掃除ロボットを動かす。これで居間はオッケーだ。手抜き? いやいや、細かいところは後でやるから……。
次に洗面所へ行き、シャツの袖とズボンを捲り上げて風呂場へと入る。今日も頑張って掃除しますか!
洗剤をプシュプシュしながら、黒い汚れをごしごしと磨く。日々婆さんが掃除していたのだろう、そこまで汚れてはいない。
風呂掃除はガーッとやるよりも、回数を増やしてやるほうがいい。もちろん働いていたら、うまいこといかない。
だが、今の仕事は家事。雑務かもしれないが、普通の仕事に比べればストレスも少なくいいだろう。
風呂の掃除が終われば洗面所を。洗面所が終われば台所。水場の掃除を済ませたので、今度は玄関の掃き掃除。
さて、今日は廊下の掃除もしよう。掃除機で一階の掃除を始めると、ジャリジャリと砂っぽい音がした。
不思議に思い床へ触れてみると、細かく土や砂が落ちている。薄暗くて気付かなかった。
窓からか? それとも玄関から? 強い風が吹いていた覚えはないが、どこかから入って来たのだろう。
こういうこともあるだろうと、念入りに掃除を済ませ、どす黒い水を庭へ流した。今日も一段落という感じだ。
そう思っていたのだが、ふと気づく。廊下や階段は汚れがひどかったが、他はそうでもなかった。
もしかして、二階も汚れているのかな? もしかしたらと思い二階へ向かい床へ触れると、ジャリジャリとしていた。
やれやれ、もう一頑張り必要なようだ。俺はバケツへ水を入れなおし、雑巾を用意した。
階段の掃除をし、二階の廊下へ掃除機をかけた後、拭き掃除していて妙なことに気付いた。
1……2……3……4。部屋が四つ並んでいる。何度数えても、二階の部屋は四つ。どういうことだ?
首を傾げていると、襖が開かれて美女が出て来た。
「あれ? キューさん?」
「掃除か? 精が出るのう」
「休みですか?」
「うむ、今日は妾が家にいる日じゃ」
彼女は今日、休みだったのか。納得し頷いていたが、ちょうどいいところにいるとも思った。
勘違いかもしれない疑問の答えをもらえるかもと、俺はキューさんへ問いかけてみることにした。
「勘違いだと思うんですけど、二階の部屋って二部屋じゃありませんでしたか?」
「そうじゃぞ?」
「あ、やっぱり勘違いですよねー……二部屋?」
「うむ」
キューさんは俺の問いに平然と頷く。
二部屋だったのに四部屋? 増築した跡もないが、部屋は確実に増えている。というか、廊下も少し長くなっていないか?
いや、そもそも彼女は襖を開けて出て来た。二階に和室なんてあったっけ?
頭の上に疑問符を浮かべていると、キューさんがカラカラと笑い出した。
「あぁ、そういうことか。妾たちは三人。部屋が二部屋では足りないじゃろ? だから、空間を捻じ曲げて増やしたのじゃ」
「人の家を勝手に捻じ曲げないでくれますか!?」
「爺さんの許可は取ったぞ?」
あの爺さん、どうせ何も考えずに許可を出したんだろう。どうせ「面白そうじゃからオッケーしたぞ!」とか言うに違いない。
自分の身内ながら、頭が痛い。その大らかさは大好きだが、本当に困ったものだ。
それでも一部屋多い気はするが、疑問が解決したような感じになり、俺は拭き掃除を再開した。だがなぜか、キューさんは掃除している俺を突っ立ったまま見ている。
顔を向けると、むふーと彼女は笑った。
「妾も掃除を手伝ってやろう。見ておれ?」
「はぁ……」
キューさんが指を二本突き出すと、そこに紙が現れる。長方形の陰陽師がよく持っている紙。符というやつだろう。
一体なにをするのか楽しみで見ていると、彼女は符を床へ投げた。
「水舞い」
符を中心とし、水が現れる。くるくると回る水は、廊下の端から端までミキサーのように動く。
おぉ、すごい便利だ……。魔法ってのはすごいものだと、感心していたのだが、端まで進んだ水の渦が、反転した。
グオオオオと激しい音を立て、回転しながら。そう、ガソリンスタンドにある洗車機。あれが迫って来る感じだ。……まずい!
「キューさん! 止めて! ……呑気に欠伸をしている場合じゃないから!」
「落ち着けオーヤ。こういうときに慌ててはならんものじゃ。なによりも……手遅れじゃな」
「手遅れ!? ちょ、待っぎゃああああああああ!」
一往復した後に残っていたのは、ビショ濡れになった廊下。同じく濡れ鼠になった俺とキューさんだった。
俺は全身をぐるぐる回され廊下に倒れ込み、キューさんはゴホゴホッと咽ている。洗濯機の中に入ったらどうなるのか。身を持って体験させられたよ。
「キューさん!?」
「くっくっくっ、綺麗になったか?」
「びちゃびちゃじゃないですか! これ、誰が拭くと思うんですか?」
廊下を指差しながら伝えたのだが、キューさんは楽しそうに笑っている。
……まぁ、手伝ってくれようとしたんだ。なによりも、俺の顔にも笑みが無意識のうち浮かび上がっていた。
見たことがない不思議な力を見れて、テンションが上がってしまったということもある。
俺は笑いながら、雑巾を手に取った。
「はははっ、面白かったからいいか。次はもうちょっと考えて使ってくださいね」
「くくっ、確かに自分まで濡れるのは盲点じゃった。どれ、妾も拭くのを手伝おう」
「いえ、そろそろ風呂も沸いているので、先に入っちゃってください」
「一番風呂か! 一番風呂と言えば妾じゃな!」
彼女は水を滴らせながら、嬉しそうに風呂場へと向かった。
そこも俺が拭くことになるのだが、まぁいいだろう。正直、手伝われるほうが困る。
……べったりと濡れた服を肌に張り付かせていられると、目の保養げふん。目の毒なんですよ!
少し得をした気分になりながら、俺はにやにやとしながら拭き掃除を再開へと取り掛かった。




