第二十一話
俺は困りつつ笑いかけ、マオさんが固まる。そんな中、最初に口を開いたのはメルディさんだった。
「叔父様、この人間の顔に見覚えは? あるはずがありませんわよね? 私のほうで処分しておきますわ」
「ぐえっ」
彼女は転がっている俺の背を、足で踏みつけた。そういう趣味はないので、単純に痛い。
まぁだが気付いてもらえたのだから、もう大丈夫だろう。そう思っていると、マオさんは歩いて近づいて来て……拳を振り上げた。
「え? ちょ、待ってください!」
「痛いですわっ!」
止めようとしたが、殴られたのは俺ではなかった。そう、俺の背を足で踏みつけて腕を組んでいるメルディさんだ。
彼女は殴られた頭を押さえ、涙目となっている。一瞬殴られるかと思ったが、違って良かった。
「この馬鹿姪が! なにやってんだ! おい、大丈夫か!?」
「なんとか……」
マオさんは指先から弱い稲光を出し、俺の手錠を壊してくれた。さらに手を貸して立たせてくれる。
ふぅ、背中は痛いが助かった。今度こそ生き延びれたようだ……。
俺の体をパンパンと叩き、汚れを落としてくれる。魔王様にそこまでさせるのは悪い気がしていたのだが、周囲もそう思っていたらしい。
涙目だったメルディさんまでも、唖然とした顔をしていた。
「ん? 靴が汚れてんな? ……唾、か? 誰にやられた」
「あぁいや、大したことじゃないんで」
「メルディ! こいつに手を出したやつを全員連れて来い! ぶっ殺してやる!」
「は、はい叔父様!」
怒りまくっているマオさんが拳を握っただけで、雷が放たれ周囲が吹き飛んでいく。周りの部下たちも阿鼻叫喚といった様子で逃げ回っている。
こ、こりゃ大ごとだ。俺は慌ててマオさんへ近づき、宥めることにした。
「てめぇか! 門番風情がこいつになにしてくれてんだ! あぁ!?」
「まぁまぁ落ち着いてください!」
「うるせぇ! ぶっ殺す!」
「まぁまぁまぁまぁ! ほら、彼らも職務に忠実なだけだったんですよ! 俺がいいって言ってるんですから、勘弁してあげてください!」
怒り心頭のマオさんを必死に宥めるが、ふーふーと息を荒げており、中々落ち着かない。
猛獣使いの心境が少し分かりながらも、俺は必死にマオさんを押さえた。
――少し経ち、マオさんもちょびっとだけ落ち着きを取り戻す。
これでなんとかなるかと思ったら、まだ怒りは収まっていなかった。
「……ならメルディだけぶっ飛ばしておくか?」
「ひっ」
「メルディさんも悪くないですから! ね? ほら、ここは俺の顔に免じて! お願いしますよ!」
「こいつも最近調子に乗って……まぁオーヤがそこまで言うなら許してやるか」
ま、まさかマオさんに出会ってからも苦労するとは思わなかった。
さらっと気付いてもらい、よっしゃ送ってやるよ! 的な流れになると思っていたが、うまくいかないものだ。
周囲が瓦礫の山になっているのを見て、こりゃ家では大分押さえてくれているんだなぁと、変な方向に理解をする。
一人納得し頷いていると、マオさんが部下に下がるよう伝えた。
「こいつはダチだ。また見かけたとき、同じことがあったら命はないぞ! 分かったら下がれ!」
「はい!」
「……あの、叔父様。私は」
「お前も部屋に帰れ! 馬鹿姪が!」
「マオさん!」
「あぁ? ……ちっ、分かった分かった。怒らないから戻っておけ」
「ありがとうございます、失礼いたしますわ」
ちらりと俺を見て出たメルディさんを最後とし、全員が室内から出る。
俺とマオさんだけが残った。なんとかブラッドパーティーだけは避けられたようだ。すごく頑張ったよ……。
自分で自分の頑張りを褒めたたえていると、マオさんが俺の肩を叩いた。
「で、なにしてんだ? 俺様の部下になりたかったのか? 割と向いてると思うぞ?」
「事故ですよ、事故! 掃除をしていたら、なんか発動しちゃいまして?」
「おぉ? そんなことがあったのか? まぁ色々あるもんだ。まぁいい、俺様の仕事が終わったら一緒に帰るか」
「分かりました。……あ、そうだマオさん」
「ん? どうした?」
一つ言っておかなければならないことを思い出し、声を掛ける。彼はきょとんとした顔をしていたことが、なぜか妙に面白い。
くすりと笑ってしまったが、俺はマオさんに深々と頭を下げた。
「助けてくれてありがとうございました」
「いや、もっと早く気付いてればな。だがまぁ無事で良かった」
彼はバンバンと俺の背中を叩き、申し訳なさそうにしていた。
迷惑をかけてしまったのはこっちだったのだが、こういう関係が心地よい。俺と彼は、これでいいのだ。
その後、俺はマオさんの仕事が終わるのを待ち、共に帰宅することにした。
しかし、帰ろうとしたときに声を掛けられ立ち止まる。声を掛けて来たのは、メルディさんだった。
「あの、オーヤ……様」
「様? 呼び捨てでいいよ」
「そういうわけにはいきません! あの、オーヤ様のお陰で誰も死なずに済みましたの。本当にありがとうございましたわ」
「いえいえ、こちらこそご迷惑をおかけしました」
俺がそう言うと、彼女は困った顔をした後に笑ってくれた。なんだろう、何か変なことを言ったかなぁ?
不思議に思っていると、彼女は俺の手を握った。しかも、なぜか顔が少し赤い。
少しだけドキッとしていると、メルディさんが口を開いた。
「またお会いできますか?」
「うぇぇ!? い、いやどうだろう?」
「……またお茶をご用意させていただきます。叔父様に強く言えるところ、素敵でしたわ」
「そ、それは別に俺がすごいんじゃなくて……あっ、行っちゃった」
メルディさんは頬を紅潮させ、走り去って行った。なんか役得だった気がする。まぁ最後くらいは、こういうおいしい体験も悪くないかな。
恥ずかしさから頭を掻いていると、マオさんがうーんと呻いた。やばい、姪が顔を赤くしているところを見て、怒っているのか?
ビクビクとしていると、マオさんはポンッと自分の手の平を拳で叩いた。
「詫び代わりに、メルディを嫁にやろうか?」
「マオさん! そういうのは本人の意思が大事です! それに今の彼女は、ちょっと珍しい物を見て勘違いしているだけですから。落ち着けばすぐに忘れますって」
「そうかぁ? うーん」
「ほら帰りましょう!」
「うーん……」
なにとんでもないことを言っているんだ。俺はこっちの世界の人間じゃないし、魔王の姪を嫁にもらう気もない。
というか、仲良くなったりしたら人間だとバレるし殺されるかもしれないじゃないか。……こわっ!
全く、思い付きで物を言わないでほしいものだ。やれやれと思いながら、俺はマオさんと家へと帰った。
「ただいまー」
「帰ったぞー。って地下で挨拶しても聞こえないだろ」
「あはは、そうですよね……ってウラミちゃん?」
「お、お兄ちゃん? 良かったああああああああああ!」
がしっとウラミちゃんに抱き着かれ、俺はドンッとマオさんにぶつかった。なんだなんだ?
……いや、なんだじゃない。俺突然いなくなったから、心配してくれていたのだろう。悪いことをしてしまった。
申し訳なく思いながら、ウラミちゃんの背を撫でる。すると、ウラミちゃんは俺を見ながらとんでもないことを言い出した。
「もうどうしようかと思って……。最後に魔法陣を使ったマオのところにいる可能性が高いかなと思って、攻め込もうか悩んじゃったよ!」
「う、うん、ごめんね?」
「てめぇなにしようとしてんだ! おい、ウラミ! 逃げんな! ……ったく」
本当に心配をかけてしまったようだ。ウラミちゃんにもう一度謝らないとな。
マオさんを見ると、彼も俺を見ている。俺たちは二人、目を合わせて大きく笑った。
しかし、話は終わっていなかった。居間へと入ると、俺たちが帰って来たことにも気付かず大騒ぎだ。
「ギヒッ、準備はできたか?」
「あのね、ゴブ。お兄ちゃんが」
「妾たち三人が揃えば、マオの城の一つや二つ簡単に吹き飛ばせる! 後はどさくさに紛れ、オーヤを回収して帰れば良かろう!」
「えっと……」
二人は俺たちにも気付かないし、ウラミちゃんの言葉も聞いていない。
ただ、マオさんだけがわなわなと震えている。やばい感じだが、笑いが込み上げてくる。
まぁ声を掛ければ収まるだろう。そう思っていると、ゴブさんがナイフを振り回しながらこう言った。
「だが、オーヤが魔族に殺されていたら? ギヒヒッ」
「聞くまでもなかろう?」
「わたしたち三国同盟が魔族を滅ぼすんだね!」
「上等だ! 相手になってやるぞ!」
「マオ? オーヤも一緒か! ギヒヒッ、無事だったか!」
「あまり心配させるな。妾も気が気ではなかったぞ」
「うるせぇ! 俺様の城を吹き飛ばそうとしやがって!」
いやいや、ウラミちゃんも三国同盟とか言って煽ったら駄目だろ?
そうは思うのだが、もう笑いに堪えるのは限界だ。言い争っている四人を見て、俺はさっき以上に大きく笑った。
「ははっ、あはははははっ! もう駄目! あははっ!」
「笑いごとじゃねぇだろ!? 魔族が狙われるところだったんだぞ!?」
「いや、だって……あははっ! 四人共心配してくれてありがとうございます。ははははっ」
マオさんはギャーギャーと怒り、ゴブさんはやれやれと手を上げる。
キューさんはにっこりと笑いかけ、ウラミちゃんはマーくんを振り回して喜んでくれていた。
まぁこれが俺の日常だ。ここまで心配されて悪い気はしない。いい人たちと出会えた。
そう思うだけで、笑いが止まらない。……しかし、くんくんと匂いを嗅いだ後のキューさんの言葉で、俺の笑いは止まった。
「魔族の女の匂いがするのぉ」
「魔族の女? お兄ちゃんも隅に置けないね」
「いや、別に、あの……」
「うちの姪とな」
「マオさん!」
「ギヒヒッ、詳しく話してもらおうか」
「か……勘弁してくださああああい!」
逃げる俺、追う四人。どうやら長い一日はまだ終わっていないようだ。
あぁ、本当に生きて帰って来れて良かったなぁ。
追われていることすら嬉しく、俺は四人にまた出会えたことへ感謝して笑った。




