第十三話
先日、とてつもなくアホな戦いをしたせいで、俺は風邪を引き寝込んでいた。
声はガラガラで喉が痛いし、体も重い。頭も割れそうだし、やってられない。
動くことすら面倒で倒れていたのだが、これではいけない。掃除は休んだし薬も飲んだが、食事が必要だろう。
ふらふらと起き上がろうとし……断念した。こりゃ無理だ、まだ動ける感じではない。
仕方なく机の上にあるお菓子を口へ入れる。しけってた、悲しい。
体調不良で弱っているせいもあるが、すごく悲しい。誰か助けて、辛い、苦しい、泣きそう。
せめて水が飲みたい。布団に潜り込みながら、砂漠で水を求める心境を感じていると、部屋の扉がノックされた。
「どう゛ぞー」
おぉう、ひどい声だ。自分で驚いてしまうくらい、しゃがれた声が出た。喉がいがいがするよぉ……。
めそめそしたい気持ちでいると、扉が開かれた。両手が塞がっているのに、器用に開けるものだ。
歓心して見ていると彼女は部屋へ入り、机の上へお盆を置いた。
「ちゃんと寝ていないと駄目じゃろ」
「ごほっ、ごほっ。全然ごほっ、余裕でごほっすよ」
「もう言っていることが分からんな」
キューさんは呆れた顔をしながらだが、お盆に乗っている鍋を開いた。いい匂いが……しない。なんか、やばい匂いがしている。
改めて見てみると、黒い謎の生命体が入っていた。謎というのは、俺が見たことのない物だったからだ。
あえて形容するならば、蛇の体に短い手を20本くらい生やしたら、こうなるかもしれない。しかも少し動いている。本当にやばい。
「妾が食事を作って来たぞ。食べれるか?」
「……水をもらえまずが」
「分かった。まずは喉を潤してからじゃな」
渡された水を飲む。はぁ、喉に染みるがうまい。
コップの水を飲み干した俺は、そのまま布団へ潜り込んだ。……だが、すぐに布団を半分剥がされた。
にこにこと笑うキューさんが、謎の生命体にナイフを差し込む。
「ギョピー!」と不思議な声を上げ、頭が切り落とされた。体はまだ動いている。恐ろしい。
さっき水を飲んだばかりなのに、喉がカラカラになっている。ごくりと、無意識の内に緊張から喉を鳴らした。
「そんなにおいしそうか? 妾も頑張って作った甲斐があったのう」
ひどい勘違いをしているが、キューさんは嬉しそうだった。俺が喜んでいると疑っていない。
躊躇っていると、彼女はスプーンにご飯と謎の生命体の一部をスプーンに載せて差し出して来た。
このまだ胴体をバタバタと鍋の中で動かしている、謎の生命体を口に入れる?
「はい、あーん」
狐美女にあーんしてもらう。こんな幸福、普通はありえない。羨ましいだろ? ぜひ代わってあげたい。
……しかし、代わってくれる人はいない。覚悟を決め、口を開いた。
口の中に妙な物が入る。それは僅かにぴくぴくと動いており、吐き気を催す。
耐えて噛むと、強烈な苦みが口の中へ広がる。はぁ……はぁ……。俺は必死に租借した。
そしてなんとか飲み込む。勝ったぞ! 俺は生き残った!
ぐっとガッツポーズをすると、嬉しそうにしているキューさんが二口目を差し出した。どうやらまだ地獄の入口だったらしい。
俺は半泣きになりながら、謎の生命体を完食させられた。
気持ち悪い。なんか、胃の中で動いている気がする。吐きたいが、トイレに行く元気はない。
横で本を見ているキューさんを見ると、にっこりと笑い俺の頭を撫でてくれた。うぅっ、間違った好意だけど少し嬉しい……。
ぐにゃぐにゃと頭が回っていると、また扉がノックされた。今度はなんだ? もう今以上の地獄はないから、大丈夫だ。
そう思い返事をすると、入って来たのはウラミちゃんだった。手にはお盆、載っているコップはぼこぼこと泡立っている。
「お兄ちゃん、薬を持って来たよ」
「……先に原材料を教えてもらえるかな」
あれ? 声がちゃんと出る。もしかして、キューさんの作ってくれた料理のお陰だろうか?
しかし、代わりに胃がむかむかしてしょうがない。声を出すだけで吐きそうだが、えづいただけで耐えられた。
ウラミちゃんはにこにことしながら、原材料を俺に語った。
「ハカコウモリの翼を煎じて、シガイグモを発酵させたものと、アンデッドオーガの角を磨り潰して、ドラ……」
「あ、もういいです」
聞くんじゃなかったと後悔した。聞いた俺の感想は、人間やめさせようとしてますか? の一言に集約させられる。
これを飲むのか? 赤やら紫、黒や緑に色を変えて泡立っている液体を? 本当に?
怯えた目でウラミちゃんを見ると、なぜか恍惚とした表情を浮かべていた。その反応はおかしい。
「お兄ちゃんがあんまりいい表情をするから、きゅんってしちゃった」
「間違ってるよ……」
「高級素材ばかりじゃな。妾も奮発したが、ウラミも奮発したのぉ」
「えへへ、いつもお世話になっているからね」
奮発するのなら、高級な肉でも奢ってもらいたかった。あ、もちろん牛とかだよ? ミノタウロスの肉とかじゃないからね?
さて、どうするか。冬虫夏草を出されたほうが、まだ良かったと思える飲み物が目の前に出されている。
どうする? どうするんだ? ……考えるまでもない。俺のことを心配し、用意してくれた気持ちを裏切ることはできない。
俺は震える体を押さえ、コップへ手を伸ばす。だが、ウラミちゃんが俺の手を止めた。もしかして飲まなくていいのかな?
「お兄ちゃんまだ体調悪そうだし、わたしが飲ませてあげるね」
「全然違った」
「え? どうかしたの?」
「なんでもないです……」
唇にコップがつけられる。驚いたことに無臭だ。強烈な匂いがしないことは、少しだけ救われた気がした。
口の中に液体が入り込む。うん、なにも味がしない。もしかしてこれならいけるか?
そう思った俺は、ごくごくと喉を鳴らして一気に飲み込んだ。よしいける! 考える前に飲んでしまおう。
全部飲み切り、ふぅと息をつく。俺は生き残った……!
生あることに感謝しながら横へなると、心臓がドクンと体が跳ねるほどに脈打った。な、なんだ今のは? 明らかに異常だった。
胸へ手を伸ばそうとしたのだが、体が痺れて動かない。全身からは汗が出て、目からは涙が止まらない。やばいやばいやばいやばい。
「後は一眠りしてね」
「うむ、ゆっくり寝かせてやるために、妾たちも部屋を出よう」
「タ……タス……」
「なにかあったら呼んでね」
「ケテ……」
絞り出した声は届かず、二人は部屋から出て行く。残った俺は、がくがくと体を震わせて意識を失った。
明朝、俺は目を覚ます。体調も多少の体の重さはあるものの、かなりいい。
ただし布団は謎の赤い液体でどろどろに染まっている。気を失っている間に、なにがあったのか想像するだけで怖い。
血だったら死んでいるはずだし、血ではない……はず。そう信じ立ち上がると、扉がノックされた。
「はい」
「ギヒッ、オーヤ大丈夫か?」
「おう、様子を見に来たぜ」
二人を見てほっとしたのだが、それも束の間のことだった。手には、バタバタと動く謎の袋。あれはなんだ?
嫌な予感で後ずさると、二人は笑いながら部屋へと入って来た。そして俺の肩を掴み、無理矢理座らせる。
「二人が薬を飲ませたって聞いてな。滋養強壮にいいやつを採って来たぞ」
「ギヒヒッ、高級食材だ。感謝しろよ」
「……い、いえ、後は普通に食べて体調を治そうと思っているんで」
「まぁまぁ遠慮するな」
「食べればすぐ元気になるぞ、ギヒヒッ」
「た……た……助けてくれえええええええ!」
その後の記憶は無い。だが目を覚ましたとき、部屋の中はカラフルに染まっていた。
何が起きたのかは考えたくもない。体調が戻った俺は、一人で部屋の掃除をした。
もう二度と風邪は引かないようにしよう……。




