第十話
唖然として見ていると、ゴブさんが額に手を当てて「やれやれ」と言った。さっき話していたのは、やはり彼女のことらしい。
「ウラミ、帰ってきたなら挨拶くらいしろ。ギヒッ、オレたちを驚かせたかったのか?」
「うふふ、別にそういうわけじゃないよ? 知らない人間がいたから、ちょっとね……」
黒い光の無い瞳が、俺のことを真っ直ぐに見ていた。……しかし、驚くことは無い。とんでもないことには慣れてきているからね。
ウラミと呼ばれた少女へ、俺はにっこりと笑いかける。こちらから先に挨拶をすれば彼女も挨拶をしやすいだろうと、手を差し出した。
「こんばんは、俺は大谷 幸。みんなにはオーヤって呼ばれている。よろしくね」
「……わたしはアンデッドとゴーストを束ねているノーライフクイーン。ウラミよ。でも、そんな簡単に手を出していいのかな?」
意味が分からずにいると、少女の手が俺の手を……掴もうとしたところで、ゴブさんが止めた。
いつの間にかマオさんも少女の頭に手を置いているし、キューさんも尻尾で俺を包み込んでいる。
三人の少女を警戒しているような動きに、俺は口を開くことができなかった。
「ウラミ、てめぇなにをしようとした」
「なにって、握手しようとしただけだよ?」
「妾には、そうは見えなかったがな」
バチバチと四人は火花を散らしている。あまり良くない状況に感じるし、なにもしていない小さな女の子にする態度とも思えない。
だが俺を守ってくれているのに、無碍にもできないわけで……。
悩んでいたのだが、ちらりと見たときに少女と目が合った。瞳には少しだけ寂しそうな色が浮かんでおり、俺は悩みを振り切り少女の手を自分から握った。つめたっ!
「ギッ!? オーヤ!」
「よろしくね、ウラミちゃん」
ゴブさんは焦っているが、これで良かったはずだ。俺は自分の浅慮な決断を、素直に肯定していた。
人を見た目で判断してはいけない。三人と出会って、俺が最初に学んだことを実践しただけだった。
確かに、ちょっとだけ幽霊みたいで怖いけどね。
良かれと思ってやったのだが、ウラミちゃんは不思議そうな顔で俺を見ていた。
「わたしのことが怖くないの?」
「全然怖くな……いって言ったら嘘だよね。まだ出会ったばかりだし、ちょっとだけ怖いかな」
「変な人。お爺さんやお婆さんが、あなたに任せた理由が少しだけ分かったかも」
ふっと顔を綻ばせ、彼女は笑みを浮かべてくれた。自分の決断が間違っていなかったと思える。
三人も俺たちの様子を見て、少しだけ警戒を解いてくれていた。どうやら誤解は解けたようだ。
そういえば咄嗟に名前で呼んでしまったが、大丈夫だっただろうか? なんとなく気になり、俺は彼女へ聞いてみることにした。
「そうだ。許可も無くウラミちゃんって名前で呼んじゃったけど、嫌じゃなかったかな?」
「別に大丈夫だよ。うふふ……」
許しも貰え安心した俺は、その後はいつものようにみんなと歓談して過ごした。
ノーライフクイーンって言っていたが、話してみれば怖いこともない。だが、ここ最近の異常は結局この子の仕業だったのかな?
……まぁいいか。もし彼女がやっていたのだとしたら、ちょっと悪戯が好きなだけだろう。子供のしたことだからと思い、気にしないこととした。
夜も遅くなり、部屋へと戻ることにする。今日からゆっくり寝れるかなぁ。そう思って自室の扉を開けようとしたとき、後ろから呼び止められた。
「ねぇ」
「うぉっ! び、びっくりした。ウラミちゃんどうしたの?」
「……もう一回握手してもいい?」
「うん? 握手? 別にいいよ」
俺はなんの疑いも無く、彼女の手を握った。しかし次の瞬間、彼女の周りに黒い靄が浮かび上がる。黒い影のようなものは、段々と何かを象っていく。
それは……黒い手だった。
突然の事で身動き取れずに見ていると、その手が俺の口から、目から、穴という穴から入り込んだ。
「がっ、ぐっ」
「大丈夫?」
「ごほっごほっ……え? 今、何をしたの? 俺の体の中に……」
「うん、これでいいかな。おやすみなさい」
彼女はにたぁと笑った後、ふわふわと浮かび上がり二階へと消えて行った。
だが、俺はそれどころではない。今、体の中へ入ったのはなんだ? 何が起きたんだ?
不安が俺を圧し潰そうとしているが、答えてくれる人はいない。明らかに害がありそうだったが、体に異変は感じられなかった。
……うん、信じよう。俺は出会ったばかりの相手を疑うことをやめ、信じることにして横へなった。
だ、大丈夫大丈夫。大丈夫だよね? 大丈夫だよ? 大丈夫かなぁ……。
信じると決めたが、不安な物はやはり不安だった。
ジャギッジャギッと異音がする。ここ数日聞き過ぎており、もう馴染みともなっていた。
しかし、目を開いて確認しないと音は消えない。億劫に思いながらも起き上がり、電気を点ける。
すると、部屋の中には俺へ背を向けている黒い小さな少女がいた。
「ウラミちゃん?」
俺が呼ぶと、振り向いた彼女はにたっと笑った。なぜ俺の部屋に彼女が? 異音の正体を知っている?
彼女を疑わないと決めたのに、どうしても考えてしまう。頭をぶんぶんと振り、余計な考えを振り払った。
「ど、どうかしたの?」
「……ううん、大丈夫だよ。おやすみ」
二度目のおやすみを言った後、彼女は天井へと消えて行った。
ぶるりと体が震える。部屋の温度が下がっているようで、少しだけ冷たく感じた。
俺は電気を消した後、寒さから逃げるように布団の中へ潜り込んだ。
――声がする。また笑い声だ。部屋の扉の前で、確かに聞こえる。
毎日毎日これの繰り返し。怖い気持ちを抑え、起き上がった俺は扉を開く。
そこには……またウラミちゃんがいた。
何度も同じことが続くものだろうか? 背を向けている彼女へ、掛ける言葉が見つからない。
胃が締め付けられるように痛くなる。息も若干荒く、言葉が出ない。
そんな俺に気付いたのか、彼女が振り向く。目が合った彼女は、やはりにたぁと笑った。
「どうしたの? 面白い顔をしているよ?」
「い、いや……」
「ふふっ、怖いなら一緒に寝てあげようか?」
一緒に寝る? そうしたらなにが起きるのだろう? ……違う。彼女じゃない、彼女じゃないんだ。絶対に違う。
何に言い訳をしているかも分からない中、悪い考えばかりが浮かび上がる。
落ち着きを取り戻せずにいると、彼女が俺にツギハギだらけの、うさぎのぬいぐるみを手渡した。
「それ、持っているとよく寝れるよ。……じゃあ、わたしも寝るから」
ウラミちゃんは、すぅっと暗闇へ消えて行った。彼女からうさぎのぬいぐるみを受け取ったが、これと寝るのか?
う、うぅん……。だが好意で渡してくれたのに、それを拒否するのも変かもしれない。
部屋に戻った俺は、うさぎのぬいぐるみと添い寝をして目を瞑った。
……その後、妙な音や笑い声はなぜか聞こえない。悪い考えも浮かばず、変に追い詰められている感じも無い。俺はゆっくりと眠ることができた。
朝、目を覚ます。睡眠が足りていない感じはしたが、昨日より体が軽く感じる。
もしかしたらこのぬいぐるみのお陰かな? 俺はツギハギだらけのぬいぐるみを、指先で突いた。
そうだ、お礼を言ってこれを返さないといけない。身支度を整えた俺は、急ぎ居間へと向かう。
扉を開き中を見ると、四人がすでにいた。だが、いつもと違い剣呑な雰囲気を感じる。
だって怖い顔をした三人に、なぜかウラミちゃんが囲まれているからね。




