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Rainy Christmas

作者: 菜畑 三太

 ―――人は過去の中に現在をのみ眺める。私の現在が変はるとき、私の過去がまた変はらないとは、誰が保証しえようか。                      河合栄治郎



 世界は美しい。

 僕はキリスト教徒でも何でもないが、日本人というのは本当にお祭りが大好きな民族であるようで、イエス生誕を礼賛している人はほとんどいるはずもないのだが、ほとんどの日本人がイエスの生誕祭にかこつけて今日という日を楽しんでいる。断言はできないが、おそらくほとんどの人たちがこの日は幸せな一日を過ごせているはずだ。とすれば、イエスが望んだ形ではないだろうが、人々が幸せに過ごしている様子を見てイエスも雲の上で苦笑いをしていることだろう。


 さて、要するに今日は12月24日。俗にいうクリスマスイヴである。


 家族と一緒にターキーを食べたり。


 親しい友人たちと集まって、鍋パーティーをしたり。


 そして、大切な彼氏彼女と、貴重な二人の時間を過ごしたり。


 人によってこの日の過ごし方は様々で、その過ごし方の分だけ世界には幸せが存在している。そしてその存在を万人が再確認できるのが、今日である(と僕は勝手に解釈している)。



 ……などという世界の客観的分析は、俗世間から切り離された仙人や神様などと言った人々に崇拝される対象となる人物たちが行う事だ。小説やゲームの物語に参加する人物たちが自分たちの世界は「創作物」であることに気付けないでいるように、今日を楽しむ世界の誰もが、世界の客観的分析をすることは出来ないし、その資格もない。


 しかし僕は、今日の僕ならその分析を行うことができる。

 僕は本日限りの「超越者」なのだから。


                      *

 「他に好きな人が出来た」

 そう前の彼女から言い渡されたのは四か月前の夏祭りの事だった。夏の終わりのつくつく法師が鳴き始めの頃だったが、まだまだ残暑が厳しかったのを覚えている。


 その日のちょうど一年前にも同じ夏祭りに君と一緒に来た。それが僕たちが二人で出かけた初めてのことだったが、その時の君の姿を、僕はあの日の君の姿に重ねた。少し背伸びをしていた、まるで初めての七五三の着物を着た女の子のようだった君は、一年でとても大きくなった。それは身長が伸びたからかもしれないけど、太陽に向かって咲く向日葵のような、しっかりとした幹のようなものを、僕はあの日の君の中に見出したのだ。

 君は僕の世界で一番美しい存在だった。


 でも、僕は太陽ではなく、夜空にポツンと咲く三日月だった。


 向日葵はあの夜の大きな花火と共に、アスファルトに叩きつけられたガラス瓶のように砕け散ってしまった。


 三日月は悲しんだ。向日葵が恋しくてたまらなくなり、自身で向日葵の油絵を描き、額縁に入れて飾った。


 その油絵は、実に美しい。向日葵が消えた後も、僕の注意をまるで呪いのように惹き続ける。



                      *

 「次は~、終点の~□□□~」

 空疎な田舎線の四人掛け席で、僕は一人目を覚ました。寝てしまっていたようだ。


 世界は残酷だ。よりによってこんな日に、神様はこんな夢を僕に見せる。

電車から降りて思わず漏れ出たため息は、白くなって儚く消える。


 向日葵が砕けた世界で三日月は、三日月としての輝きを失ってしまった。ただただ三日月は、向日葵の油絵を見つめ、向日葵が咲いていた季節を懐古する。そうすることで、また向日葵が帰って来るのではないかと考えながら。

 それでも、向日葵は帰ってこなかった。油絵は額縁の中で輝きを増す。

 油絵を捨てることも考えた。油絵を捨てて、もう一度夜空に戻ろうともした。

 

 向日葵が消えれば闇に包まれる世界は、その姿の生き写しである油絵を拒んでいた。新月に近い三日月から、闇の世界の中心を僕から奪い取る可能性のある、そんな存在。


 じゃあ、向日葵の存在も、油絵も跡形もなく消え去った後は?



 僕の世界には、何もなくなる。


 それでもなお、僕は君を世界から追い出したい。追い出さざるを得ない。


 世界の中心は僕だ。そう叫ばずにはいられない幼い王。


 僕は、唯一無二の君を、美しい君を吐き出すために叫ぶ。


 欠けた月が満月になるその日まで、僕に出来る唯一の抵抗。


              *


 小さい頃から歌うことが好きだった。

 

 自分の感情を伝えることをのどから短剣を引きずり出すような苦痛に感じていた僕にとって、唯一心を開ける世界。それが歌の世界だった。

 歌っている時は、僕は僕が裸になっていくような錯覚に陥る。裸になって、心までもむき出しになって、自分の中に溜まっていたものが全部世界に流れ出していく。まるで、雪原に自らの裸体を投げ出したかのような感触。

 歌はすべてを語る。僕は音楽が人を動かすかどうかは知らないけれど、歌には歌手のすべてが込められていると思う。だから、同じ歌を複数人が同じように歌うことはあり得ない。だれ一人として同じ人生を歩むことはないし、感情が寸分違わず同じ様の他人など存在しない。歌は歌手によって、様々な色合いに染まっていくのだ。だから、楽しげな曲調の歌が悲しげに聞こえることもあるし、優しく宥めるような曲が怒り狂って聞こえることもある。それ故歌の世界は美しい。


 今の僕の歌はどんな音色を醸しているのだろう。今の僕の歌は、どんな世界を聴衆に見せることができるだろう。


 わざわざ自問するようなことじゃない。きっと灰色だ。セピア色だけど、たった一つ輝き続ける君のいる世界。もしかしたら雪が降っているのかもしれない。


 一見すると綺麗な世界だ。世界が灰色になっても太陽に向かって咲く向日葵を恋い焦がれる。なんて悲劇的で、儚くとも美しい愛の世界。


 でも僕はその向日葵を憎む。世界で最も美しい向日葵が邪魔だ。


 だから僕の歌声は汚いんだろう。無秩序で、乱暴で、もがいているような歌声だ。人影のない寂れた駅で歌っているような僕には、それくらいの歌声がふさわしいのかもしれないけれど。


 ふと冷たさを感じて上を見上げると、雪が降ってきた。今年初めての雪だ。



 美しいこの世界に、美しい雪が降る。なんてこの世界は美しいんだろう。


 醜いこの僕には不釣合いの、美しい雪が降る。なんてこの世界は残酷なんだろう。


 僕は、歌うことをやめた。


 こんな美しい日に、僕は歌うことはできない。


 背後に置いていたギターカバーには、美しいはずの雪が埃のように薄く積もっていた。

            *


 「あ、貴女の事が、ずっと前から好きでした!」

 まだ真夏の太陽がアスファルトを焦がしていた頃の事だ。


 俺は君に告白した。生まれて初めての告白だった。

 徹夜で告白の文章を考えてきたのに、結局君に伝えられたのはこの一文だけだった。


 ダメだ。最悪の告白だ。俺は君の前から逃げ出そうとしたと思う。


 なのに君はこう言ったんだ。




 「ありがとう」って。かすむほどに眩しい笑顔で。


 世界は美しかった。


            *


 雪は雨へと変わった。世界が涙をこぼしている。祝福されるべきこんなに美しい日に。


 ……ああ、そうか。ここは僕の世界だ。いつまでも逃れられない、過去の影に執着している僕が、涙を流している。なぜ泣いているのか。悲壮感からか??誰かに助けてほしいからか??


 無力感からだ。


切っても切り離せない影を切り離すために僕は歌を頼った。そうすることで何かが変わるのではと考えた。だけど、どれだけ向日葵を切り離そうとしても、吐き出そうとしても、僕の中からは何も出てこなかった。


 僕は空っぽだったからだ。



 雨は、止むことを知らない。


                     *


 どこからか、声がする。


 懐かしい声だ。ずっと昔に聞いたことのある、懐かしい声。


 この声は、君の声だ。



 向日葵が、一輪。クリスマスの夜に、冷たい雨を浴びて、美しく咲く。


                     *


 君は駅近くの広場のステージで、一人歌っていた。


 「Tu scendi dalle stelle」というイタリアの古い讃美歌だ。昔よく通っていた教会でよく聞いていた。


 ピアノの音もなく、広場には君の歌声と止まない雨の音が響く。僕と同じ雨が、君にも降り注ぐ。


 どうしてだろう。僕と同じ世界にいるのに、色彩を欠いたこの世界でもなお、君の声はカラフルだ。君の声が、何もないこの場所に花を咲かせ、鳥たちを呼び、暖かい風を運んでくれる。そんな「力」が、君の歌には確かに存在する。


 なんて君は美しいのだろう。やはり僕は向日葵に目を奪われる。そして一度目を奪われると、向日葵は僕から輝きを吸い取っていき、さらに輝く。


 だから僕は。


 「……やぁ、久しぶり」


 向日葵が嫌いなんだ。


 三日月を裏切り、どこかにある太陽に向かって咲く向日葵が。


                     *

「あぁ。あれウソだよ」

 君はあっさりと過去の発言を否定した。

「ていうか、ウソだってこととっくにばれてるかと思ってたよ」

君はいたずらっ子のように舌を出して笑う。その仕草がとても眩しくて、僕は目線を逸らしてしまう。


 本当は、「綺麗だよ」と伝えたい。「まだ好きなんだ」と、大声をあげて君に伝えたい。


 でも僕は、こうして君の横に座っていることしかできない。言葉が、出てこない。


 言葉にしないと伝わらない。そんなことは分かっている。だけど出来ないんだ。


 僕は臆病だ。


 僕の思いは、届かない。




「届いてるよ」

 君は言う。嘘だ。届くはずがない。


 だって僕は、自分の思いを「言葉」に出来ないのだから。


「本当は、ちゃんと言葉にしなきゃとは思っていたんだけどね」

君は困ったように笑う。そして、言の葉を紡ぎ始める。



 私ね、すごくウソつきなの。生まれた時からずっと。何か都合が悪くなるとすぐにウソついてごまかしたり、ほんとはすっごく嫌なことでもウソついて媚び売ってみたり。そうやって生きてきたせいか、いつしかみんなも私みたいにウソついて生きてるんじゃないかって思いだしてね。そう考えると、誰の言葉も信じられなくなってさ。

そのことに気づく前は、世界がすっごく綺麗に見えてたのに、それからは白黒テレビみたいに、急に色が消えていったの。世界から色が消えて、私は言葉どころか、人すら信用できなくなっていった。結局ウソをつく癖も抜けなくて、そのおかげで人付き合いが断たれることはなかったけどさ。



 僕と同じだ。世界が色褪せていく感覚。世界が、色を失っていく恐怖。



 ―――そんな時、君が現れた。


 向日葵は、その花の鮮やかさをさらに増して咲く。夜空の三日月を指差し、はにかむように咲く。


 初めて私が君を見たのは学園祭の時だったかな。

 君の声はさ、本当にまっすぐで、ウソ偽りのない形で私を響かせた。

 そりゃもうほんっとにすごくって!!

 運動した後に飲むスポーツドリンクみたいな感じだったよ!私にとっては!!

 ………例えが悪いかな。不細工だね。

 何にもなかった私の心の中に、君の声は自然に入ってきたんだ。それは私にとって大きな衝撃でもあったし、同時に革命的なことでもあった。

 君は確かに、点と線でしか構成されていなかった私の世界を、鮮やかに染め上げてくれた。

 私の世界は、君の声を聞いてから美しくなったんだ。


 向日葵は、そっと微笑むようにそよ風に揺られる。太陽に向かって、笑顔をこぼす。



 その日から、私は君になりたくて仕方なくなった。

 もともと音痴だったけど頑張って練習して、合唱団にも入って毎日練習した。どうやったら「人の心を動かすような君の歌」を歌えるようになるのか必死に考えたりした。……何気にすごくない?結構一途なのよ、私。


 向日葵は誇らしげに咲く。


 君の隣はとっても居心地がよかったよ。君は私に、私の知らない世界をたくさん見せてくれた。世界はこんなに美しいんだよって、ね。

 私は世界が大好きになった!そして、世界を綺麗に色づかせていく君のことも、大好きになった。


 向日葵は、恥ずかしげに咲く。


 でもね、君といるとおかしなことが起きるの。

 君は、私まで綺麗に染め上げ始めてしまった。そしてそのことに私は納得して甘んじてしまったの。

 私はね、一途だけどすごく負けず嫌いで、一度決めた目標は最後まで成し遂げないと気が済まない人なの!

 もう一度言うけど、私は君みたいな人になりたかった。

 君みたいに、世界を綺麗に染め上げることができるような人になりたかった。

 君みたいに、そうすることで誰かを救うことができるような人になりたかった。



 

 私は、君のことが大好きだった。



 君の歌が、君の声が、大好きだった。




 君は空に向かってふぅと白い溜息を吐く。雨はいつの間にか、雪へと変わっていた。

「君はとっても素敵な人。だけど同時に、すごく儚い人。臆病で、自虐的で、全部自分のせいだって考えちゃうような、そんな人」

よく分かってるじゃないか。

「当たり前だよ!私はずっと君を見てきたんだから」

僕だってずっと君を見てきたさ。

「ホントに?ウソついてない??」

僕は嘘はつかない主義だからね。

「確かに、そうだったね」

向日葵は太陽に向かって一段と大きく咲く。この世界は美しいんだと、そう世界に叫びながら。

「久しぶりに君の歌が聞きたいな」

そして君は、こう続けた。



 それで、終わりにしよう。


 私たちは、それぞれが輝くために、それぞれが歌うんだ。



                    *


 僕の世界には大きな向日葵が一輪咲いている。その向日葵はどんな時でも色褪せない。例え三日月が新月に近づこうとも、変わらずに咲き続ける。

 僕はそんな向日葵が憎かった。変わらない美しさを保つ向日葵に嫉妬していたのだろう。

 しかしそんな向日葵も、過去に傷を負っていた。そして、その傷を癒してくれたのは、他でもない三日月の光だという。

 僕の歌で、救われた人がいると言う。

 そしてそんな僕は、君に救われた。


 僕たちはとても似ている。それ故に噛み合わない。同じ形のピースが決して噛み合うことのないように。


 僕たちはお互いを照らし合い、生きていく。


 僕たちは、とても似ている。


 三日月も向日葵も、太陽の光を受けて咲いているのだから。





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