2
その長身故にアクナが宛がわれたのは、家の主人であるジェラルドの書斎という部屋だった。
ジェラルドの寝室はベットがあるのだが、普通の長さしかないそのベットではアクナの身長を担うことは出来なかった。そうなると、客室のベットも同じこと。
そこでアクナは家の一階部分にある書斎で寝泊りすることになった。
机と椅子、本がそこそこに並べられている本棚。書斎とはいっても、アクナが何度か見たことのある貴族や大店の主人のそことは違い、ひっそりとして小さいと感じる部屋だった。ミアはその部屋の床に布団を敷き、此処で我慢して欲しいとアクナに告げた。ベットから足をはみ出す、足を折り曲げる事を思えば、もっと言えば過酷な自然の中で野宿することを思えば、布団に枕にと揃っているだけで文句が言えようがない。しかも、ミアは何処から手に入れてきたのか、平民では手が出せない見ただけで高いだろうと思える、真っ白で柔らかな布団を二枚、三枚と重ね、これなら身体も痛くないだろうと平然と言ってのけたのだ。その布団の値段を考えたのなら恐ろしくて恐縮してしまう。それでも使えと言われたのだから、と思い切って寝てみれば、これまでの生活で経験したことのない寝易さを味わうことが出来た。
だが、それでも長年の生活の習慣が疎かになることはない。
どれだけぐっすりと寝ていたとしても、仲間ではない者の気配が近づいてきたのなら、すぐに目覚めることが出来る。これはアクナだけではなく、冒険者、傭兵という立場に身を置いている者なら当たり前のことだ。
だというのに!
アクナは信じられない気分に襲われ、それは部屋を出て皆での朝食を終えた後でも中々拭うことは出来なかった。
いくら柔らかな布団を何重にしていたとしても、床に眠るということは近づいてくる足音を音だけではなく、振動として受け止めることになるということ。
だというのに、アクナは彼女が自分の顔を見下ろしてくるまで、近づいてきたことさえも気づく事が出来ずに目を閉じていたのだ。
目を開くと、眼前にあったミアの顔。
驚きのあまり、攻撃へと移り始めようとする体勢で固まってしまったアクナを、ミアは子供の無邪気さをありありと宿す笑顔で見下ろし、悪戯が成功したと面白がった。
そして、固まったまま動けずに居るアクナに、朝食の時間だと言い置き、今度はパタパタという足音をちゃんとさせて部屋を後にしたのだ。
普通の子供ではない。
バクバクと音を高鳴らせる胸を押さえながら起き上がったアクナはそう、ミアが立ち去っていった部屋のドアを凝視しながら、擦れる声で呟いていた。
朝食を準備する姿も、食べる姿も、そして朝早くに突然やってきた客と接する姿も、大人びてはいるが普通の子供に見える。
だが、アクナはミアに対して抱いた違和感を、何時までたっても忘れることが出来そうになかった。
「あれ?そっちの人らは?」
ミアから受け取った御守りを荷物へと仕舞い、そして支払いを終えたレオがそう口にして目を向けていたのはミアの背後、店から家へと繋がる扉だった。
ミアが振り向くと、朝早くにやってきた客が気になったようで、四人が顔を覗かせていた。
「今日から一緒に住むことになったんです。お父さんが暫く帰って来れなくなっちゃって」
黙っていても、嘘をついても、何の意味もない。だからミアは事情をはぐらかすことなく、レオへと事のあらましを簡単に説明した。
「あぁ、あれかぁ!ジェラルドさん、あれに巻き込まれちまったのかぁ」
そりゃあ災難だったな、と。どうやらレオは橋が崩落したことを知っていたようで、ミアの説明も平然と受け止めたのだった。
「あれのせいで、こっちに来る筈だった奴等が来れなくなっちまってさ。それで、ギルドがそいつらが受ける筈だった仕事を調整して、俺のところに一部が回ってきたんだよ」
やんなっちまうよな、とレオ。
「そっか。まぁ、あの人らの言うことちゃんと聞いて、お転婆し過ぎんなよ、ミアちゃん」
「一応、クーゼン氏から話は聞いてはいるんだが、そんなにお転婆なのか?」
ミアの頭をぽんぽんと叩きながら、にやにやと意地の悪い笑いをレオは浮かべる。ミアからしてみれば意地の悪いとしか言いようのないレオの言葉に不本意だと膨れてみせるミアは、ちゃんと子供のように見える。
そんな二人が作り出している和やかな光景に、アクナの声が割って入った。
「…お父さん、一体何言ったの?」
レオの言葉も不本意なものだったが、アクナの言葉にもまた引っ掛かりを覚えたミアは、此処ではない遠くにまだ留まっている父を思い浮かべ、顔を顰めた。
そして、口先を尖らせアクナを睨みつける。
朝の、あの驚きと恐怖を感じさせない、子供らしいその表情にアクナはつい毒気を抜かれかけた。
ジェラルド・クーゼンの親馬鹿な話によれば。
可愛い彼の愛娘は親よりも余程しっかりとした子で、たった11歳という年齢で家事もこなし、店の手伝いをしっかりとして、看板娘という役目をそつなくこなしている。
かといって子供らしくない子かと言われればそうではなく。街の子供達の中では、年下から年上まで、頼られる存在として君臨している。悪戯をしたり、子供達を集めて新しい遊びを編み出して興じたり、大人達が目を剥くような大事件を子供ながらに引っ掻き回してみたり。
それは止めた方がいいんじゃないのか、と常識外れな育ちをしている冒険者達が遠い目をするような逸話を、ジェラルドは親馬鹿全開に語っていた。
そう、アクナ達はミアとレオに語ったのだ。
「お父さん、帰って来たら覚えてて」
「さっすがジェラルドさん」
子供達と共にやらかした数々の事案を、身も知らぬ人々に事細かに語られていた。そんな事実を知ってしまったミアは顔を真っ赤に染め上げた。それらを実際に見知っているレオは、普通の親ならば怒り狂うか、嘆き悲しむような数々の、ミアが中心となって子供等が巻き起こした事件を「可愛いよねぇ」の一言で終わらせたというジェラルドへの感心を口にしていた。
むぅ。
顔を真っ赤にさせ、口先を尖らせて膨れる姿は、確かに父親の言葉の通りに可愛らしい。
「まぁ、そうは言っても。しばらくは完全に無理だろうな、帰ってくるのは」
ギルド経由で事の次第を知っているレオは再びミアの頭を叩き、そう呟いた。
ジェラルドだけではない。この港街に集まって来ようとしていた商品や人間も多く足止めを喰らってしまった橋の崩落は、まだ知る者の少ない今からでは想像もつかなくなる程の騒ぎと問題を巻き起こすことは確定的だった。
「なぁんか。騎士達も、いろんな所に行ってる冒険者共の誰も、見たことが無いって口を揃えてるみたいだぞ?」
それを退治しない限りは橋を直すことは難しい。
そうなると、色々な渡る術を試すことが出来る力自慢の冒険者達ならいざ知らず、多くの荷を運ばなくてはならないジェラルドを始めとする商人達の足止めの時間は長いことになるだろう。
「へぇ、どんな魔物だったの?」
そういえば、そこは聞いていなかったな、とミアはレオとアクナ達を見回した。
「俺がギルドで聞いた話だと、でかい蛇みたいな奴だったってよ」
両腕を限界まで広げたレオ。きっとその長さというものをミアに表現して見せたかったのだろうが、その姿はちょっと間抜けで、ミアは噴出してしまった。
「頭は貝みたいだったわね」
それを直に見てきたエレクトラが、レオの説明に追加する。
「貝?」
「えぇ、身体は確かに蛇のような長細かったわ。でも、水面から少しだけ覗いた頭を私は見たのだけど、硬い巻貝のような頭をしていたわ」
「海で魔獣と遭遇したことも何度かあるが、あんなのは話にも聞いたことは無かったね」
エレクトラの言葉に、ラースも追加する。
「巻貝みたいな頭…」
へぇ、と呟いて「不思議だね」なんて口にしてみたミアだったが、実はその説明に当て嵌まる存在が頭を過ぎっていた。
でも、それである筈はない。
だって、ミアの頭に過ぎったそれは、この世界には居ない筈の存在だからだ。