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【03】

「………………」


 一口大に切られてあった大根を口に入れ、仁吏はそれをひと噛みした。たっぷりと吸われた出汁の味が口に広がる。少し癖のあるそれはぶりの味だろうか。仁吏は空になった試食用のスチロールを設置してあるゴミ箱に捨て、微かに綻んでいた顔を引き締める。

 悪くない味だった。ぶりも大根も今が旬だった気がする、と仁吏は大根を一本手に取って買い物かごに入れた。

 今日はぶり大根にしよう。旬の食べ物は栄養が多く含まれているし、何より味がいい。材料が余ったらぶりのみぞれ煮も作ろうか。同じ材料でも調理方法により違う雰囲気の料理になる。そのことを教えてくれたのは小さなころにやった料理ゲームだったな。仁吏はそんなことを思いながら果物コーナーでりんごをかごに入れる。義母が好んでいる酸味の強い品種だ。酸っぱいものを欲しがるのは妊娠しているからだろうか。

義母が梅干しのおかゆが食べたいと言っていたことを関連事項として思い出した仁吏は鶏がらの出汁のもとを探しに歩き、その他諸々をかごに放りこんでレジへ向かった。数あるレジにいつもはそれなりに長い列ができているが、今日は空いているようですぐに会計を終わらせることができた。ラッキーだった、とぼんやり思いながら購入したものをエコバックに詰め、ずっしりとしたそれを持って「帰ったら米を炊いて、魚の下処理をして……」と頭の中で今後のスケジュールを組み立てていく。すると、急に誰かの大きな声が耳に入って仁吏の集中が切れた。


「募金、よろしくおねがいしまーす」

「おねがいしまーす!」


 げっ。仁吏の母校である高校の女子制服が視界に入り、仁吏は反射的に下を向いた。女子高生、特にあの制服を着た女子が仁吏は苦手だ。理由は単純で「仁吏くんってキモいよねえー」と高校生時代にクラスメイトの女子が言っていたことが心の傷になっているからだ。男子にも中学生時代のクラスメイトにも言われていたが、女子高校生の言葉による傷が一番深い。あの女子高生の独特のしゃべり方とテンションがもともと駄目なのだろうか。

 幸いにもここは広いショッピングモールで出口なら数箇所ある。あの女子高生の集団の前を通らない出口までのルートを通ろうと考え、仁吏はUターンした。遠回りになっても構わない、あの集団には近づきたくない。しかし、そんな願いも虚しく仁吏の背後から小鳥を思わせる高い声が掛けられた。


「あの」


 体が強張った。逃げようと背中を向けたのに追撃されるなんて……無視をするという選択肢もあるが、仁吏の良心がそれを阻み、おまけに女子高生数人の視線が痛いので渋々と振り返った。はぁ、なんで今の募金ボランティア員ってこんなに積極的なんだろう。


「あ、あの。ユニセフの募金にご協力していただけませんか」


 振り向くやいなやたどたどしい敬語で話しかけてくる短いスカートの女子生徒が視界に飛び込んできたが仁吏は目を逸らし、背負っていたリュックの中から財布を取り出した。五百円でいいだろ、と彼女が持っていた募金箱に硬貨を入れた。


「ご協力、ありがとうございました」

「ありがとうございましたー!」


 仁吏は彼女たちにもう一度背を向けて帰ろうとする。


「あっ、ちょっと待ってください、これ、よかったら」


 仁吏はまた向き直り、「これ」であるビラ紙を受け取る。募金ありがとうございました! と丸文字の大きなフォント。百円で病気から子どもを守るためのワクチンが7回、下痢を防ぐ経口補水塩が十二袋、汚い水を浄化するための薬がなんと八十六錠も買うことができます、など集めたお金の使い道が記載されていた。かわいい絵柄の肌が黒い子どもが笑顔で走っているイラストに女子らしさが窺える。コンピューターで作るのではなく絵も文字も手書きで書いていることに仁吏は好感を抱いた。こういうのってなんだか暖かいかもしれない。仁吏は受け取った紙を丁寧に二つ折りしてエコバッグに突っ込み、軽く会釈をしてから今度こそ出口へ歩いた。


「今日、お金集まらないね」

「空いてるから仕方ないじゃん」


 後ろから先ほどのボランティア員の集団の声がした。店がガラガラだから俺がターゲットにされたのか、と仁吏はため息をつきそうになったが、イラストの子どもの絵がフラッシュバックして息をのみこんだ。俺はいいことをしたんだから胸を張って歩こう、と仁吏は自動ドアを通りすぎる。そして、目の前に広がる景色に違和感を覚えた。

 ――あれ?

 そこにあるのは満車の駐車場だった。店の中は空いていたのに駐車場が一杯なのはおかしくないか? 考えながら棒立ちしていた仁吏の前を青年二人が通り過ぎた。


「早く行かないと。ライブ、始まっちゃうよ!」

「マジ急げ」


 横切っていった青年たちを視線で追いかけると少し遠くに人だかりがあった。人があちらに集まっているから店に人がいないのだ。

 誰のライブなのだろうか、とぼんやり考えていると、近くのスピーカーから音楽が流れてくる。済んだ弦楽器の音がどんどん厚みを増していく荘厳な旋律。小鳥の囀りのような、まるで春の訪れを告げるハープの音が耳に届いた。

 仁吏が真っ先に思い浮かべたのは『女神のような美しい少女との出会い』だった。ゲーム音楽に例えると出会いのシーンで使われるようなBGM。

 明るい曲調はこれからの希望、明日への扉を思わせる。上を向いて歩き出したくなるような、そんな音楽だ。曲につられて仁吏が顔を上げると、弾かれるように後ろを向いた。


 なぜそうしたかは仁吏にもわからなかった。一瞬前のように音楽に誘われたのか、偶然なのか、第六感がそうさせたのか、それとも、必然なのか。



 フラグが、立つ音がした。



 同時に目に飛び込んできた、ショッピングモールの建物の壁にはめ込まれているディスプレイに映った少女と目が合った。

 まさに吸い込まれるといった表現が似合う鳶色の瞳。それを縁取る長いまつげ。太陽の光を跳ね返す優しいブラウンのロングヘア。ゆるいウェーブがかかっていて、風に揺れるそれに目を奪われてしまう。彼女が身に着けているのは純白のワンピース。丈は膝にかかるかかからないかといった長さで清純という単語がしっくりくる。清純な少女だが、そのワンピースには仏の身につけるそれにも似た翻波式のひだがついていた。同時に西洋美術の女神、プリマヴェーラのようでもあり、なんだか神々しい。



「まるで、女神みたいだ」



 仁吏は彼女にそう感想を抱いた。

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