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【01】

「私たちは『導かれた者』と申します。よろしければ、どうぞー」

「皆さんも、つらいことや納得できないことがある人は、救われたい人は、いつでも導かれた私どもにご相談ください」


 セーラー服を着た女子高生の集団のうち、二人が小さな冊子を受け取る。


「あ、はい……」


 小さく返事をすると、冊子を配布している青年は女子高生を深追いすることもなく、道行くほかの人に冊子を手渡している。一緒に歩いていた一人が冊子を手渡された少女に対し、呆れたため息をついた。


「どうみても怪しい新興宗教なのに、ハルもアキもどうして受け取っちゃうのかなあ」


 アキと呼ばれた少女は「まあ、受け取るだけタダだし、勧誘員もしつこくなかったし問題ないっしょ」と笑った。「こいつは潔癖すぎるんだって。ねえハル?」アキが同意を求めると、「どうせこんなの、使わないと思うし……」とハルは小さな声でぼやいた。


「ハルは人生順風満帆っぽいから、こんなのとは無縁か」


 とアキは苦笑した。こんなの――新興宗教「サンクチュアリロード」は最近になって発足したらしい集団だ。神に祈り、神の遣わす使者を召還することで、信者を救うという噂はハルも聞いたことがあった。でも召還なんてことは現実にできるはずがない。だってそんなの、ゲームや本、映画のなかの出来事だし。冊子を配布している彼らは何を根拠にあそこまで熱心になって活動をするのだろうか。


「その言い方じゃ、アキは少なからず人生の壁にぶつかってるって感じかな。でも、こんなのに頼っちゃったら終わりだよ」

「あの集団怖すぎるしね。ほら見て、この冊子の体験談。入信したらライバルを蹴落として昇進できました! とか、浮気した彼女に復讐できました! とか。嫌な感じ」


 アキは二人の話を聞いて「そうだよね」と頷いて笑って見せた。


「まあ、とにかく。ナツが駅で待ってるよ。早く行こ」


 そっと、冊子をリュックに仕舞いながら。





 カーテンの隙間から零れだした朝日が久保仁吏の目を覚まさせた。仁吏は手を弄る。シングルベットに横たわるぬいぐるみに、次に昨日夜遅くまでプレイしていたゲームボーイミクロに手が触れる。そして、手がひとつの六面体を掴んだ。目の前までそれを引き寄せる。そして、それが教えてくれる現在時刻を仁吏は読み上げた。


「はちじ……よんふん」


 明るいパステルグリーンの目覚まし時計は08:04とデジタル数字を無機質に写している。21、22、23と一秒ごとに小さな数字が切り替わるのを眺めていくうちに少しずつ仁吏の頭、体が覚醒していく。そしてクリアになった思考はひとつの事実を導き出した。

このままだと大学の講義に遅刻してしまう。

 やばい! 仁吏は急いで飛び起きて、部屋のカーテンを開けることもせずにリビングへ走っていった。まずテレビの主電源を入れ、生の食パンを食む。トーストする時間すら惜しいのだ。パンを咀嚼しながらテレビの画面の右上に目をやって、どうでもいいニュースとともに今日の天気がおおまかな地域ごとにお知らせされているのを確認する。札幌は晴れ、仙台は晴れのち曇り。ということは、ここ岩手も大体似たようなものだろう。傘はいらないと見た。仁吏はテレビの主電源を切って、パンを咥えたまま着替えを取りに寝室へ戻りに行った。適当に目についた黒のパーカーとカーゴパンツを着る。若干小さくなったパンを無理や口につめて飲み込み顔をばしゃばしゃと洗って、鞄片手に仁吏はアパートの部屋を出た。急がないといけない。しかし、転げ落ちないように気をつけてこのエントランスまでの会談を降りなければ。瞬時にそう考えていると、上の階から話し声が聞こえてきた。


「パパー、今日はイヲンにジヴァコイルが遊びにくるから、あくしゅしに行きたいの!」

「おー、ちゃんと連れてってやるから安心しな」


 近郊のショッピングモールに、今こどもたちに大人気のゲームのキャラクター(着ぐるみ)が遊びにくることは仁吏も知っていた。仁吏はゲーマーだからゲーム関係の情報を集めるのが好きだし、わざわざ調べなくてもこういう情報は自分にすぐ入ってくる。声がだんだん大きくなり、かつかつと階段の床を叩く音も近づいてきた。うわ、来た。仁吏は無意識に自分の部屋へ戻りかける。しかし、隠れるには一足遅かった。上の階に住む親子の姿を確認してしまう。姿を捉えたのは仁吏だけでなく、あちらも同じだ。もう逃げられない。上の階の父親が微笑んでから声を掛けてきた。


「ああ、久保さん。おはようございます」

「おは、おはようございます」


 へこりと頭を下げる。


「おはようございます。ほら、ユイちゃんもご挨拶」


奥さんがこどもを促す声がして、ソプラノの、小さい子らしい無邪気な挨拶が続いて聞こえた。


「おじちゃん、おはよう!」


 階段に響くそれは場の雰囲気を凍らせた。親たちの顔が白くなる。


「こ、こらユイ。『お兄さん』だろ」

「すみません、この子、悪気はなくて」


 齢二十の青年をおじちゃんと呼んだのは失礼ではあるが、仁吏はそう呼ばれても仕方の無い顔をしていた。大学生らしくキャンパスライフを楽しんでいる、未来への希望を持った輝きとは縁遠い、何だか濁った目。人生への諦観が生み出した色眼鏡が水晶体に組み込まれているかのような、そんな瞳。にきび対策のために人一倍洗顔したせいで潤いが無くなった肌。そして何よりも、剃りきれないヒゲのせいで青黒く見える顎と口周り。この顔のせいで、仁吏の周りに女性が寄り付かないのはもちろん、同年代の男も彼に進んでかかわろうとしなかった。顔のせいだけとは言い切れないが、大きな一因のなっているのは間違いない。


「本当にごめんなさい。じゃあ、私たちはそろそろ行きますね」


 申し訳なさそうな顔をして母親はまた謝ると、こどもの手をとって彼女たちは階段を降りていった。後姿を目で追うと、父親もこどもの手を繋いでいるのが見える。右手には母親、左手には父親。絵に描いたような幸せそうな家族だ。俺にもあんな時代があったなあ、と

 仁吏は昔に思いを馳せる。美人で料理上手、だれにでも優しかった母。不自由の無い裕福な生活をさせてくれて、たまにしかない休みの日はいつも一人息子である仁吏と遊んでくれた憧れの父。

 あのころはよかった。でも。

 俺は大切な母を亡くし、大好きだった父を無くしたんだ。


「………………戻れないな」


 世界が滲む。仁吏の声は、幸せな家族に届かなかった。

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