夜、その後
時刻は午後十一時、晩春に差し掛かるこの頃だが、街中を走る風は今だに冷たい。
僕たちは総情研データセンターの向かいに立つホテル、その中層階で待機していた。
窓から見える無数の光の粒、その一つ一つが人々が絶え間無く動く証拠である。
データセンターには窓はなく、白いのっぺりとした壁が四方貼り合わされているような感じで、例えるなら白い箱のようだ。
「さて、これからあそこに行くわけだが、実際に入るのは私とマサだけ、残り三人にはここで補佐をしてもらう」
所長の言葉に全員が頷く。
補佐、と言っても色々ある。
ホノカさんはデータセンター内に設置されているカメラを用いて脅威の監視。
佐々木さんは内部に侵入した所長らの誘導。
そして僕は、ビルの鍵開け、データの確認、その他もろもろ。ようはやることがいちいち重要な雑用である。
「最後に一つだけ、忠告をしておこう。宮本は別に犯罪を犯したりしているわけではない。つまり我々があそこに侵入したことがバレたらそれで全てが終了する」
遠回しな言い方だが言いたいことは大体わかる。ここで帰ってもいいんだぞ、そう言いたいのだろう。
宮本がやっていることは犯罪ではない。
しかし、もし本当に、人を操れるプログラムがあるのだとしたら、どんな大義があろうと、こちらが犯罪者になるとしても止めなければならない。
洗脳が解けた時のあの漠然とした恐怖は、もう誰にも味合わせてはならない。
皆の沈黙を参加への意志と見なした所長はテーブルに置いてあったメガネを装着すると、何も言わずにマサさんと出口へと向かう。
それを合図に僕たちの準備が始まる。
僕と佐々木さんもメガネを装着し、僕のガラス板から伸びるコードに接続する。
これによって所長の見ている光景がガラス板を通してリアルタイムでこちらにくるという仕組みだ。
ホノカさんもパソコンとモニターの準備を終え、目の上におしぼりを乗せて待機していた。どうでもいいが彼女はこういう時でもメイド服を着ているのが不思議でならない。
待機組の準備が全て終わり、室内が緊張の色に染まっていく。そんな時、ちょうど所長から通信が入る。
『そろそろ始めるぞ………安心しろ、現行犯で捕まりさえしなければ私がいくらでも守ってやる』
所長の視線と同時に途轍もない安心感も電波を通じてこちらへと伝わってくる。
だがそんな心地よい感じに浸っている場合ではない、これから情報に浸る時だ。
所長からの映像にマサさんが映る。ドアノブに付いている機械にコードを取り付け、そして所長のメガネへと繋ぐ。
その瞬間、メガネ右方の画面に電子錠のプログラムが色とりどりの文字列となって上から下へ流れていく。
僕の最初の仕事はこのプログラムを書き換え、所長の指紋でも入れるようにすることだ。
左方のフレームに触れると、左方の画面に所長の指紋、網膜、そしてID、いずれにしても全て偽造だが表示される。
これらを数値化したものを受け付けるようにこちらから修正を加えていけばいいのだが、流石最新の電子錠、プログラムを書き換えるのにまでパスワードを求めてきた。
桁数は30桁、通常ではほぼ不可能と言われる桁数だがここでホノカさんが先ほど準備していたパソコンの出番だ。
並列計算に特化したこれは100桁のパスワードをたった1日で解ける、現時点で民間人の持つコンピュータとしては性能も金額もトップクラスの優れものだ。
これのおかげで2分でパスワードを解析し終わればここからはすぐに終わる。
認証プログラムのバックアップをとり、手元のガラス板を使って修正をしていく。
かかった時間は合計2分30秒、それだけで国内でも最高峰のセキュリティが無力化された。
僕の出番はしばらくお休み、ここからは彼女らの出番だ。
「次の角を左に曲がると非常階段があります。サーバルームは32階、研究室はその上の階まで登ってください」
『警備員の現在地確認、4階、13階、25階、48階にそれぞれ1人ずつ、これから非常階段にジャミングかけるんでばったり会うのだけは気をつけてねー」
『了解、お前らは、というかナオにしばらくそっちの見張りやらせとけよ。いざとなったら俺の車で先に逃げとけ』
佐々木さんの目にはおそらく所長の見ている世界と内部構造が、ホノカさんの画面には各監視カメラの映像のみがそれぞれ映っているはずだ。
限られた情報のみでここまで支援できるのは流石ここのメンバーといったところか。
しばらくすると潜入組が階段を登り終えた。
データセンター故か、映像や音声に若干のノイズが入り始める。
『ここが…バルームか……れじゃあナオ、鍵を頼む……ん?中に人がいるな』
「え?いや、監視カメラじゃ確認できないけど…とりあえず気をつけて」
『了解、ここか…通信が遮断される。…分して通信が入らなけ……先に逃げろ』
「ちょっと待って下さい、何分待ってれば……ああ切れちゃった」
どうやら潜入組はサーバルームへと入ったようだ。
ここから先はただ待つのみ、やはり待つのは一番緊張する。
私とマサは無事にサーバルームに侵入できた。
中に人影を確認したが、監視カメラをしばらく見ていても何も映らないため、中に人がいるとしても、おそらく我々と同類で何かこそこそやっているだろうとの判断である。
いざ入ってみると天井いっぱいに建てられたサーバがドアを隠すように配置され、サーバとエアコンの不協和音が部屋中に響いているため見つかりづらいと同時にこちらも警備員を見つけられない。
「私は見張りついでに人影を探してくる。マサはデータの照会を頼むぞ」
「おう、気をつけろよ」
「お前もな。すまないな、こんな私の自己満足に付き合わせてしまって」
「いいんだよ。所長がやらなくても俺がやっていたさ」
二、三言交わすとお互いに一瞥し、それぞれの仕事へと写る。
サーバルームは巨大で、人が隠れそうなところが大量にあった。
これでは本当に人が隠れていても気がつかないだろう。
奥へ進んでいくと少しだけ広い空間が出現した。
ここにも監視カメラがあるが、どうせホノカが映像を加工しているので問題ない。
「やあ圓さん、やはりここに来てくれたね」
突如後ろから声をかけられる。そこからのこちらの反応は素早かった。振り返り、袖口に忍ばせていたスタンガンを声の主の首元に当てる。
「……………お前は宮本か?」
そこに立っていたのは今回の黒幕である宮本であった。宮本はスタンガンにビビっているが、それでもなお品の良さそうな笑みは崩れない。
「簡潔に言おう。遠藤は私と一緒に秘密裏で動いていた。全ては私達の独断で行った実験だ」
「この期に及んでまだそんなことを言うか。まあいい、マサがそこで情報を漁ってるから、本当のことはいずれ分かるぞ」
「だが、不正に入手した証拠など誰も信じないだろうな」
「その時は別のアプローチを仕掛ける。お前らがやっていることの片鱗はもう掴んだわけだからな」
「催眠術、か」
そう言うと宮本は諦めたような笑みを浮かべる。
宮本は私の腕を剥がすと壁際に向かい、内側から押す方式の窓を開く。
そこからは学生組が待機するホテルが見えた。彼らは頭がいい。怪しまれることないようカーテンは半分だけ閉めてあった。
彼は窓に手をかけ、窓の外を眺める。
「君は何処で催眠術の可能性に気付いたんだ?我々の技術は完璧だったはずだ」
「私が気付いたわけではない、気付いたのは部下だ」
「あの情報通の可愛い子か?彼女に最初にウイルスを仕掛けたわけだし、ウイルスを流布する方法に問題があったか」
「違う、男子高校生の方だ」
そう言うと宮本は驚いた顔をする。
無理はない。あいつは無能そうな見た目をしている。だが頭の回転に関しては私なんかより全然早い。
「彼が、一体どこで、何故気づいたんだね?」
「遠藤がコントロールルームのサーバに遺したワクチンに、あいつが触ったんだ」
「何?遠藤が?彼は私を裏切ったというのか?」
そう言って彼は頭を抱え、しゃがみ込む。
なんて哀れな男だろう。私がそう思ったのも一瞬であった。
理由は単純、宮本がポケットからペンを取り出し、スイッチを押したからだ。
プロだから分かるが、あれはペン型のICレコーダー、押したのは録音停止のボタンだ。
「ありがとう圓さん、猿芝居に付き合ってもらって」
先ほどまでの表情が嘘のように、何か重荷から解き放たれたかのような顔をする。
先ほどまでの会話も、依頼に来た時から、全てが演技だったというのか。
私の浮かべる驚愕が相手に伝わったのか、宮本は笑う。
「こうでもしないと君たちに情報を渡せないからね。世の中も窮屈になったものだ」
「お前、一体何をしたのか…」
「もちろん総情研の不正を暴くため、と言いたいが、実際は自分だけが正義でありたいと思っただけだろうな。研究の目的も話さずこうしてレコーダーもオフにしてしまったわけだし」
「目的?目的って一体なんだ?」
「人々の動きを極限まで効率化するためだ」
宮本はそう言うと窓に腰をかける。
まるで外に広がる世界を私に強調するかのように。
「第三次世界大戦から早20年、未だに日本は戦後の好景気を引きずったままだ。そこにCONNECTという究極の情報革命だz人々はどんどん堕落していった」
宮本はなおも話を続ける。
「こうなったら、CONNECTを利用すればいいと私は考えた。CONNECTを使って、人々を操れないかと人体の回路を研究する総情研と秘密裏に計画を練った」
「そこで出てきたのが、催眠術だったのか」
「そう、あれは脳の思考回路を組み替える究極の方法だ。それを使って実験している時に私は気づいたんだよ、これは洗脳と何も変わらないんじゃないかと」
宮本はまた振り返る。
今度はこの美しい世界を眺めるように。
「私から言い出したことなのに、自分勝手なことは分かっている。ただ、自分の犯した罪から逃げたかったんだ」
そう言うと宮本はペン型のICレコーダーを床に投げ捨て、こちらを振り向く。
「本当にただの独りよがりに付き合わせてすまなかった。そのICレコーダーを公表してくれ。そうすれば君たちの評判も上がるだろう」
「我々が評判を気にするところじゃない位分かってるだろ?」
それもそうだな、と宮本はそのまま窓から手を離し――
十五分後に警察が駆けつけた。飛び降り自殺があればそれはごく当然の出来事だ。
「それで、結局どうだったんです?」
帰りの車でナオが私にそう質問してきた。
やはりこの子は頭がいい。あの時、あそこの窓は開いていたはずだ。
「大丈夫ですよ、僕が操作しときましたんで」
ナオはユイに聞こえないよう、小声で話しかけてくる。彼女の目は私とリンクしていたためありがたい。
宮本は結局全てを抱えて死んでいった。ICレコーダーには自分が独断でやったと吹き込まれているし、私に事実を全て話したとは限らない。
もう全てのことを考えるのが嫌になり、車の窓を開ける。
車の窓からは何時もと変わらない高速道路であった。何故だか今夜はスムーズに道が進んでいる、そんな気がした。
ひとまず終わり。
最初らへんに短編が挟まってるし、キリがいいので仕切り直します。
それにテーマも思いついたし。