宮園ユキコ3
「お前って最低!」
ナツキくんはそう言って武田くんを殴った。武田くんの体が床に叩きつけられる。武田くんは口の中を切ったようで唇から血が出ていた。
「トモミの気持ちを踏みにじりやがって」
ナツキくんは乱暴に私の腕をつかむと武田くんに背中を向けて歩き出した。武田くんは床に座ったままだった。
武田くんはトモミさんと付き合ったまま、マイとも付き合い始めたようだった。私はトモミさんと別れたものだと思っていたのだけど、ナツキくんに聞くとそうではなかった。
ナツキくんは怖い顔で歩いていた。
その顔を見上げながら私は武田くんのことが気になっていた。
翌日武田くんにしてはめずらしく会社を休んだ。病欠ということになっていたが、理由は多分ナツキくんに殴られたせいだと思った。
私はふと気になって、もう桜ではなく新緑の葉をつけている駅前の桜並木に会社帰りによった。武田くんはそこにいた。ベンチに座ってぼんやりと空をみていた。顔が腫れていた。
「武田くん‥」
私がそう呼び掛けると武田くんは驚いたような顔を見せた。
「宮園さん、こんなとこいるとナツキに怒られるよ」
武田くんは私から視線をそらすとそう言って笑った。その笑顔は力なかった。切ない笑顔だった。あの桜を見ていた時の表情と一緒だった。
「ま、マイを、傷つけないで」
ふと出た言葉がそれだった。武田くんは穏やかな笑顔を私に向けた。
「大丈夫。僕はもうマイちゃんともトモミとも会うつもりはないから」
武田くんはそう言うと私に背を向けて歩き出した。
私はその背中がとても孤独で抱きしめたくなった。
合鍵を使ってドアを開けると男女のあえぎ声が聞こえた。
確かめたくなかったけど、部屋に入った。
ナツキくんと思われる男の人の下に、トモミさんがいた。
トモミさんは私の顔を見ると目を開いた。
そして悲しそうな顔になって体を起こした。
ナツキくんが振り向いて私を見る。
私は部屋を逃げ出した。
予感はしていた。
でもこんな形で知りたくなかった。
トモミさんから、ナツキくんから電話があったけど出なかった。
出たくなかった。
「宮園さん?」
駅前の桜並木のベンチで座っていると声をかけられた。声の主は武田くんだった。気がついたらここに来ていた。
「武田くん‥」
私は武田くんの胸に飛び込んでいた。武田くんはそっと私を抱きしめた。
それから武田くんも私も付き合うわけでもなく、ただ普通の同僚として過ごしていた。武田くんと付き合って、トモミさんやマイのように傷つきたくなかった。
私は普通の恋愛をして結婚をしたかった。
1年がたち、武田くんは主任になり、父は部長になった。
武田くんはよく家に来るようになったけど、私はあえて近づかないようにしていた。
武田くんは魅力的だった。
近づけばその魅力から逃れられないのがわかっていた。