第六話「振らない刃」
空気が、わずかに濁っていた。
城壁の外れ。
訓練場としても使われる平地に、ヴァルクは一人立っている。
風は弱い。
だが、その場だけは妙に重い。
地面の奥から、黒い“揺れ”のようなものが滲み出していた。
形を持たないはずのそれは、呼吸するように広がっている。
ヴァルクはそれを見ていた。
動かない。
構えもしない。
ただ、“そこにあるもの”として見ている。
やがて黒い揺れは形を変え、刃のように伸びる。
空間そのものをなぞるように、彼へ向かってくる。
ヴァルクは半歩だけ横へずれた。
それだけで軌道は外れる。
次の瞬間、影が重なるように襲いかかる。
逃げ場を潰す動き。
だがヴァルクは初めて剣を動かした。
振り抜くのではない。
ただ一度、そこに線を引く。
触れた瞬間、黒い揺れは歪み、消える。
斬ったというより、“そこにいられなくなった”ように。
追撃はない。
踏み込みもない。
ただ処理が終わる。
やがて黒い気配は引いていく。
完全には消えない。
ただ沈む。
静けさが戻る。
風の音が戻る。
ヴァルクは剣を下ろした。
「……終わりか」
短く呟く。
誰にも向けない。
剣を収める。
迷いはない。
そして一瞬だけ、視線を落とす。
そこには何もない。
だが確かに“痕跡”だけが残っている。
ヴァルクは小さく息を吐いた。
「使う必要はない」
それだけだった。
風が強くなる。
空は変わらない。
ヴァルクは背を向けて歩き出した。
振らない刃を持ったまま。




