第52話「揃わない日常」
レイの店は、静かだった。
いつも通りのはずだった。
皿が並び、椅子があり、人がいる。
会話もある。
笑い声もある。
それなのに、どこかだけが噛み合っていない。
レイはカウンターの中に立っていた。
手は自然に動く。
注文も、配膳も、問題なく流れている。
(問題はない)
そう判断できる程度には、店は正常だった。
だが。
コップの位置が、さっきと違う。
ほんの数センチ。
誰かが動かした形跡はない。
見間違いでもない。
それでも、その差は“記憶に残らない”。
レイは一度、コップを戻した。
次の瞬間には、またずれている。
今度は逆側に。
「……は?」
小さく声が漏れる。
だが客は誰も気にしていない。
気づいていないのではない。
気にするという行為自体が成立していないようだった。
レイは皿を拭く。
その動作は正しい。
手順も間違っていない。
なのに、布が通った場所だけがわずかに“遅れて綺麗になる”。
(いや、違う)
(遅れているんじゃない)
結果が、後から追いついてくる。
レイは息を吐く。
視線を上げる。
店内は変わらない。
変わらないのに、確かに変わっている。
「位置が……合ってない」
呟いてから、自分の言葉に違和感を覚える。
“位置”という概念が、少しだけ薄い。
扉が開く。
カラン、と音が鳴る。
その音は、ほんの一瞬だけ遅れて響いた。
客は普通に入ってくる。
普通に席に座る。
普通にメニューを見る。
ただ、その一連の動きの“順番”が、ほんの少しだけ前後している。
レイは目を細める。
(ズレてる)
(でも、ズレてることを説明できない)
皿を持つ。
その瞬間、皿が「持たれる前の位置」に一瞬戻る。
すぐに現実が追いつく。
「……なんだこれ」
声は出る。
だがその言葉の意味は、少しだけ遅れて成立する。
レイはカウンターに手を置く。
その感触は確かにある。
だが“あることの確信”が、わずかに薄い。
(航の時と同じか?)
そう思いかけて、すぐに思考が途切れる。
“思考の続き”がつながらない。
店は動いている。
問題なく。
それなのに。
すべてが、ほんの少しだけ「揃わない」。
レイは静かに息を吐いた。
「……気持ち悪いな、これ」
その言葉だけが、店の中で少しだけ遅れて残った。
そしてすぐに、何事もなかったように消えていく。




