表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名も無き戦場  作者: 六花
揺らぎ
PR
35/76

第三十四話「反転する前提」

航は机の前に立っていた。


依頼書は閉じられている。


だが、それが「終わった」という感覚はない。


むしろ逆だった。


閉じたはずのものが、まだ開いたままのような違和感だけが残っている。


航はゆっくりと息を吐く。


(まだ、続いている)


その認識に確信はない。


だが否定もできなかった。


机に手を置く。


その瞬間、指先の感覚がわずかに遅れる。


世界が、ほんの一拍だけ追いついていない。


「……ずれてる」


言葉は確認だった。


驚きはもうない。


依頼書の存在そのものが、わずかに揺れる。


だが次の瞬間には、何事もなかったかのように整っている。


揺れたという事実だけが、残らない形で残る。


航は視線を落とす。


そのとき、机の上に“本来あるはずのないもの”が成立していることに気づく。


一枚の紙。


最初からそこにあったわけではない。


だが今は、そこに“当然のように存在している”。


(……見落としていた?)


そう考えかけて、すぐに否定する。


見落としではない。


気づかなかったのでもない。


“今そこに成立した”としか言いようがない。


航はその紙を手に取る。


依頼書だった。


討伐依頼、薬草採取、護衛任務。


いつも通りの形式。


だがその中に、一行だけ異質な文字がある。


「未観測領域の確認依頼」


航の手が止まる。


「……何だ、これは」


依頼書として成立していない。


ギルドの規格にも合わない。


発行元の印もない。


誰が出したのかも分からない。


それでも紙は“本物”だった。


偽造の痕跡も、異常な加工もない。


ただそこに、当然のように存在している。


航は周囲を見渡す。


誰もいない。


風もない。


音も、過剰な静寂もない。


ただ、空間だけがわずかに“整いすぎている”。


(誰かが知っている)


そう思った瞬間、航は違和感を覚える。


知っている、ではない。


もう少し正確には――


(知っている“ように揃えられている”)


航は紙を握りしめる。


その瞬間、机の上の空間がわずかに沈む。


重さではない。


圧力でもない。


“認識の密度”が変わったような感覚。


窓の外で風が止まる。


完全に、一拍だけ。


世界から音が抜ける。


そして次の瞬間。


風が“遅れて戻る”。


航は窓を見る。


そこにはいつも通りの町がある。


人が歩き、光が差し、時間は進んでいる。


だがそのすべてが、ほんのわずかに“揃い直された後”のように見えた。


(今のは……)


言葉になりかけて、止まる。


航はすぐに別の結論へ移る。


これは異常ではない。


異物でもない。


むしろ――


(正常化の動作に近い)


世界がズレを許していない。


だから常に補正される。


その補正の“痕跡”だけが、人の認識に触れている。


航は静かに息を吐く。


「……誤差じゃないな」


その言葉に呼応するように、紙が一度だけ軽く揺れた。


否定ではない。


肯定でもない。


ただ“整っている状態に戻る”動き。


航は目を閉じる。


(観測ではない)


(維持でもない)


(正常化だ)


世界は見ているのではない。


干渉しているのでもない。


ただ、崩れないように揃え続けている。


航は紙を机に戻す。


その瞬間、依頼書は一枚に戻る。


最初からそれだけだったかのように。


だが航は気づいている。


今のそれは“消えた”のではない。


(選ばれなかった状態が消えている)


航は窓の外を見る。


風は吹いている。


今度はもう遅れていない。


だがそれが正常かどうかは、もう判断できない。


航は静かに呟く。


「……まだ上があるな」


返事はない。


だが世界は、ほんのわずかに静かになった気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ