『君に好きだと言えたなら君は死なずに済んだのに』
「……君に好きだと言えたなら、君は死なずに済んだのに」
そこへ、喪服の女が鼻をすすりながらそう言った。
部屋の空気は静まり返っていた。
しんとしている、というより、誰もがこう思っていたはずだ。
ここで最初に何か言ったら、その後ずっと会話を回す役になる。
その沈黙に、喪服の女はもう一発、爆弾を投下した。
「本当に、言えなかったの。好きだって」
「なんだって?」
親友が言った。
「いや、聞こえなかったんじゃない。聞こえたから聞き返したんだ」
親友が、喪服の女をガン見した。親友の真横には、死んだ男の元カノが座っていた。
この距離でその台詞を聞かされるのは、普通に罰ゲームのようだった。
「でもさ」
元カノは、意外と落ち着いた声で言った。
「“言えたなら死ななかった”って、おかしくない?」
親友は、自分の前を通って喪服の女へ投げられた言葉に固まった。
「おかしいって何が?」
「だって、条件が成立してるのに、結果が起きてないじゃん」
「へっ? 急に数学みたいなこと言うなよ、苦手なの知ってるだろ」
「だってそうじゃない? ”言えたなら”ってことは、言えなかったのが原因で死んだ、ってことになるんじゃないの」
「んで?」
親友は元カノの話についていけてないようだった。
「つまり、これは恋愛の話じゃないって可能性があるってこと」
親友が、ゆっくりと元カノを見る。
「……今それ言う?」
「今だから言うの」
「いや、タイミングってあるだろ」
「あるわね、今」
「マジか」
親友はそう言ったきり、いつものように歯切れよくツッコミきれなかった。
元カノの言い方は冷静すぎて、否定する根拠も、ツッコむ隙さえなかった。
その横で、妹が小さく手を挙げた。
「あの……」
誰も止めなかったので、そのまま続ける。
「とりあえず、お茶、冷めちゃいますよ」
「今それ言う?」
親友が振り向く。妹はちょっとむくれて言い返す。
「ずっとこんな空気だと、多分誰か倒れちゃうよ」
「まあ、それはそうだな」
「それに、お兄ちゃん、熱いお茶好きだったし」
一瞬だけ、部屋の空気が和らいだ。
その瞬間に、喪服の女が小さく息を吸った。
「だから……」
また来るな、と全員が思った。
「彼は、言えなかったの。”好き“って」
「さっき聞いた!」
親友が反射的に言い返した。それはさっきツッコミ損ねた反動のようでもあった。
「でも、それは簡単な意味じゃないの」
「どういうことですか」
その声は、今まで黙っていた場所から来た。全員がそちらを見る。
部屋の隅に立っていた男は、全員が座っていた長机へやってくると親友の前に座った。
「”好き“の定義を確認させてください」
「来たな……定義だの定理だの、俺は嫌いなんだ」
手帳を開いたままの男へ向かって、親友が小さく呟いた。
「私、刑事です」
男はあっさり名乗った。
「今の発言は、ツッコミとしてではなく証言として扱います」
「やめてくれ」
親友が頭を抱える。
「弔いの席を取調室にするな」
「人が死んでいます」
刑事は真顔だった。
「人が死んでるからする話です」
「便利だな、その言葉!」
「便利なだけで、オチがないわ」
しれっと返す元カノの方を、親友はマジマジと見返した。
「おまえ、そんなキャラだったっけ……」
「そりゃ、元カレが死ねば、これくらいには変わるわよ」
「変わり方がおかしい。なんでそんなにロジカルになるんだよ」
刑事が手帳に何かを書き込んでいる。
「”変わり方がロジカルすぎる“──記録しました」
「AIかよ、やめてくれ!」
ツッコミは忘れなかったが、親友が続けて即座に叫ぶ。
「それ絶対あとで変な文脈つけて使われるやつだろ!」
「発言はすべて文脈の中で扱います。その前にあなたの日本語はおかしいです」
「悪かったな! その文脈とやらをおまえが作るんだろうが!」
刑事は顔を上げると真顔でこう言った。
「では、後々揉めないように、文脈を整理します」
「出たよ……」
親友が天井を仰ぐ。
「まず主語です」
「国語の授業が始まったぞ」
「国語でよかったじゃん」
元カノが、バカにしたようにツッコんでくる。その顔にムッとする親友に、妹がまあまあとお茶のおかわりを勧める。
「”君に好きだと言えたなら“の主語は誰ですか」
「私、いただきます」
「”私“と」
喪服の女は手を伸ばすと、妹からお茶をいただいて飲んだ。
元カノは刑事の方を見ると、ちょっと待ってとばかりに手を伸ばした。
「彼、じゃないですか?」
「被害者ですね」
刑事は頷きながら修正する。
「次に目的語。”君“は誰ですか」
沈黙が流れる。親友の視線も元カノに流れる。元カノは視線をガッツリ受け止めた。
妹が、そっと湯呑みを持ち上げた。
「……お茶、飲みます?」
「今そこじゃない!」
「いまちゃいまんねん、そうでんねん」
刑事がツッコんできた。それはいくらなんでも古すぎる。
「飲むか飲まないかで、発言のタイミングが変わります」
「何ですか、その条件分岐?」
「重要です」
刑事は平然としている。というより、無視に近い。スベったとでも思っているのだろうか。
「次に補語です」
「出たよ、英語か!SVCO!おうべ……」
「よくわかりましたね。”いまちゃいまんねん、そうでんねん“はまさしくSVCOの並びなんです」
「はあ?」
わけのわからない刑事の独り言だか説明だかに、親友はイラついた。
「あの……質問いいですか」
妹がおずおずと、刑事に向かって手を挙げた。
「はい。どうぞ」
「保護って何ですか?」
「”好き“の内容を特定します」
「保護がどうしたんですか?」
妹が首を傾げた。
「それは児童相談所の話になるからやめろ!」
親友が即座に拾って返す。刑事は気にせず続けた。妹はわけがわからないまま、話が進んでいく。
「”好き“は恋愛感情とは限りません」
「さっきもそれ言ってたな」
「はい。むしろ、この場合は別の意味の可能性が高い」
元カノが、またしてもゆっくりと頷いた。
「たとえば、何だと思います?」
「合図です」
部屋の空気が、ほんの少しだけ冷えた。
「合図?」
親友が繰り返す。喪服の女が、気づかれないように少しだけうつむく。
刑事は、長机の上を指先で示した。
「被害者は、死ぬ直前までこの場にあったものを気にしていたと聞いています」
視線が一斉に集まる。
銀色のミントケース。
「開いては閉じ、閉じては開く」
「落ち着かないな」
「人間は大事なことほど、同じ動作を繰り返します」
「その名言ぽいやつ、今日は全部嫌だな」
親友がうめいた。
刑事はミントケースを手に取った。
「中に何が入っていたか、覚えている人は?」
一瞬の沈黙のあと、喪服の女は自分を見つめる刑事の視線に耐えられずうつむいた。
そのとき、いつのまにか長机の端に座っていた地味な男が、湯呑みに手を伸ばした。
「……紙、でしたよね」
全員が男を見る。
「あんた、誰?」
親友が聞いた。ただ聞くのではなく、ツッコめばよかったと気づく。
「会社の経理の者です」
男は小さく頭を下げた。
「なんで今まで黙ってたんですか」
元カノが不信感満載でツッコむ。それは俺の役だと言わんばかりに、親友が横を向く。
「会話に入るタイミングを……」
「それで」
「それで」
刑事と親友は声がダブった。
親友はツッコミネタより、刑事の質問を優先させ黙った。刑事は一瞥し質問を続けた。
「どんな?」
「……紙です」
「それじゃ何もわかんねえよ!」
「小さい紙です」
「サイズの話じゃない!」
親友が叫ぶ。今度こそツッコめたが、反応がイマイチだ。元カノが、半ば呆れながら男のほうを見る。
「なんで知ってるんです?」
「被害者が見せてきたので」
「見せてきたの? いつ?」
男は少し詰まった。元カノと刑事が同時に踏み込もうとした矢先、喪服の女が今までよりもハッキリと大きな声で言った。
「……その人に言うはずじゃ、なかったのに」
「げっ! また爆弾かよ」
親友は思わず本音が漏れた。元カノはひじで親友をドツいた。
「ドツき漫才でも?」
刑事は真顔で言った。まだ笑ってくれたほうがマシである。
「いえ、いつものことです。おかまいなく」
刑事はそのまま視線を男に向けて聞いた。
「それで、その小さい紙はどんな?」
「それ以上のことは……」
男は首を横に振った。元カノは男を見つめながら静かに言った。
「名前、じゃないの?」
「名前?」
親友が繰り返す。元カノは、今度は刑事と喪服の女を交互に見ながら言った。
「誰かに渡すための」
刑事の目が細くなる。
「つまり、”好きです“と言うことで、その人物に何かを見せようとしていた可能性がある」
親友がツッコミもせず固まった。
「……急に事件っぽくなってきたな」
「最初から事件です」
刑事は即答した。
「あなたたちが恋愛の話にしていただけです」
「誰も恋愛の話になんかしてないわよ、ねえ?」
元カノの強い口調に、全員頷かざるを得なかった。刑事まで頷いていた。
そして気がつけばまた二人、会社の同僚だという人物が増えていた。
「では確認します」
刑事は手帳をめくった。
「被害者とあなたは、以前交際していた」
「はい」
元カノは即答した。その横で、親友がボソッと「即答かーい」とツッコんだ。
「別れた理由は?」
「それって、今必要ですか」
「恋愛の話ではありません。人間関係の確認です」
「また確認かよ。便利だな、その言葉!」
親友がボヤいた。刑事は、真正面に座っている親友を見据えた。
「あなたは、今なぜ叫びましたか」
「ツッコミだよ! あ、いや、ボヤキか?」
「動揺ではなく?」
「同様だと? やめろ!」
妹の指が、湯呑みの縁で止まった。
刑事はそれを見逃さなかった。
「妹さん」
「はい?」
「今、何か言いかけましたね」
「言ってません」
「言わないことも証言です」
「もう何でもありじゃねえか!」
親友が頭を抱えた。もうどうツッコんできたのかわからない。
喪服の女が、また小さく鼻をすすった。
「でも……彼は、本当に言えなかったんです」
「だから何を!」
親友が反射的に言う。それはツッコミではなく、本心だった。
喪服の女は、ミントケースを指差した。
「好きだって言えば、渡せたはずなのに」
「渡す?」
元カノの声が低くなる。おまけに目つきも鋭くなる。
「誰に」
「それを言ったら」
喪服の女は親友を見て、それから元カノを見た。
刑事も同じように視線を辿る。
「誰かが、また疑われる」
部屋が止まった。
親友が、半身のけぞった。
「……なんで今、俺を見たんだ?」
今度は、親友の声が少しだけ低くなった。
喪服の女は、すぐには答えなかった。代わりに、刑事が口を開く。
「あなたは、被害者と親しい関係にあった」
「まあな。それがどうした」
「そして、元恋人の方とも」
親友の視線が一瞬だけ揺れた。妹が、ギュッと湯呑みを握った。
「……別に俺たち」
「動機の話です」
「やめろって言ってんだろ!」
「違います! 動悸なんか……」
妹が思わず声を上げた。
全員の視線が妹に集まる。妹は片手で胸をつかむ。心臓の鼓動は隣に座る親友にも届きそうだ。
「動悸はあります。でも、言わないと! 待ってください」
「動機はある。では、待ちましょう」
妹は深呼吸をして、気持ちを落ち着かせているようだった。
刑事は手帳に書き込む準備をして待ち構えていた。
「お兄ちゃんと、その人は……ちゃんと終わってたの!」
「終わってた?」
刑事が聞き返す。妹は一瞬言葉に詰まった。
妹は親友が元カノを好きだったことを知っていた。
「……だから、そういうことでもめる理由なんてないの!」
「けどさ」
元カノは静かに言う、というより問い詰めた。
「”渡すはずだった“って言ったわよねえ」
今度は全員が、喪服の女を見る。
「それって、誰に?」
今度こそは聞き出そうと、元カノの声に圧がかかる。
喪服の女はうつむき、目を伏せたまままた小さな声に戻った。
「……だから、好きだって。言えば渡せたの」
「だからっ! 誰にって聞いてるじゃん!」
声をワントーン上げる元カノを制し、刑事が即座に切る。
「違いますね。これは恋愛ではありません」
「またそれかよ」
親友が言う。
刑事はミントケースを軽く振った。
「もうネタ切れですか」
「どういう意味だよ」
「何でもありません」
「中のメモのことかよ。んなもん、入ってなかったぜ」
「はい。つまり誰かが回収しているということです」
「それが犯人?」
元カノがいち早く刑事に聞く。
「その可能性が高い、というだけです」
思わずツッコミ入れようとした瞬間、親友は元カノに睨まれてやめた。
刑事はそのまま続けていく。
「そして被害者は、それを渡すために”好きです“と言おうとしていた」
「……合図か」
元カノが呟く。
「そして、あなたは知っていた」
刑事が喪服の女に向かって言う。元カノも女を目で追う。
「”好き“の意味を」
沈黙が落ちた。喪服の女は口を閉ざしたが、顔はそのまま上げたままだった。
「……ええ」
「なぜ最初から言わなかった」
女はゆっくりあたりを見渡した。
「だって、犯人がまだここにいるかもしれないから」
全員が止まる。いつのまにか、長机にはまた会社関係者が増えていた。
女と同じように見渡した親友が「うっ……」となる。
「増え方がホラーなんだよ」
「どなたですか」
刑事が聞く。
「総務です」
「営業です」
「会社って、こういう時まとまってくるものなの?」
元カノがわいて出た人たちの様子をうかがう。親友も元カノに小声で言う。
「いやあ、来ないと思う」
「……よね」
刑事は三人それぞれを見渡す。
「では、確認します。あなた方は”好きです“という言葉の意味を知っていますか」
親友は今まで同様ツッコミたかったが、増えた人数をさばくのに大わらわの刑事相手にツッコんだところで、スルーされるのは目に見えているのでやめた。
ただのツッコミたがりと違い空気は読むようだ。
総務の女は目を伏せた。
営業の男は口元を引き締めた。
経理の男だけが、湯呑みを両手で包んだまま言った。
「……社内では、そういう言い回しがありました」
「えっ? 何その会社、キモッ!」
親友が叫んだ。ここはツッコミどころ満載なんだが。つい地の声がついて出る。
「風通しは悪かったです」
経理の男が申し訳なさそうに言った。
「いや、そこじゃない!」
「具体的には」
刑事は無視して続ける。経理の男に発言を促した。
「”好きです“と言われたら、資料を確認しろ、という意味でした。表で言えないものを」
元カノが男を見ながら、眉を寄せる。声が沈む。
「内部告発ってこと?」
総務の女が小さく息をのんだ。
営業の男が、すぐに言った。
「そこまでは知らない」
「リターン、早いな」
親友がツッコんだ。元カノはそれに反応する。
「否定が早い人間は、たいてい知ってる。違う?」
「おまえ、ほんとマジ、今日どうしたんだよ」
刑事はミントケースを見た。
「つまり被害者は、このケースの中に、誰かに見せるべき名前を入れていた」
「名前?」
会社の同僚たちから同じように返ってくる。
「何? 俺、間違えてる?」
すかさず元カノが助け舟を出す。
「告発先、あるいは告発相手とか」
喪服の女が、そこで小さく言った。
「違うの」
全員が彼女を見る。それはいい間違えがないよう監視する目だった。
「名前じゃない。部署名だった」
「部署名だったか?」
「ああ、たしかに。“好き”と言う相手を間違えないために、部署名だった」
刑事の目がだんだんと細くなっていく。手帳に書き込むスピードが上がるたび、同じように目が細くなる。
「あなたは中身を見たんですね」
「見ていません」
「では、なぜ部署名だと?」
喪服の女は黙った。
妹がぽつりと言った。
「お兄ちゃん、よく言ってました」
全員が妹を見る。大勢の視線が一気に集まったことに、少し怯えて口ごもりながら続けた。
「大切なのは”人じゃなくて、場所を見る“ことだって」
親友が振り返って顔をしかめた。
「場所?」
「場所、ですか」
刑事が手帳を閉じた。真正面に座る親友は、それを見逃さなかった。
「では、もう一つ確認します」
刑事は経理の男を見た。
「あなたはさっき、”被害者が見せてきた“と言いました」
「はい」
「けれど今の話では、被害者はまだ誰にも渡せていない」
経理の男の指が、湯呑みの縁で止まった。
親友が「あれっ?」と小さく言う。
刑事は続けた。ここがいわゆるドラマの山場だ。
「あなたは、見せられたのではありませんね」
キリッと決め台詞がツッコんでくる。
経理の男は答えなかった。
「あなたは、見たんです。彼が死んだあとに」
部屋の空気が凍った。
元カノがミントケースを見つめながら低く言う。
「ミントケースを開けた」
刑事は頷いた。
「そしてメモを抜いた」
経理の男は、初めて顔を上げた。
「……証拠は」
「あります」
刑事はイケボイスで即答した。どこかの誰かを彷彿とさせる。
「あなたはさっき、中身を”小さい紙“と言った」
「それが何か?」
「紙が小さいことは、外からはわかりません」
親友が息をのむ。
刑事はミントケースを持ち上げた。
「このケースは空でした。今ここで初めて開けた人間なら、“何かが入っていた”とは言えても、“小さい紙”とは言えない」
「でも、喪服の女……女性も」
親友が言いかける。
喪服の女が嫌そうな顔をして、静かに首を振った。
「私は、直接彼から聴いただけ。中身は見てないんです」
経理の男の顔から、色が抜けていく。彼のまわりは会社関係者が詰めていた。
刑事は言った。
「あなたは、死んだ彼の手からこれを取った。そして中のメモを回収した」
「違う」
「ではなぜ知っていたんです。“小さい紙”だと」
沈黙が転がる。親友は、もうツッコミどころではなかった。
経理の男は、湯呑みを置いた。
「……彼が悪いんです」
「出た」
親友が思わず言ってしまった。
「犯人が言いがちなやつ」
「黙れ」
元カノがすかさず口を挟む。睨む目つきの悪さに、親友はすぐさま口を閉じる。
経理の男は、元カノに睨まれて言葉を続けた。
「彼は言おうとしていた。“好きです”って。総務に」
総務の女が目を見開く。
「私に?」
「あなたに渡せば、全部終わる。そう言っていた」
刑事が男に問う。
「だから止めた」
「階段でもみ合っただけです」
「もみ合っただけでも人は死にます」
親友が顔をしかめる。刑事の訳知り顔が鼻につく。
「それって名言のつもりか? だったらマジでムカツくんだけど」
経理の男はうつむいた。
「軽く押しただけだった……」
元カノの刺すような視線に最後まで言い切ることができない。
「軽さの問題!?」
元カノは長机を思い切り叩いた。
刑事は立ち上がった。
「あなたを、殺人の容疑で署まで連行させてもらいます」
男が連れていかれたあと、部屋には妙な静けさが残った。
喪服の女は、もう一度ミントケースを見た。
「君に好きだと言えたなら、君は死なずに済んだのに」
今度は、誰も恋の話だとは思わなかった。
親友が大きなため息を漏らす。
「最初の一言、意味が全部変わったな」
刑事は振り返らずに言った。
「主語と目的語が確定しましたから」
「まだ、それかよ」
妹が、小さく笑った。それから、少しだけ寂しそうに言った。
「でも、お兄ちゃんが本当に好きだったのは、誰か一人じゃなかったと思います」
「じゃあ、誰が好きだったんだよ」
妹は湯呑みを両手で包んだ。
「ちゃんと前向いて生きられる人」
誰も、すぐにはツッコまなかった。
刑事だけが、静かに言った。
「そういう“好き”が、一番厄介なんです」
「ここに来て、エモいこと言うなよ。親の総取りか!」
親友がようやくツッコミを見せた。
その時だった。ミントケースを裏返していた元カノが、眉を寄せた。
「……待って」
「どうした?」
「蓋の裏に、字がある」
全員がミントケースを持つ手元をのぞきこむ。
元カノは読み上げた。
「“君はミントより辛いものが好きだろ”」
沈黙。
元カノは、ミントケースの蓋の裏を見つめながら、ふっと鼻で笑った。
「結局、誰宛てだよ!」
親友が顔を上げて叫んだ。
刑事は真顔で言った。
「補語が足りませんね」
「またそこかよ!」
ツッコむ親友をよそ目に、元カノはこっそり嬉しそうにミントケースを握りしめた。
元カノは誰にともなく言った。
「こういう人だったよね」
「何がだよ」
元カノは、まだ少し笑っていた。
「どうでもいいこと、やたら覚えててさ」
「それが?」
「で、そういうの忘れないまま死ぬのよ」
「最悪だな」
「そいつの親友やってたの誰よ」
「おまえだって元カノだろ」
元カノは、ミントケースを閉じた。
「まあね、でも」
少しだけ声が明るくほぐれる。
「嫌いじゃなかったよ」
妹が、そっと言う。
「なんか、お兄ちゃんらしいね」
親友が今度こそ本当のため息をつく。
「でさ、結局さ」
「うん? 何よ?」
「誰に言うつもりだったんだよ、それ」
元カノは肩をすくめる。
「さあ?」
「知らねえのかよ」
少し間をおいてまた笑う。
「知らない。でも、多分──」
ちょっとだけ、親友のほうを見る。
「どうでもいい相手じゃない?」
親友はそれ以上何も言えなかった。
刑事がぽつりと言う。
「補語は出ましたが、主語は迷子ですね。まあ、事件じゃなければそれも味です」
「最後までそれかよ!」
タイトルはくがろろろさんからいただきました。




