ep.44 "解呪と解放"
ルナの話を頭の中で整理しようとした瞬間
別の断片がまた噛みついてくる。
異形の正体
人間と異形の境界に立つ異形人間という存在
そして、国ではない何かの暗躍…
謎が解けるどころか増えていく
理解したいのに、理解するほど胸の奥が重くなる。
やがて僕らの思考は同じ場所へ辿り着く
異形は元は人間
じゃあ、僕らが今まで倒してきたのは…
言葉にした瞬間何かが崩れてしまいそうで
誰も声にできない。
アスノは表情を固めたまま宙に視線を置いた
ロジェロは唇を噛む。
僕は自分の手を見た
剣でも拳でもない、ただの手
それが急に…ひどく汚れて見えた。
沈黙を破ったのはモニカだった
彼女は小さく、だがはっきりと言う。
「…安心して」
視線を逸らさない。
「元は人であっても…異形は異形
殺らなきゃ、殺られる…あなたたちに非はない」
優しい言い方をしているのに、救いはない
突きつけられたのは…現実だった。
…そう思うしかない。
そう言い聞かせても胸の棘は抜けない
きっとこれから、異形を斬るたびに思い出す
元は人間だったのかと
そのたびに腕は重くなり足が止まりかけるだろう。
それでも止まれない
異形の正体が何であれ
目の前のそれは今この瞬間に僕らを殺しに来る
戦わなければ誰かが死ぬ
僕らが止まった分だけ…世界は簡単に血に染まる。
…戦うしかない
そう腹の底で覚悟を固めたその直後だった
ルナが、雑談の続きを始めるように言う。
「さて…話はここまで
次は、君たちの生体情報を調べる時間だね」
一気に現実へ引き戻された
衝撃で忘れかけていたが
僕らはそれを条件にここへ入った
契約という名の首輪、逃げ道はない。
アスノが小声で囁く
(…どうする?)
ロジェロがさらに小さな声で返す
低い声で、冷静。
(おそらくアーヴェス兄様は
シルの不死を既に伝えている
今さら隠しても意味はないだろう…仕方がない)
僕は頷いた
逃げたい気持ちは当然ある
だが逃げる理由がない、逃げても無駄だ
ここで拒めば確保へ切り替わり
その瞬間僕らは標本になる。
僕は息を整えた。
「…わかった、受ける」
そう言った瞬間、空気がわずかに変わった
ルナの瞳が研究者の光をさらに濃くする。
~~~~~~~~~~
順番はアスノとロジェロが先だ
ルナの部屋には
見張り役のようにヴィアラが居座っている
逃げ道を塞ぐための置き石。
二人は順番にモニカに連れられて検査の部屋へ向かい
しばらくして戻ってきた
僕はその顔色をうかがい、小声で聞く。
「…どうだった?」
「拍子抜けだァ、怖いほど普通」
ロジェロも頷いた
警戒は解けていないが
少なくとも拷問の類はない…そんな空気だ。
「血を少し採られて、皮膚もごく小さく
握力、体重、脈拍…あとは簡単な反応検査だ」
「…それだけ?」
思っていたほど深いことはされない
拍子抜けするほど普通…
深く調べられるのは怖い
だがあっさり終わると終わるで落ち着かない
安心のはずなのに
結局、変な緊張だけが抜けなかった。
「次…不死身くん…」
モニカにそう呼ばれる
簡単な検査のはずなのに妙に緊張する
僕は息を整えようとして
整わないまま立ち上がった。
ルナの部屋を出て少し先までモニカに連行される
案内された先に厚い扉があった
重く、冷たく、音を吸い込む板みたいな扉。
取っ手に触れると
ひやっとした冷気が指先に伝わる
押すと扉はゆっくり開いた。
無音がそこにあった
静か…音が存在しないようだった。
廊下は短い
数歩で突き当たりなのにやけに遠く感じる
磨かれた石壁が光を返し足音だけが響く
響いた分だけ自分の存在が浮き彫りになる。
足音がやけに軽い
すぐ下が空洞みたいで、嫌な想像がよぎった
逃げた実験体のための罠が
この通路に仕込まれていてもおかしくない。
廊下の先にもう一枚同じように厚い扉
僕は息を飲みもう一度取っ手に触れる。
開けると中はいかにもな研究室だった
たいまつの薄い灯り、薬品の匂い、並ぶ器具。
その中央にルナが立っていた
手袋をした手には
注射器、細い刃の採取用の器具
命を部品として扱うための道具が
当たり前のように揃っていた。
「さ、服脱いで」
「…え」
唐突すぎて僕は一瞬固まった
ルナは悪びれもせずいつもの調子で付け足す。
「…全部じゃないよ、下着は着たままでいい」
「あ…ですよね」
言われた通り上着を脱ぐ
検査室の冷たい空気が肌を撫で、鳥肌が立った。
診察台も冷えていた
背中を預けた途端、体温だけが奪われていく
僕は仰向けになり
壁際の松明の赤い火の揺れを見つめる。
(大丈夫だ、殺されるわけじゃない
何かされても…僕は不死だ)
頭では確かにそう思える
なのに。
ルナが器具台から注射器を取り上げた瞬間
一拍ごとに速さが増していくみたいに胸が暴れる
呼吸が勝手に浅くなり、喉が乾き、汗がにじむ
指先が震えた。
なんだこれ…
怖い…?いや、怖くない…怖くないはずなのに
身体が「危険だ」と叫んでいる
夜叉の能力…?
何かを察知したのだろうか…
息が乱れ、背中が診察台に貼りついたままになる
落ち着けと命令しても、身体が聞かない。
その異常に気付いたのだろう
ルナの目が一瞬だけ揺れ
次の瞬間には落ち着いた手つきで僕の頭を撫でた
髪に指を通すみたいな触れ方
ただなだめる手つき。
…それだけで呼吸が少し戻る
胸の暴れ方が緩み、僕は遅れてようやく息を吸った。
「…怖いの?」
ルナが覗き込む。
「…いや…わからない」
言いながら自分でも混乱していた
理由がない、なのに身体だけが反応している。
(昔も…同じことがあった気がする)
ぼんやりと古い記憶の影が浮かぶ
村の学校だろうか、身体検査のとき
その時の僕は不死でも何でもなくて
自分に向けられた冷たい注射器が、ただ怖かった。
ルナは納得したように頷く
注射器を松明の火にかざし、針先をちらっと見せる。
「痛いのが怖いんじゃなくて
体が記憶を思い出しているんだね…」
「今の君が怖いと思ってるかは関係ない
一度でも似た状況があると
思い出せなくても同じスイッチが入る」
「本人は忘れてても体は覚えてる
…人間って厄介で、面白いよね」
そう言いながら
ルナは自然に、僕の腕へ注射器を当てていた。
チクリとも感じない
刺された痛みがない
僕は遅れて気付く。
「…え、いま刺してるんですか…?」
ルナは目を細め、悪戯っぽく笑った。
「うん、そんな時間かけてられないし
手っ取り早く終わらせたいもん」
血が細い管を通って抜かれていく
なのに本当に痛みがない
代わりに、頭の中がすっと軽くなる
眠気に似た浮遊感。
(…注射を打つの、慣れてるな…)
その事実は、針より怖かった。
そこから先は二人の言っていた通りだった
皮膚の採取はごく小さく、測定も簡単に進む
体重、握力、脈拍
反射の確認、瞳孔、皮膚の温度…簡単な質問。
やがてルナは手袋を外し記録紙に何かを書き込む。
「はい、終わり。服着ていいよ」
僕は脱いだ服を手に取り急いで袖を通した
肌を隠すと、ようやく自分が戻ってきた気がする。
扉へ向かう僕の背中に向かってルナが言った。
「最後は、あの白髪の子…呼んできて」
僕は返事ができないまま、扉を押し開けた。
~~~~~~~~~~
モニカへ連れられ部屋へ戻ると
アスノとロジェロがいて
壁際にはヴィアラが立っている
そして白髪の少年もいつもの顔でそこにいた。
「…最後は、君だ」
僕がそう言うと
少年は子どもみたいに穏やかに笑って頷く。
「わかった」
モニカが無言で促し、少年は検査室へ向かう
ギッ…と鈍い音をたてながら扉が開く
少年は振り返りもしないまま廊下へ出て
迷いなく歩いていった。
僕ら四人はそれを見届けた
姿が消えた瞬間、部屋の空気がわずかに動き出す。
ロジェロが低い声で問う。
「…怪しいことはされていないか」
アスノも同じ目で僕を覗き込む。
「変な薬とか打たれてねェだろうなァ?」
「うん、二人の言ってた通りだよ
血を抜いて、皮膚を少し取って…
あとは数値を測ったくらい」
そう言いながら、僕は注射器を刺された腕を見る
痛みも跡もない…
さっきの動悸だけが胸の奥に居座っている。
「あんだけの検査で、何が分かるんだろうなァ」
…わからない
あんなもので、僕らの身体が掴めるとは思えない。
そう思ったその時
背後の扉が、また開いた。
ギッ…
振り向くと、ルナが立っていた
その脇にモニカもいる
二人とも…
白髪の少年の検査をしている途中ではないのか?
白衣の擦れる音がやけに大きく聞こえた
ルナは僕らの顔を順に見て口を開いた。
「…白髪くんはどこだ?」
「「「「…!?」」」」
僕らの反応が綺麗に揃った
目が開き、呼吸が止まる
同じ衝撃を同時に殴り込まれたみたいに。
ロジェロの声が一段低くなる。
「…何を言っている」
ルナは続けた。
「検査室に…誰も来ていないんだ」
「…は?」
アスノが口を開けたまま固まる。
それも当然だ
確かに彼は扉を開け、そこへ向かっていった
その背中を…僕らは間違いなく見た
見届けて、見送った
同行したモニカも間違いなく
検査室の前まで見送ったと言う。
(…僕は馬鹿だ)
喉の奥で言葉にならない声が潰れる
(あいつを…白髪の少年を
少しの時間でも単独にするべきじゃなかった…!)
気付いた時には身体が動いていた
僕は廊下へ飛び出し
さっき少年が通ったはずの道を駆けた。
静かだ
静かすぎる。
薬品の匂いが薄く漂っている
足音だけが反響し他の気配が一切ない
まるで僕の焦りだけが
音になって浮いているみたいだった。
検査室の扉に手を掛け、力任せに開ける
中はからっぽだった。
シン…と音が吸い込まれる
誰もいない
器具台も椅子もさっき見たまま整然としている。
…いない。
冷気が肌を撫で背筋がひやりとする
その瞬間、さっき抑え込んだはずの反応が蘇った
鼓動が跳ね上がる、胸が暴れ呼吸が浅くなる
汗が額から垂れ、手のひらが湿る。
まさか…さっきの動悸は、この予感だったのか…?
(落ち着け…落ち着け)
僕は必死に息を吸う
ここで崩れたら、余計に判断を誤る。
(…頼む。何もなく、ただ消えただけであってくれ…!)
…願いは虚しく
廊下の奥から階段を駆け下りてくる足音
白衣がはためく音が響く。
足音だけで焦りが伝染してくる。
僕らは血の気が引くのを感じながら振り返った
現れたのは研究員と見られる白衣の男
額に汗、呼吸は荒い。
「…そんなに慌てて、どうした?」
ルナが先に口を開く
声は平静を装っているが
視線が素早く動き、状況を瞬時に測っている。
白衣の男はルナの顔色を見て言葉を選んだ。
「いえ…こちらこそ…
ルナ様、何かあったのですか?」
「…何って…あったはあったけど…どうして?」
白衣の男は報告を吐き出す
「"異形人間の収容区画"が
すべて解放されたとの報が入り…
何か指示が出たのかと…」
「…!」
その瞬間、空気が凍る
僕もアスノもロジェロも…
全員が同じ結論に辿り着く。
(白髪の少年だ…)
確証はない
だが可能性の時点で背筋が冷える。
ルナの口元がわずかに歪む
いつも余裕の笑みを貼り付けている彼女が
珍しく焦りを隠しきれていなかった。
「ああ…まずいな、これは…
北極星の四季の失態…クビにされる…」
ヴィアラが一歩近づき背中に手を当てる
撫でるというより、崩れるのを支える手つき。
「ルナ様、落ち着いてください」
モニカも続ける。
「今この研究所にいる異形人間は…評価A以下が中心
私たちで止められます
外へ漏れなければ大丈夫です」
ルナは深く息を吸い、焦りを飲み込んだ
研究所代表の顔へ戻る。
「…そうだね…ありがとう
少し動揺した…
外に出さなければ、被害は抑えられる」
そして僕らを見る
反逆者を見る目でも、道具を見る目でもない
ただ必要な駒を見る目。
「指名手配犯諸君…力を貸してくれ」
ロジェロが目を細めた。
「…指名手配だというのに
国と共闘する日が来るとはな
民間人の被害を出すわけにはいかない…急ぐぞ」
本望じゃない
けれど、ここで拒めば最悪になる
これは一時休戦じゃない…ただの利害の一致だ。
国の人間と協力して異形人間を止める
そして、その混乱を起こした白髪の少年も止める。
ロジェロが腰を探る癖で手を動かし
何もないことに気付いて眉をひそめた。
「…すまない、いまは武器がない
何か貸してもらえないだろうか?」
ルナは隣室へ行きすぐに戻ってきた。
持っていたのは、鎧と剣
黒い…光を吸うような黒
金属の輝きはない
そして、軽い。
ロジェロの目が鋭くなる。
「…これは…」
「異形の皮膚から作った鎧と剣だ
金属より硬いし、よく斬れる
嫌かもしれないけど…いまは選べない」
ロジェロは一瞬迷い、それでも受け取った。
「…感謝する」
着替える所作が早い
鎧がガッチリと噛み合う
僕らはルナの部屋を飛び出し
騒がしくなり始めた上階へ駆けた
研究所の静けさが、今まさに破れていく。
~~~~~~~~~~
それより少し後…
異形研究所エイワ近く、森の中。
木々の影から三人の兵士が姿を現した
泥で汚れた軍靴、傷の付いた鎧
吐く息は白く、肩で呼吸している。
この森は研究所の管理区域だ
境界標がいくつも立ち
縄と杭で雑に線が引かれている。
その線の内側では
実験用に放たれた異形が放置されている
通る者は少ない
通る者は、運がいいか、命が軽いか…実力者か。
先頭の兵士が堪え切れずに笑う
命が繋がった反動でつい笑みが溢れた。
「はぁ…抜けられた…抜けられてよかった…」
長身の兵士が
周囲へ視線を走らせながら苛立ちを吐く。
「この森…研究所の資料用とかで
放し飼いの個体が多すぎんだよ
管理するなら、せめて場所変えてくれっての…」
低い背の兵士が吐き捨てるように言った。
「避けたら遠回りになるし…最悪だな
俺らが何でこんなとこに…」
次の瞬間
背中を冷たい刃で撫でるような声が割り込んだ。
「…おい貴様ら、静かにしろ」
三人の兵士は反射で背筋を伸ばした。
「「「は、はい!失礼しました!」」」
その騎士は四足歩行の馬のような異形に跨っていた
獣の筋肉が呼吸のたびにうねり
白い鼻息が漏れる。
兵士たちは怯えを飲み込み
それでも頼もしさに縋った
この森を正面から抜けるには
背後の騎士の存在が必要だった。
先頭の兵士が、声を落とし言う。
「今回は…心強い貴方様が
同行してくださっているので突っ切れましたが…
それでも、怖いですね…ここ」
騎士は鼻で笑った
視線を遠くへ、研究所の方向を見る。
そして、ほんの僅かな騒ぎを嗅ぎ取った
風に混じる金属音、遠い叫び
森に飲まれて届かない程度の薄い異常。
「…妙だな」
長身の兵士が眉を寄せる。
「…?どうしましたか?」
「研究所が…騒がしい」
そう断言した
聞こえたのではなく気配を感じ取った
騎士は独り言のように続ける。
「ルナに呼ばれたのだ
異形騎士団の適正者を連行するためにな
…厄介事がなければいいが」
低い背の兵士が、必死に取り繕うように言う。
「何かあったとしても…
ルナ様とあなたの力があれば安心です」
騎士は迷いなく返した。
「…当然だ」
その一言に、兵士たちの目が輝く
先頭の兵士が言う。
「アーヴェス様…エイワへ向かいましょう」
北極星の四季…二番手
アーヴェス・デュランダル。
森の闇から現れたその姿は
これから起きる混沌に火種を落とす存在ではない
火のそばに立ち、息を吹きかける
引火そのものだった。
そして僕らの研究所での戦いは、
いよいよ収拾のつかない形へ、傾き始める。




