ep.43 "終着点"
ルナは口を開けて固まっている
さっきまで誰もいなかったはずの背後
そこに白髪の少年が
最初からいたみたいな顔で立っている。
「…君たち、この少年は一体…?」
ルナの声には迷いが混じっていた
気配も足音も何ひとつなく
しかも、僕らと旧知の仲のように言葉を交わしている
理解が追いつかず研究者の目が一瞬だけ揺れた。
白髪の少年は誰かを見下すでもなく媚びるでもなく
落ち着いた表情で話す。
「僕は彼らの仲間さ
僕が行くと言えば…彼らはついてくる」
ロジェロが再度、反射で噛みつきかけたが
その言葉は形にならない
喉の奥で音が潰れた。
少年の圧が空気の密度を変えた
見えない指が肺を握ったみたいに息が浅くなる
敵意ではない、脅しでもない
それなのに逆らうという選択肢だけが
静かに消えていく。
「ルナさんにも悪い話じゃないだろう?」
ルナの目が研究者の光を取り戻す
警戒より先に、好奇心が勝つ。
「…そうか、確かに有難いね
サンプルが増えるのは歓迎だ
是非、研究所へ来てくれよ」
僕は否定しようとした
アスノもロジェロも同じだ
だがやはり…
言葉が舌の上でほどけて消えた
声帯が「危険だ」と判断して
声を出す権利を取り上げる。
今の状況で
僕らが取れる道はほとんど残っていない
拘束され、主導権を握られ、逃げ道は塞がれている。
この少年についていけば何かが分かるかもしれない
少なくとも、ここで殺されるよりは
今の状況で僕らが取るべき最善の道は
この少年に着いていくことなのかもしれない。
~~~~~~~~~~
僕、アスノ、ロジェロ…そして白髪の少年
四人はルナたちに導かれ
異形研究所エイワの中へ足を踏み入れた。
退路はもう消えていた
ここで暴れても意味がない
むしろ状況を悪くするだけだ。
国と最も繋がっている場所
異形研究所エイワ…
ここは国という心臓に伸びた血管みたいなものだ
どこで何をしても情報は上へ流れるだろう。
僕らは今
生と死…その境界を薄氷の上みたいに
ゆっくりと歩いている
言葉一つ 動き一つでその氷は簡単に割れる
踏み抜いた瞬間、旅は終わる
一歩間違えれば…標本へと扱いが変わる
声も名前も剥がされて
価値だけを測られる存在へ。
何も逆らわず言われた通りにする
それがここで生き残るための唯一の作法だった。
研究所の壁は石造りだった
けれど他の石造りの建物とは違う
継ぎ目が見えないほど精密で
磨かれて冷たい光を返している
足音が吸い込まれるように反響し
空気は乾き、薬品の匂いが薄く漂っていた。
ここだけ、時代が違う。
町は低い家が並ぶ生活の匂いだったのに
扉一枚越えただけで世界が切り替わった
整いすぎている。
廊下の向こうから
白衣の研究員たちがすれ違っていく
誰も声を出さない…足音すら必要最低限
それなのに、視線だけが確実にこちらを追ってくる。
好奇の目
警戒の目
値踏みの目
そして、珍しい標本を見つけたときの目。
肌ではなく内側
背骨に針を刺されたみたいに視線が残る。
廊下の両脇の部屋には
ガラス越しの展示が並んでいた。
異形の剥製
口を開いたまま固められた頭骨…
片腕だけ透明化した標本は
筋肉と血管の赤が宙に浮いて見える。
説明札には、分類、特性、危険度、回収経路など…
文字が刻まれていた。
アスノもロジェロも
周囲を落ち着かない目で見回していた
異質な空間に圧をかけられているのが分かる
白髪の少年だけが違った
怯えも緊張もない
むしろ楽しげな目で展示を眺めている。
僕は隣を歩く白髪の少年に声をかける
「君には…聞きたいことがたくさんある」
だが少年は、首を小さく振った
「まだその時じゃないよ…
今は、この研究所を楽しもう」
僕は思わず目を逸らした
目の前に
答えが転がっているかもしれないのに掴めない…
我慢しろと言われるほど
頭の中の靄は濃くなり、もどかしさが胸を満たした。
その靄を裂くようにルナが歩きながら語りだす。
「…君たちは異形がどうやって増えるか
考えたことがあるかい?」
ルナの声は言葉の端に熱があった
研究者の好奇心の熱。
白髪の少年は標本を眺めたまま笑っていた
まるで答えを知っているみたいに。
言われてみれば考えたことがなかった
異形はどうやって増える?
単純に、互いに繁殖しているわけではないような…
そんな口ぶりに疑問を覚える
案内されたのは研究所の最深部
地下へ降りる階段の空気はさらに乾いていて
温度だけが妙に冷たく感じた
通路を曲がった先にある扉を
ルナが鍵を開け、僕らを迎え入れる。
そこがルナの自室だった。
部屋の至る所に瓶と本が散乱し
机の上には書き途中の紙
壁一面には異形の生態図が貼られ
寝床と研究机の境界すら曖昧
生活が、研究に飲まれている。
ルナは椅子に腰を下ろし
くるりと回ってこちらを向いた
そして、まるで雑談の続きを口にするみたいに
自然な声で言った。
「答えは単純…人が死ぬこと。
───異形の正体は人間だ」
一瞬、時が止まった。
いきなりの一言に
僕もアスノもロジェロも言葉を失う
胸の奥で何かが鈍く軋む。
否定したいが…
この国の脳を否定するにはあまりに無力さを感じた。
白髪の少年だけが
意味の読めない微笑みを浮かべている。
ルナは足を組み替える。
「この話は公に広めること自体が禁じられている
だから…いきなり言われても
すぐには飲み込めないだろう」
「そう言い切れるのは、理由がある」
「この研究所ではね…異形を人間に戻す実験をしてる
それだけじゃない、異形由来の臓器を人間に繋ぐ
人間と異形を混ぜる方向の実験も…山ほどね」
アスノの視線が、どこか遠くに飛んだ
カナのことを思い出していた。
「倫理は…最悪だろう
君たちには嫌われるだろうし
吐き気もすると思うけど…事実」
ルナは椅子の背にだらりと体重を預ける。
「私がここに来た頃にはね
前任の代表がそれらの技術をもう完成させてた」
「驚いたよ」
ルナは人差し指を下唇に当て
考えるような仕草をする。
「なぜなら…
異形と人間の構造が合致しすぎてたから」
そう言って、ルナは資料を一枚机の上へ滑らせた
薄い紙のはずなのに…重さを感じた
その紙に並べられていたのは謎の数字と
人間と異形の図。
細胞構造
魔力循環
臓器配置
神経伝達…
正常な人間との差が、あまりにも少ない。
僕は目で追うと気分が悪くなった
紙が吐き気を連れてくるみたいだった。
「もちろん、構造が近いからって
実験がすぐ成功するほど甘くない」
「失敗はしたよ、大量にね…数え切れないくらい
でも、比較的早く成功してしまった
そんな記録が残ってる」
ロジェロは拳を固めたまま低く言った。
「…なら、人間が異形の皮膚を出せる異鎧侵蝕も…」
ルナは迷いなく頷く。
「うん…そういうことだ」
「人間が、死線を越えて、限界を超えて
ある段階を超えると異形の肌を顕現させる
それ自体が、人間と異形が繋がってる証拠だ」
納得したくない
けれど、繋がってしまう
異形人間が作り出せる理由
僕らが異形の肌を出せる理由…
僕は唾を飲み込む
嫌な確信と共に。
ルナは机を指でトントンと叩いた
拍子は心臓みたいに一定だった。
「この世界には
魔法が使える人、身体能力が高い人、五感が鋭い人…
いろんな人がいるよね」
「才能とか適性って言葉で片づけられるけど
…本質はそこじゃない」
「持ってるか、持ってないかじゃない
全員最初から持ってる」
「魔法も、身体能力も、五感の鋭さも…全て
特別な人だけの機能じゃなくて
人間って種族に標準搭載された仕組みなんだ」
「ただし…眠ってるだけ
使えないのは才能が無いからじゃない
回路が閉じてるからだ」
ルナは指をくいっと曲げて見せた。
「簡単に言うと…
人間はみんな体の中に能力ごとの蛇口を持ってる。
捻れば魔力が出る
筋力も底上げされる
五感も冴える」
「使えない人がいるのは
蛇口が固く締まってるだけだ
最初から締め具合が違う
ここは生まれつき差が出る」
ルナは指で空をひねる仕草をする。
「努力で緩むものもある
経験、修練、極限…そういうのでね」
「けど、全部が全部じゃない
どれだけ足掻いてもびくともしない栓もある」
ルナは資料をめくる
ページの端が
研究者の指で薄く黒ずんでいた。
「異形はね、ほんの少しの一定段階を超えた個体は
例外なく"全て"
魔法を使う
身体能力が跳ね上がる
五感も研ぎ澄まされる」
「それは本来、人間の中に潜在してる蛇口が
死と変質を経て強制的にこじ開けられるから」
その理屈もまた、嫌になるほど筋が通っていた
人間と異形が
同じ一本の線で繋がっている理由として。
本人の意思なんて関係ない
生きるために開かされる…
だから、異形から生み出される異形人間は
人間の本来持つ潜在能力が解放されているから強い
国が力を入れる理由だ。
ルナはページを止め目を細めた。
「人間がただ蠢くだけの異形になる。
本能だけで動く、理由も目的もない
壊すために動く」
「そして、異形がさらに強化されて…
解呪異形になる」
"蠢くだけの呪いから解け
人間に近づく、知性が出る"
ルナは指を折って数える。
「判断する、待つ、狙う、学ぶ、模倣する
…たまに、会話すらする」
ルナは椅子をくるりと回し
僕らを正面から見た。
「…これが異形の生態
人の死から生まれる、人の終着点…」
説明が整いすぎている
綺麗すぎて嘘みたいで…だからこそ、怖い。
隣で白髪の少年が笑う
さっきまで黙っていた口がついに自分から開く。
「…そもそも、何故だろうね」
その声は穏やかで、温度がない
世界そのものに刃を当てるような言い方だった。
「人間は何故…
異形になるような性質を体内に持っているんだい?」
空気が一段と張り詰めた
僕とアスノとロジェロが言葉を失っている横で
ルナだけが愉快そうに口角を上げる。
「いいところを突いてくるねぇ…」
ルナは笑ったと思ったら
すぐに口角を下げた。
「結論から言うと…分からない
人間とはそういうものだと結論するしかない。
…悔しいけど」
ルナの声はさっきまでの断言が嘘みたいに
ここだけ慎重だった
白髪の少年は間髪入れず問いを重ねた。
「じゃあ、もう一つ。
そもそも…何故人間は
"魔法や特殊な能力を使えるんだい"?」
…なんだ、その質問は…
僕らにとって魔法は当たり前だ
人が呼吸をするように
二本の脚で歩くように
脳があって、器官があって
言葉を生む、生命の維持をする
それと同じ人間の機能として
魔法は並んでいる。
だから…疑う発想がなかった。
彼は、その当たり前を疑っている
当たり前を当たり前のまま置かない
その問い方が異様だった。
ルナは椅子の背を指で叩き
少しだけ顎を上げる。
「それも同じ…
理由の起点は分からない」
「つまり…これも人間がそういうものだからで
片づけるしかない…
現時点の私の答えは、そこまでだね」
白髪の少年は黙って頷いた
呆れたような…そんな表情。
ルナは、椅子の上でくるりと回り
背もたれに肘をついた
ぼそりと、独り言みたいにこぼす。
「…ただ、分からないで終わらせたくないからね
ひとつだけ引っかかることがある」
ヴィアラが反射的に身を乗り出す
焦りが声に滲む。
「ルナ様…反逆者にそのことは…」
ルナは片手をひらひらと振った
いいんだよと言わんばかりの雑な制止
そして、ルナは淡々と告げた。
「最近、研究所で作った薬が盗まれた」
「異形の細胞を崩す薬…簡単に言えば
異形の強化を止めるための鍵みたいなものだ」
空気が僅かに重くなる
別の意志が異形という災厄に触れている…?
(誰が…?)
僕の背中に冷たいものが走る。
ロジェロの目が大きく見開かれ
視線がゆっくりと白髪の少年へ向く。
(ミズイの町でシルを止めたのは…まさかこいつ…)
口には出さない
疑念だけが胸の中で形を持ち始める。
「それだけじゃない、昔から研究所には
異形人間の解放に誰かが手を貸している形跡
情報が不自然に消える件
いくら対策しても…
違和感のある出来事が定期的に起きている」
「もしかしたら…謎の組織が
人間と異形の何かを掴んでいる可能性が高い」
「…私が把握している限り国の動きじゃない
少なくとも、私の管理下ではない」
その言い方が不気味だった
この研究所の代表が「自分の管理外」を口にする
それだけで、世界に知らない穴が増える。
ルナは指を折りながら言う。
「私たちの知らない何かが…動いている
この国の外か、内か
味方か敵かすらまだわからない」
「そしてその組織が遥か昔から現在まで手を加えて
人間と異形を繋いでいるのか…
そんな可能性すら、私は捨てきれない」
静寂が落ちた
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
「…異形も人間もまだまだ謎だらけだよ」
そして、白髪の少年を横目で見る。
「今この子がやったみたいに
"常識"を疑えって姿勢はいいヒントになる
研究者としては、最高に…」
ルナの声が少しだけ弾んだ。
「これだから研究はやめられないんだよ」
「先の見えない道を進む
白紙から答えをひねり出す
誰も知らない場所まで掘り進めて…
世界の骨格に触れる」
言葉が途中から熱を帯び
理屈ではなく、快楽の告白になっていく
涎が垂れる。
「当然楽な道ではない
でも、たまに…カチッて噛み合う瞬間がある」
ルナは指を鳴らす真似をした。
「その瞬間に出るんだ…"脳汁"が」
言い方は俗っぽいのに目だけは本物だった
研究という遊びに夢中になっている純粋な光
だから余計に怖い
この人は、正義でも悪でもなく
ただ「知りたい」だけで、境界を踏み越える。
ルナはふっと我に返ったように口元を指で拭った
拭いきれなかった涎の跡が
白衣の袖に薄く残る
眼鏡の奥の目がすっと冷える
研究者の…いや、"代表"の顔だ。
「…これが、私達の研究の賜物
すごいと思ったら…拍手」
ルナは血の滲む白衣のまま子どもみたいに言った
それが冗談なのか本気なのか判別できない。
促されるまま僕らは手を叩いた
乾いた音が館内にぱらぱらと散る
拍手というより儀式だ
ここで逆らうなという合図に従っただけの。
白髪の少年だけが
意味深に穏やかな笑みを浮かべていた。
けれど僕とアスノとロジェロの表情は暗いままだ
胸の奥が重く、息が浅い
理解が追いつかないのではなく
…追いつきたくない。
今ルナが語ったことが本当なら
異形は敵じゃない…?
異形は人間の終着点のひとつだ。
僕らは今まで
人間を殺していた…?




