ep.36 "最後の日記"
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今日はゲイルと出会って十年目の日。
朝、カレンダーをめくったとき
日付の横に小さく書かれた丸印を見て
ふと気づいた。
振り返ってみれば
本当に色んなことがあったな。
バーサの町で初めて出会った日のことは
今でもはっきり覚えている
何も知らない儂のことを、優しく迎え入れてくれた。
こんな異形から生まれた人間をためらいもなく
受け入れてくれる人と出会えるなんて
奇跡だと思った。
ゲイルと出会って数週間後、町の雰囲気が変わった。
朝家を出ると
儂の顔が描かれた紙が何枚も貼り出されていた
研究所から逃げ出した個体を国が指名手配していた。
それを見た瞬間、目の前が暗くなった
足がすくんで動けなくなった
儂は、ここにいてはいけない…
心の底から震えた
胸をつかまれたような、そんな感覚。
でも、その日の夕方には
町中に貼られとった儂の貼り紙は
ほとんど消えていた。
ゲイルが誰にも気づかれないうちに
剥がして回ってくれた
路地の奥、店の裏、掲示板の端…あらゆる場所を。
犯罪だけどな!
それでも
まだ出会って間もない儂のために守ってくれた
…ありがとう。
その後、儂は学校に通い出した。
最初は惨めだった
文字も読めない、うまく喋れない
箸もまともに持てない
言い間違えるたび、教室の笑い声が刺さった。
うつむく日も多かった
帰り道、足元の石だけを見て歩くこともあった
それでもゲイルは
家に帰るたび必ず笑顔で迎え入れてくれた
あれがどれだけ救いだったか…儂は忘れない。
読み書きができるようになったのも
人と会話ができるようになったのも
簡単な料理を作れるようになったのも
全部、ゲイルが学校へ通わせてくれたおかげだ。
…そういえばゲイル
料理が壊滅的に下手だった
ある日ふいに、照れくさそうに言ってきた。
「カナ、料理教えてくれよ」
理由を聞いたら、真剣な目で答えた。
「いつか、また家族と一緒に暮らせる時が来たら
自分の手で飯を振る舞ってみたい」
あんなに親からの圧力に苦しんでいたのに
それでも家族のことを考えられるなんて
本当に優しい男だと思った。
ゲイルも学校に行けば
きっとモテモテなんだろうな
そう考えると、ちょっとだけ嫉妬してしまう。
不器用で、頼りないところも多いけど
誰かのために体を張れる人間
…素敵な人間。
なのに
なんで虎牙組に戻ってしまったんだろう。
ゲイルが出ていったあの日から
人生から色が抜け落ちたみたいにつまらない
風の音も、料理の匂いも
前ほど鮮やかに入ってこない。
先生は優しくしてくれる
一人で生きていけるように色々教えてくれる
…でも儂は、やっぱりゲイルがいい。
ゲイルと一緒に笑って
くだらないことで言い合いして
夜は、子守唄を歌って眠りたい。
また戻ってくるのだろうか
また一緒に笑える日が来るのだろうか。
…まだ、感謝を全部伝えきれていないからな。
儂を拾ってくれたこと
「カナ」って呼んでくれたこと
儂が、儂としてここにいてもいいんだと
そう信じさせてくれたこと。
ひとつひとつに
「ありがとう」を言えていない
…だから、儂は決めた。
いつかまた笑える日々が来ると信じて
儂はいつまでも待っている。
ゲイルがどれだけ傷だらけになって戻ってきても
その時はまた最初の日みたいに
優しく手を握って迎えてやりたい。
その日が来るまで
儂はここでちゃんと生きているからな。
だから、ゲイル
…必ず、帰ってこい。
儂はいつまでも、お前を待っている。
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ゲイルは泣き叫んだ
日が落ちても涙は止まらず
喉が潰れるまで叫び続けた。
僕らは、それを見ていることしか出来なかった
誰かが言葉をかければ
何かが壊れてしまいそうで
かける言葉が見当たらなかった。
瓦礫の匂いと崩れた塔の粉塵が風に舞っている
空は暗く、星だけが無関係に瞬いていた。
何時間経っただろう。
ゲイルは震える足で、ゆっくりと立ち上がり
カナを抱えてバーサの町へ歩み始めた。
その後、僕らがバーサの町へ戻っても
ゲイルの姿は見当たらなかった
アスノは心配で遅くまで探したが見つからず
僕らは宿屋に泊まることにした。
冷たい布団を羽織り、天井を見つめる
眠れなかった
…皆、同じだった。
旅を始めてから
目の前に次々と現れる悲しみの連鎖
初めての経験に、心が折れかける。
夜叉の能力…
なんでもできる力だと思っていた
だけど、僕はあまりにも無力だった
何ひとつ守れない
誰ひとり救えない
目の前で人が死んでいく現実に
涙が溢れて止まらなかった
泣くことしかできない自分が、嫌になった。
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次の日の朝、僕らはカナの家へ来た
最後にお別れを言って旅立ちたかった。
家はしんとしていて
玄関を開けた瞬間、生活の匂いが残っていた
薪の匂い、乾いた布の匂い
…そして、誰かがここにいたぬくもり。
一歩踏み出すと
ギシっと木が軋む音がやけに大きく響いた。
カナの幻が見えたような気がした
ゲイルのいない
つまらない日々を誤魔化すような笑顔と
寂しそうな横顔。
部屋には、畳まれていない
飛び起きたような跡の布団。
机の端に小さな瓶と一輪の花
隅の落書き、そして鉛筆で書かれた日記。
日常がまだ鮮明に残っていて
もういないのが信じられなかった。
僕らはその家に別れを告げ
玄関の扉を開けた…その時。
目の前に立っていたのは緑髪の大男
ゲイルだった。
「アスノ達…来てたのか」
そう言いながら目線を逸らし、頭を深く下げる。
「…迷惑をかけた。すまない」
その声には、強さは微塵も感じられなかった
…無理もない。
僕らは「謝る必要はない」と言い、彼を許した
けれど、僕らが許したところで
何も変わらないのが悔しかった。
ゲイルもまた
この家に別れを告げに来たという
そして彼はこれから
虎牙組を完全に継ぐことを決めていた。
「暴力的な組にはしない…」
「弱い人を守るために、力を使いたい。
それが…カナの願いだと思う」
頼りない声
それでもその拳には力が籠っていた
震えているが、逃げない拳だった。
僕は、自分が夜叉の能力を継承した
あの日を思い出した
葛藤の中でも…それでも前へ進むと決めた
あの瞬間。
(ゲイルなら…出来るだろう)
僕は少し迷ってから、日記を差し出した。
「…これ、カナの最後の日記だ」
ゲイルは目を見開き
息を飲んでその日記を開く
僕らは何も言わず、それを皆で読んだ。
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ゲイルへ
バーサの町に旅人が現れたぞ
あの日ゲイルと出会った時みたいに
手を差し伸べてくれて…運命を感じた。
この旅人達と共に、お前を救いにいく
またあの日常が戻ってくるのが
近くなっていく気がして
楽しみで仕方がならない。
何からしようか考えるだけで寝れない
…まっていてくれ。
次は後悔のないように
気持ちを全部伝えるから。
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ゲイルは日記を読み終え
一つ、涙を落とした
その一滴が合図みたいに次の涙があふれ
止まらなくなる。
「…全部、伝わってたさ」
声が震えて、息が詰まる。
「カナ…ありがとう…」
不器用な二人
素直な気持ちを面と向かって伝えられず
遠くへ行ってしまったカナ…
吐き出しても届かない思い
考えただけで胸が痛む。
しんとした空間に、涙が落ちる音だけが響いた。
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虎牙組の支配が終わり、町には活気が戻っていた
僕らはバーサの町を出る。
門をくぐると町の音が遠のいていく
人の声も店の呼び声も、小さくなっていき
代わりに自分たちの足音だけが残った。
ロジェロが前を見たまま言った。
「王都が近付いてくるな…」
その一言で、胸が少しだけ重くなる
王都…この国の中心。
そこには王がいて
北極星の四季がいて…
僕らが旅をする理由が、全てそこに集まっている。
この町の先に、異形研究所がある
カナを作り出した場所…
この国の闇が形になった場所だ。
研究所を抜ければ大きな町がある
そして、その先が王都。
僕は前を見る
研究所も大きな町も王都も、まだ目には見えない
それでも…僕らの決戦は、確実に近付いていた。




