チャプター51 ― 派手な救出のあとで、ヴォルタ王国をぶらりと。
このたび、
『天使と紫の炎』
第4部――優しきヴォルタ王国および氷霜のエーテル王国における数多の戦闘。
は、
チャプター51 ― 派手な救出のあとで、ヴォルタ王国をぶらりと。
より、いよいよ幕を開けます。
新たな舞台、新たな戦い、そして新たな物語が始まります。
どうか最後までお楽しみいただけましたら幸いです。
それでは、引き続き『天使と紫の炎』の世界を、ゆっくりとお楽しみください。
皆さまのご一読を、心より願っております。
どうぞ、良い読書時間をお過ごしください :)
狼蜘蛛や巨人のサイクロプス、狂った科学者たちと死闘を繰り広げた末、ようやく俺は心の奥に静かな安らぎを取り戻していた。
だが目覚めた瞬間、腕と脚にいつもとは違う重さを感じる。
学院の私室、その大きな窓から朝日がかろうじて差し込んでいる。時刻は朝七時。
世界はまだ眠っているように静かだが、俺の疲労だけははっきりと主張していた。
昨日の激闘を思い出すかのように、身体は悲鳴を上げ、筋肉は張りつめ、意識は現実と曖昧な記憶の狭間を漂っている。
俺はゆっくりと階段を下りていった。一歩ごとに、とてつもない労力を要するかのように足を引きずりながら。
そして――そこで、疲れを忘れかける光景に出くわす。
エリーがいた。手すりにもたれ、唇にはいつもの皮肉めいた笑みを浮かべている。
白いシンプルなTシャツに、ベージュの街着用スラックス、手入れの行き届いた黒い靴。その格好は妙に様になっていた。
彼の視線はすでに俺を捉えており、あの憎たらしくもどこか憧れてしまう愉快そうな光が宿っている。
その隣では、ヴァイオレットがひときわ輝いていた。
身体のラインを美しく際立たせる紫のワンピースは、袖が短く、繊細な花柄があしらわれている。
黒いカチューシャが髪をまとめ、黒いヒールが床を軽く打つ。
爪も同じ紫色に塗られていて、彼女は温かな笑顔で俺に声をかけた。
その瞳は、優しさと待ちきれなさが入り混じってきらめいている。
エスターは相変わらず、清楚で端正な装いだった。
真っ白なシャツに上品な黒のパンツ、足元はバレエシューズ。
金髪はきちんとしたツインテールに結われ、柔らかな表情を縁取っている。
長年の友人に接するかのように、少し照れた微笑みを浮かべて俺に挨拶した。
そして――ブランシュ。
あまりにも美しく、現実離れした存在。
淡い水色と深い青を基調とした街用のドレスは、彼女の肢体に完璧に寄り添っている。
控えめな胸元、直線的な上部の意匠、青い羽根の装飾、そして左太ももを覗かせるスカートの切れ込み。
すべてが俺の視線を奪った。
青いヒールが軽く音を立てながら、彼女は俺のもとへ歩み寄る。
後ろでまとめられた髪と、肩まで垂れる前髪。
彼女は包帯の巻かれた俺の左手をそっと取り、真っ直ぐに見つめ、温もりを込めてその手に口づけた。
その笑顔は、眩しいほどに輝いている。
「おはよう、エンジェルくん……」
完璧な所作と発音。だがそこには、確かな感情が宿っていた。
するとエリーが、いつもの調子で口を挟む。
「やれやれ、どうやら我らが英雄様もようやくお目覚めのようだな。
で、エンジェル? 何時間寝たんだ? まさか十分とは言わないよな?」
俺はわずかに頬を赤らめ、すぐには答えられなかった。
ヴァイオレットがくすりと笑い、エスターは控えめに微笑む。
ブランシュは俺の手をさらに強く握り、その熱のこもった視線に、理由のわからない震えが走った。
「今日は外に出たらいいんじゃないかと思ってさ」
エリーは悪戯っぽくウインクする。
「街が俺たちを待ってる。……それに、うちの小さな天才が外でどれだけ魅力的か、見せる頃合いだろ?」
「エンジェル、行くでしょ?」
ヴァイオレットが、ほとんど跳ねるように尋ねてくる。
「うん……まあ……」
俺は少し戸惑いながら答えた。四人に囲まれて、まだ頭が追いついていない。
ブランシュが再び微笑み、胸の奥にじんわりとした熱が広がる。
彼女は小さく笑った。
「ふふ……安心して。今日は一日中、離さないから」
やがて俺たちは外へ出る。
朝の冷たい空気が頬を打ち、ヴォルタの街はゆっくりと目を覚まし始めていた。
それでも、俺たちの一団はすでに視線を集めている。
ヴァイオレットは少し前を歩き、ヒールを軽やかに鳴らす。
エスターは落ち着いた歩調で続き、ブランシュは俺の隣にぴったりと寄り添い、迷いなく手を握っている。
エリーはというと、向けられる視線すべてを楽しんでいる様子だった。
「で、エンジェル」
エリーが俺に声をかける。
「最初は何にする? カフェか、散歩か、それとも買い物? ――全部って手もあるけど?」
「ぜ……全部で……」
まだ少し朦朧としながら、俺は答えた。
「決まりね!」
ヴァイオレットが声を弾ませる。
「今日は、人生最高の日になるわよ!」
石畳の道を歩き、学都の街並みを抜けて、俺たちは駅へと向かう。
ブランシュがそっと俺の手を握り、その温もりに、この一日が少し特別なものになるかもしれない――そんな予感が胸をよぎった。
もしかすると、俺が今まで知らなかった「普通」に、ほんの少しだけ触れられるのかもしれない。
「エンジェルくん……」
ブランシュが囁くように言う。
「周りを見て……味わって。街も、世界も……あなたのためにも、ちゃんと存在しているのよ」
俺は小さくうなずき、目に映るすべてを心に刻もうとする。
石畳に反射する光、風に揺れるヴァイオレットの髪、エスターの穏やかな笑顔、そして隣にあるブランシュの安心感。
すべてがどこか非現実的で、それでも俺は、はっきりと「生きている」と感じていた。
エリーは相変わらず俺をからかい続け、
ヴァイオレットは愛嬌のある逸話や一言で何度も俺を驚かせ、
エスターは集団の一挙一動を静かに観察するように心に留め、
そしてブランシュは――ただ俺を見つめている。
けれど、その視線の奥に、言葉にされない感情が満ちていることを、俺は知っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
数分後、俺たちは市内列車を降りる。
扉が開き、ふわりと空気が流れ込み、朝の光が一気に俺たちを包み込んだ。
目の前に広がるのは、大きな橋。
それは古風な建築様式の橋で、幅広く、石畳が敷かれ、細身の街灯と、両端には石造りの天使像が立っている。
眼下では、川がガラスの帯のようにきらめき、空の色と中心街の塔を映し出していた。
遠くには、明るい外壁、色とりどりの看板、賑わうテラス席、そしてすでに目覚めきった街のざわめきが見える。
「ああ……」
ヴァイオレットが大きく伸びをしながら息を吐く。
「ここ大好き。空気だけでも違うと思わない?」
「うん……そうだね」
エスターが行き交う人々を眺めながら答える。
「“生きてる”って感じがする」
俺も周囲を見渡す。
橋の上は人で溢れていた。学生、家族連れ、準備を始める大道芸人たち。
ギターの調弦をする者、イーゼルにキャンバスを立てる者。
そよ風がブランシュの髪を揺らし、彼女は少しだけ顔をこちらへ向けた。
「考えごとをしたいとき、私はよくここに来るの」
落ち着いた声で彼女は言う。
「この橋はね、二つの地区を繋いでいるだけじゃない。人と人も、繋いでいるのよ」
ポケットに手を入れたまま、エリーがくくっと笑う。
「相変わらず詩的だな、ブランシュ。そんなに美人じゃなかったら、観光案内人の説明だと思うとこだ」
彼女は片眉を上げ、口元に小さな笑みを浮かべる。
「あなたも、そんなに生意気じゃなければ、少しは紳士に見えるのに」
「一本取られた!」
ヴァイオレットが大笑いする。
俺も思わず微笑み、軽く笑ってしまった。
空気は軽く、どこか弾んでいる。
俺たちは並んで、ゆっくりと橋を渡る。
アーチの間を風が抜け、向こう岸のパン屋やカフェから、焼き立てのパンとコーヒーの香りが運ばれてくる。
街の活気が、すぐそこまで迫っていた。
最後のアーチを抜けた瞬間、景色は一変する。
通りには、満席のカフェテラス、色鮮やかな書店のショーウィンドウ、衣料品店や職人の店が並ぶ。
笑い声、会話、人々のざわめき。
路地の角では音楽が奏でられ、子どもたちが風船を追いかけて走り回っている。
突然、ヴァイオレットが輝くような菓子の並ぶショーケースの前で立ち止まった。
「見て見て! 紫のシュークリームよ! 絶対食べなきゃ!」
「食べる気か、全部買う気か?」
エリーがわざとらしく無垢な顔で尋ねる。
「もちろん両方!」
ブランシュが楽しそうに俺を見る。
「覚悟して。荷物持ちはあなたよ」
俺は笑って答える。
「これくらいなら、今までの方がよっぽど大変でした」
「ヴァイオレットとの買い物には勝てないけどね」
エスターがくすっと笑う。
「ちょっと! 趣味がいいだけでしょ!」
ヴァイオレットは拗ねたふりをする。
やがて俺たちは、中央大交差点近く、銀の翼を持つ噴水の正面にあるカフェのテラス席に腰を下ろした。
店員が行き交い、カップが触れ合い、会話のざわめきと水音が混じり合う。
エリーはブラックコーヒー、
エスターはミントティー、
ヴァイオレットは山のような生クリームを乗せたホットチョコレート、
ブランシュはバニラのカプチーノ。
俺はカフェオレを頼んだ。
「エンジェル、相変わらず地味だな」
エリーがからかう。
「長所だろ?」
俺が返すと、
「慢性的な疲労の証かもね」
ヴァイオレットがウインクする。
俺は苦笑して首を振った。
「本当に、君たちは……」
「そうかもしれないわね」
ブランシュが言う。
「でも、私たちがいないとき、寂しくなるでしょ?」
悪戯っぽく、唇の端を上げて、彼女は俺を見る。
俺は少し気恥ずかしくなって、視線を逸らした。
「……否定はできない」
小さく呟く。
当然、エリーが見逃すはずもない。
「おおっと、天使様が感傷的だぞ。ハンカチ持ってくるか?」
「噴水に投げ込まれたいか?」
俺は皮肉を込めて言い返す。
「やってみろよ。コーヒーぶちまけてやる」
エリーは笑いながら返す。
全員が笑い出す。
普段控えめなエスターまで、小さく吹き出した。
時間は静かに流れ、分が、やがて時間になる。
授業の話、教師の噂、学院のくだらないゴシップ、馬鹿げた思い出。
街の次の祭りの話題にまで及んだ。
雰囲気は素朴で、軽やかで、ほとんど完璧だった。
ふと、ブランシュがテーブルの下で、そっと俺の手に触れる。
ほとんど目を合わせないまま。
それでも、その温もりははっきりと伝わってきた。
誠実で、静かな想い。
言葉は、必要なかった。
太陽は屋根の上へと昇り、街は光に満ちていく。
遠くでギターの音が響き、俺は思う。
――今日だけは。
――今日くらいは、きっと、すべてがうまくいく。




